万全の準備と新しい挑戦が自分の成長や自信につながる【en. 小池康友さん】#1

下町情緒を色濃く残しながら、近代的な建物も多く並ぶ東京・月島。そんな新旧が混在する街に、2025年1月にオープンしたおしゃれなサロン「en.(エン)」。オーナーの小池康友さんは、原宿や勝どきで長年活躍し、アスリートやタレントからも支持される人気美容師です。

前編では、独立以前のエピソードを中心にインタビュー。ハサミを持つ手を左から右に変えて人一倍練習した専門学校時代のことや、最初に勤めたサロンで「苦手をなくして得意に変える」努力をしたこと、仲間とともに立ち上げたK.e.y(キイ)で経験したターニングポイントなど、詳しくお聞きしました。

お話を伺ったのは…

en.

代表・美容師 小池康友さん

ハリウッド美容専門学校卒業後、株式会社スタジオビューティーに入社して2006年にスタイリストデビュー。ヘアメイクアップアーティストの川原文洋氏に師事する。2012年に株式会社K.e.y入社。店長を務めたのち、2021年に新店舗であるK.e.y 勝どきの代表に就任。2025年1月、妻で美容師のTOMOMIさんとともに「en.」をオープン。

小池康友さんのInstagram:@en.koikeyasutomo

KOIKE’S PROFILE

お名前

小池康友

出身地

静岡県

出身学校

ハリウッド美容専門学校

憧れの人

川原夫妻(以前、一緒に働いていた先輩ご夫婦。同じ美容業界で活躍中で、明るく太陽のような存在です!)

プライベートの過ごし方

子どもと遊ぶ、サウナ、ショッピング

仕事道具へのこだわりがあれば

道具は消耗品なので新しいモノを使うようにしています。

徹底的に技術を磨いて「苦手」をなくし、「得意」に変える

アシスタントの頃は先輩方に重宝されたという小池さん。「わりとイエスマンだったので(笑)。本当にいろんな先輩の技術を見て学ぶことができました」。

――美容師を目指したきっかけと、専門学校時代に力を入れたことを教えてください。

小学生から高校生までずっとバスケットボールひと筋だった僕は、世の中にどんな職業があるのかよくわかっていませんでした。もし大学に進学したら卒業後はサラリーマンになって、スーツを着て仕事をする。そんな固定観念もありました。ファッションが好きだったので、漠然と私服で働ける仕事がいいなと思っていたくらいで…。高校の頃に通っていた美容室の美容師さんがおしゃれで憧れを持ったのと、手に職をつけたいと思ったのが、美容師を目指すきっかけでした。

僕は左利きなのですが、専門学校に入ったタイミングでハサミを持つ手を右に変えたんです。教えてくれる先生方もほぼ右利きだし、左利き用のハサミの方がちょっと高いし、スタートラインはどうせみんな一緒だからというのが理由で。人一倍努力すれば、利き手を変えても平均ぐらいにはなるんですよね。はじめはまっすぐ切るのにすごく苦労しましたけど、1年くらいで慣れて、やっぱり右も左も使えて損はないんだなと思いました。

――倍の努力で平均…。

そうですね。髪の毛を切る時は右ですけど、紙を切る時や字を書く時は今でも左です。最近、左利き用のハサミも買って、左手でカットする練習もし始めたんですよ。切る角度やハサミを入れる角度が右手だと限界があったりするので、両手を使えたら結構いいなと思って。

――両手で切るなんてカッコいいですね!

