理系脳と旺盛な好奇心に導かれて、ファッションからネイルの世界へ 私の履歴書 【ネイルアーティスト hiyoさん】#1

hiyoさんのInstagramのアカウントを開くと、そのカラフルで美しいネイルアートの数々に圧倒されるのではないでしょうか。バリエーション豊かな一方で、どこか一貫性もある世界観。hiyoさんらしさが光るアートワークは、ネイルを愛する多くの人々から熱い支持を集めています。

そんな唯一無二のネイルアーティストが当初憧れていたのは、実はファッションの世界でした。そこからどのようにしてネイルに惹かれ、その道を極めていくことになったのでしょうか。前編では、その経緯をhiyoさん自身の言葉で語っていただきます。

HIYO’S PROFILE

お名前

hiyo

出身地

三重県伊賀市

出身学校

武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科

憧れの人

ケイト・ランフィア(アメリカのファッションエディター)

プライベートの過ごし方

「あまり趣味と仕事の境目がないのですが、いろいろなものを見に出かけることですかね。洋服や雑貨、あと洋書もよく見に行きます」

趣味・ハマっていること

「家にいる3匹の猫と遊ぶこと! 元々犬を飼っていましたが、黒猫を拾ったのをきっかけに、猫の可愛さに気がつきました。今ではもうすっかり猫派です」

仕事道具へのこだわり

「新しい商材や気になった商材は積極的に取り入れて、まず使ってみるようにしています」

幼少期から憧れたファッションの世界に入るも、「何かが違った」

都内の美大へ進学後、幼少の頃から憧れていたというファッション業界へ進んだhiyoさん。そこで待ち受けていたこととは?

――hiyoさんが現在のようなネイルアーティストとなる前は、別の仕事をされていたそうですね。

はい。幼少期に志していたのは、美容業界ではなくファッション業界でした。小学生の時に、海外のコレクションをレポートする番組がありまして、よく観ていたんです。

それをきっかけとして、幼心に「ものを作る仕事がしたい」という夢を持ち、大人になったら東京に行くぞ! と意気込んでいました。

――そうだったのですね! ご出身の大学は、都内にある美大なのですね。

中学3年生の頃、担任の先生に「ものを作る仕事がしたい」と相談したところ、私が絵を描くのが得意だったこと、当時の担任の先生が美術を担当されていたこともあり、美大への進学を勧められました。美大を選択肢に入れたのはそこからですね。

高校は地元の公立高校に進学し、そこから美大を目指すことにしました。

――ファッション関係の職でしたら、専門学校という道もあったかと思いますが…?

進学した高校が進学校であったことから、できれば大学に行ってほしいと高校側から熱い説得を受けまして…(笑)。

そこで、服飾関係の勉強ができる東京の美大を探したところ、武蔵野美術大学(武蔵美)しかなかったのでここを目指すことにしました。しかし、美大受験は本当に大変で、よく合格できたなと今でも思います。

――どんなことが大変でしたか?

そもそも私は、中学の頃から数学が大好きでした。高校も理系でしたが、美大は文系だったので学科試験の科目は英語と国語でした。この学科試験で7割以上の点数を取らなければ、絵を描く2次試験には進めません。実技試験の対策だけでなく、学科試験の対策も並行せざるを得ませんでした。

また、地元には美大の予備校がなかったので、実技試験対策のために毎週末、高速バスで名古屋にある予備校に通いました。平日は通学、週末には名古屋で朝から缶詰になって受験対策、という毎日です。それでも週末しか通えないので、週に何度も通える人たちとは環境が違った上に、当初は画材の知識もゼロ。合格した時はよく間に合ったね、と周りからも驚かれました。

――美大の受験は過酷なのですね…!

なんとかやり切りました(笑)。今ではいい思い出です。

武蔵美ではファッションに関する勉強の傍ら音楽関係のサークル活動を楽しみ、卒業後はアパレルメーカーの企画職に就職しました。いわゆるデザイナーです。

しかし、私はここで「何かが違う」と違和感を覚えてしまいました。

――どんな違和感ですか?

きっと私は、デザイナーになりたかったわけじゃなくて、職人になりたかったんです。

デザイナーの業務は基本的には服をデザインするところまでで、その先の製造工程や、出来上がった製品がどのような人の手に渡るのかといった“その先”を見届けることは叶わない。しかし私は、最初から最後まで自らの手を動かして関わっていきたかったのだと、就職してから気付きました。

小学生からの夢だったけれど、どうしても続けることができなかった。2年ほど勤めましたが、結局辞めることにしました。

ネイルを極めようと思ったのは「あまりにもできなかったから」

自らファッション業界を後にしたhiyoさんは、どのようにしてネイルの世界に出会ったのだろうか

――アパレルメーカーのデザイナーを辞められた後のことを教えてください。

美大時代に所属していた音楽サークルの友人の伝手で、某有名小説にも登場するジャズ喫茶でしばらくアルバイトをすることになります。その時の同僚に誘われたことをきっかけに、彫金を習い始めました。

彫金の教室に一定期間通ってからは自分の作品を作り、少しですが作家としても活動しました。でも材料費は高いし、在庫を抱えるリスクもあって、仕事としては続けられないなと考えていましたね。その後、出産を機に彫金は辞めました。

しかしこの経験は、その後ネイルアートに携わる上でも役に立ったと思います。

――ネイルと出会うまでの経緯も、続けて教えてください。

しばらく育児に専念していましたが、子どもが1歳くらいになった時、ふと自分の時間ができるようになってきたんです。そのタイミングで、友人が通信でメイクアップの勉強をしていることを知り、私もやってみようと思いました。

その時、たまたまネイルのカリキュラムが通常よりもリーズナブルに受講できるキャンペーンのようなものをやっていて、せっかくなら! とネイルも学ぶことにしたんです。

――そんな背景が! その後、ネイルの道を選ばれたのはなぜですか?