映画の『シザーハンズ』みたいですよね(笑)。でも美容師って割と両手を使えるんですよ。ヘアアイロンは左手でも使いますし、ハサミと逆の手でコームを使ったりしますから。

――学生の頃は、どんなサロンで働きたいと思っていましたか。

その時は自分に何が合うのかもわかっていなかったですが、上京して原宿で働きたいという、ただそれだけの憧れを持っていました。地方出身でしたし、当時は特に「原宿の美容室=すごい」というイメージが強かったんです。それで入社したのがスタジオVというサロンで、配属は新宿になりました。

――あら…、原宿じゃなかったですね。

でも1年後に原宿店に異動できました。アシスタント期間が約5年あったのですが、その間に学んだことが基盤になって、美容師としての自分のキャリアを築いてこれたと思っています。だから、今アシスタントを頑張っている若い子たちに伝えたいのは、焦らずじっくりやった方がいいよということ。もちろんみんな早くスタイリストになりたいですよね。でも長い目で見た時に、アシスタントの頃にしかできないことがたくさんあるし、いろんな技術を見て、学んで、習得して自分の基盤を作る大切な期間だと思います。

――スタイリストデビューしてからの自分の武器は、どんなところでしたか。

近頃は特化型美容師として何か特出した売りがないとダメみたいな風潮がありますけど、当時の自分にはそういうものがありませんでした。だから、まずは何でもできるようになろう、と。「何でもできる=特に武器がない」ということになるのかもしれないですが、とにかく苦手をなくすことに注力して、アベレージを上げていこうと考えたんです。

――その当時の「苦手」というと?

メンズカットが苦手だったので、それを克服して「得意」に変えたいと思い、とにかく技術を磨きました。はじめはお客様の髪を仕上げるのに1時間半くらいかかっていましたが、より早く切る方法やより似合わせる技術を先輩方に教えてもらって、徹底的に練習したんです。

サロンワークも撮影の仕事も「準備が9割」

小池さんが撮影の仕事をするようになったのは、K.e.y時代。初の雑誌撮影はメンズヘアだったそう。以来、さまざまな媒体から声がかかり活躍。

――「苦手を得意に変える」成果が見え始めたのはいつ頃ですか。

たぶん、スタジオVがなくなって、K.e.yを立ち上げてからですね。大人数サロンから少人数サロンになって、サロンのブランディングのためにも一人ひとりが何かに特化しないとダメだという意識を持ちました。そこで、「苦手を得意に変える」次のステップとして「得意を伸ばす」という考え方にシフトしてから、成果が見えてきたと思います。

――K.e.yのスターティングメンバーは皆さん同じサロン出身なんですね。

はい。スタジオVにいたメンバーに一緒にやろうと声をかけてもらい、スタイリスト4人で立ち上げたんです。その頃はギリギリ20代だったので、まだ原宿でやりたいという思いがありました。

――新たなサロンを軌道に乗せるために皆さんでどんな努力をされていたのでしょうか。

まずはブランドサロンにしたいというのをひとつの目標に掲げていて、メンバーそれぞれに役割があったので、それをひたすらこなすというか。ただもう目の前のことにがむしゃらだった気がします。

サロンワークが1番のメイン軸で、撮影やセミナー、ヘアーショーなどの外部の仕事もそこに全部紐づけされてくる。だから例えば撮影ひとつにしても、そこで終わらないように、サロンワークに活かせることや次の何かにつなげられるようなことを常に考えながらやっていました。

モード誌から一般誌までいろいろやりましたけど、僕としての捉え方はサロンワークも撮影も、モードもナチュラルも全部一緒です。何事も準備が必要で、準備したこと以上っていうのは多分できない。常に「準備が9割」という心構えでいます。

――サロンワークや撮影でいいパフォーマンスをするための準備には、どんなことが挙げられますか。

結局は日々の練習につきると思うので、スタイリストデビュー後もずっとウィッグを切って練習していました。撮影なら、自分たちでプレ撮影をするとか。本番と同じモデルさんを呼んで、衣装も何パターンか着せて、撮る画角も決めて。そのうえで当日はカメラマンさんにこういう風に撮ってもらいたいと伝えたり。そこまでしてはじめて撮影本番に臨めたという感じです。それはもう、20代の頃からずっと、もちろん今でもやっています。

サロンワークも撮影も、現場でいろんなことが起きたりします。それでもできる限りの準備をしておけば、対応できると思うんですよね。例えば撮影なら、別の衣装も持って行くとか、さまざまなタイプのスタイリング剤を用意しておくとか。何かあった時に対応できるようにしておくことも含めて、準備なんです。

――なるほど。その積み重ねで、対応力を鍛えてこられたんですね。

あとは、新しいチャレンジというのをいつも考えて、自分の技が停滞したり衰退したりしないように心がけています。今まではサロンの店長や代表という立場で教える方が多かったんですけど、独立した今は学ぶ側にまた戻った感じで、オンラインなどで技術を見たり練習したりしているんですよ。

地域密着型の湾岸エリアが、自分にフィット

ゴルフを始めたり犬を飼ったり、お客様からいろいろなきっかけをもらっているそう。「美容の技術でもプライベートでも、自分がやりたいことを教えてくれるのは絶対的にお客様です」。

――K.e.y 原宿の店長を経て、K.e.y 勝どきの代表に就任されました。その頃の印象的なできごとはありますか。

スタジオVで10年、K.e.yの原宿店で10年働き、そこから勝どき店の代表に就任しました。オープンしたのはまだコロナ禍の真っ只中。人が多く集まれて美容室が少ない場所を探したところ湾岸エリアが候補に挙がり、勝どきに出店しました。あの頃は目の前のことに必死でしたね…。立ち上げ時のメンバーは3人で、すぐ4人になり5人になりと増えていきました。

勝どきに異動したことで、自分の培ってきた技術がお客様にフィットして、リピートや紹介が増えました。それが自信にもつながったと思います。今振り返れば、自分の美容師人生において大きなターニングポイントでしたね。

――勝どきに移って、客層も変わりましたか。

少し変わりましたね。同世代の主婦の方や働く女性、子育て中の女性が増えました。自分も子供がいるので、そういう方々が求めることもわかりますし、お客様からもいつもたくさんのヒントをもらっていました。

――そんな中、独立したいという思いはいつ頃からあったのでしょう。

不満も何もなかったし、特に大きなきっかけがあったわけでもなくて。ただ、40歳を過ぎた頃から、この湾岸エリアでずっと美容師を続けていきたいという思いが芽生えて、自分の人生を考えるようになったんです。人生を逆算して、できることは何でも挑戦したいという思いもありました。

――小池さんにとって、湾岸エリアの魅力とは?

新宿や原宿のサロンで働いていた時のお客様は、周辺に住んでいる人というよりは電車に乗って通ってくださるという感じ。でも湾岸エリアは、地域の方たちが来てくださる感じです。この地域密着型なところが、自分にすごくフィットしたんだと思います。見ただけや聞いただけでは絶対わからない、実際に働いてみないとわからない部分をK.e.yの勝どき店で体験してみて、居心地がよかったんですよね。

――湾岸エリアとの出会いが人生の転機になった感じですね。

「守破離」(武道や茶道などで、修行における3つの段階を示したもの)という言葉があるじゃないですか。僕の20代は「守」で、たくさんの技術を学んで教えを守ってきた気がします。30代は「破」で、学んできたことを自分なりにアレンジして、磨いて。40代は「離」にあたると考えて、自分の形で新たにやっていきたいと思ったんです。

それまでは、自分のことよりも後輩たちをどう教育していくか、お店の売上をどう伸ばしていくかに重きを置いていましたが、もう一度自分のために時間を使って、チャレンジすることにしました。実際に独立を考えたのは、昨年(2024年)の夏の終わりくらいなんです。

――「en.」は2025年の1月にオープンですから、結構ギリギリですね!

覚悟を決めてからは早かったですよ。独立の思いを伝えてすぐここ(en.)の物件が出てきて、その翌週には内見して、驚くほどポンポンと進んでしまいました(笑)。



独立して、妻のTOMOMIさんと一緒に始めたサロン「en.」のお話や、ご夫婦のこだわりについては後編でご紹介します。

撮影/生駒由美
取材・文/井上菜々子

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en.
住所:東京都中央区佃2-16-8 HGD佃1階
TEL:03-6826-2837

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