自分が、自分で思っていた以上にネイルができなかったからです。

ある時、ネイルに検定があることを知り、受験することにしました。どちらかといえば手先が器用な方だと自負していたのに、赤色のポリッシュを上手く塗ることができなかったんです。この時に「もっと上手くなりたい!」と強く思い、ネイルの練習にどんどんハマっていきました。

――上手くできなかったことが、きっかけになることもあるのですね。

数学が大好きだった理系脳なので、なぜできないのかを考え始めたら、それが楽しくなっちゃったのかもしれません(笑)。

そこからは通信で学びながら練習を重ね、資格取得に励みました。また、実務経験も積むために通いやすい距離にあるネイルサロンに就職し、サロンワークも並行して行っていました。

結果的に、ネイリスト技能検定を1級まで、JNAジェルネイル技能検定試験も上級まで取得しています。

――ストイックですね…!

それだけネイルの世界にのめり込んでいたのでしょうね。さらに上の資格として、JNA認定講師やネイルの商材メーカーのエデュケーターなどがありますが、当時の私はまず後者の資格を取ることにしました。そして、好きなメーカーの試験にも無事合格し、エデュケーターとしての活動も始めることとなりました。

ちなみに、JNA認定講師およびJNA本部認定講師の資格も、その後改めて取得しています。受験条件が厳しい上に試験自体の難易度も高く、合格は至難の業でしたが、できないことがあるのがどことなく悔しかったのでめげずに挑戦しました。

――それだけのことを子育てしながらこなされていたのですか?

はい。でも、ネイリストって手に職で、やり方によっては自宅でもできる仕事じゃないですか。ということは、子育てとも両立しやすいと思ったんです。私は、仕事だけでなく子どもとの時間も大切にしたかったので。

きっと、私は「ネイリスト」というよりも「ネイルアーティスト」

「あまりにもできなかった」という衝撃の出会いをしたネイルだが、逆にのめり込み自己研鑽を続けた。その努力が、徐々に花開き始める

――エデュケーターとなってからのキャリアについてお聞かせください。

エデュケーターとして自分が所属するメーカーからの最新情報や新商品がいち早く手に入るのは、素直にありがたいことでした。それらを扱いながら自らのセンスを駆使してその魅力が伝わるようなアートを考案するのも楽しかったです。

また、エデュケーターの中からネイルアートを募集するコンテストのようなイベントもあったりして、私もよく作品を提出していました。そうする内に「アートが得意な先生」として、メーカー内で徐々に名が知られるようになっていったかな。

特に手応えを感じたのは、とあるネイルアートのフォトコンテストで優勝した時ですね。

――詳しく聞かせてください。

このフォトコン優勝のお祝いとして、所属するメーカーから雑誌のお仕事をいただいたんです。それまで雑誌の仕事に携わった経験がなかった私は「これが最初で最後の雑誌の仕事になるかもしれない」という気持ちで仕事をしました。

しかし、私の作品が編集部で話題になったみたいなんです。「この人のアートがすごい!」って。そこから、その雑誌からの指名で度々お仕事をいただくようになっていきました。

これまで手がけられた雑誌のお仕事も、一部見せていただいた。メディアのリクエストに応えながらも、指先の小さな10のキャンパスいっぱいにhiyoさんの世界観が広がる

――hiyoさんのアーティスティックな感性が、より広く世の中に認められた瞬間ですね!

うれしかったです! その後、エデュケーターをしているメーカーでアートディレクターとしてお仕事をさせていただくことにもなりました。それに伴い、以前よりセミナーやイベントでデモンストレーションなどを行う機会が多くなっていきました。

また、メーカーのエデュケーターとなった際に、勤めていたネイルサロンも辞めています。しかし、ありがたいことにお客様何人かからのご要望をいただき、不定期でサロンワークを行うことにしたんです。

ネイル商材のメーカーのエデュケーター・アートディレクターとしてのお仕事と、サロンワークを兼業する形となりました。

――ネイルの道を歩まれる方々の中でも、個性的な経歴をお持ちな印象です。

ネイルの道にも様々あって、世の中にはいろんなタイプのネイリストさんがいます。でも今改めて振り返ってみると、私は「ネイリスト」というよりは「ネイルアーティスト」という表現の方がしっくり来るかもしれませんね。

hiyoさんの自宅アトリエ。現在のサロンワークは通いやすい美容室の一角で行なっており、こちらは専らアートワークのための作業場としているそう

幼い頃からファッション業界に憧れてアパレルメーカーのデザイナーとなるものの、「自分がしたかったことではない」と気付き退職。好奇心の赴くまま様々なクリエイティブに触れていきますが、hiyoさんのハートを射止めたのは「全然上手くいかなかった」というネイルの世界でした。その後、各種資格取得などに伴いネイルを極めていく中で、だんだんとその実力を認められるようになりました。後編では現在の活動に関することから始まり、hiyoさんがネイルアートをする上で一貫して大切にしている「自分らしさ」のお話などを中心にお伝えします。

撮影/内田 龍
取材・文/勝島春奈

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hiyonail
住所:東京都八王子市南大沢2-13-4 リラーチェヘアラウンジ内
hiyo Instagram:@hiyo_2

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