ノルマに縛られず、お客さまと向き合いたい。この強い想いが起業の原動力に【ティナロッサ代表・齊藤あきさん#1】
起業して経営を続けていれば、さまざまな問題が起こるもの。降りかかるトラブルを乗り越え、順調に業績を伸ばしているサロン経営者に秘訣を伺う本企画。
今回は2008年に美肌・美髪ケアを専門にしている「スキンケアサロン ティナロッサ」の代表、齊藤あきさんをご紹介します。まだヘッドスパが広く知られていないころから、頭皮ケアに着目。オリジナルのメソッド「顔頭筋チューニング」を考案しました。
前編では美容師免許を取得してからエステティシャンを目指した理由、さらに2011年に起きた東日本大震災をいかに乗り越えたか、など伺います。
お話を伺ったのは…
スキンケアサロン ティナロッサ
代表 齊藤あきさん
岩手県出身。地元の美容専門学校を卒業後、岩手と東京で美容師としての経験を積む。その後、大手化粧品会社のプレステージサロンにエステティシャンとして勤務。2008年に美肌・美髪専門サロンを開業する。パーソナルビューティプロデューサー、毛髪診断士としてさまざまなメディアに出演するほか、講演会やセミナーの講師としても活躍している。近著に『美髪ケア大全』(主婦の友社)が。
美容師になったものの「向いてない」ことを痛感。ケアの道を選ぶことに
――齊藤さんは美容師免許をお持ちなのに、ヘアではなくエステに興味があったんですね?
実は高校生のころからエステティシャンになりたかったんです。祖父が理容師だったのですが、両親からは「美容系の仕事は将来性がない」と言われ、美容の道に進むことに反対されていました。それでも諦められなくて、美容専門学校に進学したんです。
――せっかく美容師の資格をとったのに、なぜエステティシャンの道に?
美容師になるためにサロンでいろいろ学びましたが、私はスタイルをつくることよりお手入れのアドバイスをする方が向いている…と思い知りました。
私が勤めていたヘアサロンは年齢が高めのお客さまが多くて、「髪にハリやコシがない」、「思うようにスタイリングが決まらない」というお悩みが多かったんです。これは髪と頭皮に問題があって、根本をケアしない限り解消できません。スタイルでお悩みをカバーすることより、美しい髪を養うためのヘアケア法をお伝えしたい…と思うようになりました。
それで4年ほど勤めたヘアサロンを辞めて、大手化粧品のプレステージサロンに就職しました。
――数あるサロンの中から、ハイクラスのサロンを選んだのはなぜですか?
学生のころから、接客と技術を学ぶためにいろいろなサロンで施術を受けていました。そのひとつが、私が就職したプレステージサロンだったんです。技術も雰囲気も申し分なくて、「ここで働きたい!」と思いました。就職の面接の時、施術を受けたときの想いとここで働きたいという熱い想いを伝えたら、採用してもらえました(笑)。
――念願のエステティシャンになったのに、起業したのは何かきっかけがあったのですか?
もともと「起業したい」という想いはありましたが、実際に起業するきっかけになったのは、ノルマや売上を気にしなければならなかったことですね。勧めたくない化粧品を売らなくてはならなかったり、お客さまに「本当に必要なこと」を考えた接客ができなかったり。それが大きな理由です。
――起業するには、店舗をどこにするか、顧客をどう確保するか、不安はありませんでしたか?
その頃には私にも特定のお客さまが何人もいらして、「もし私が独立したら、私のサロンに通ってくださるか」と伺ったところ、ほとんどの方が通ってくださるというお返事でした。お客さまのその言葉が自信になって、起業を決心しました。
お客さまは50代以上の方がほとんどだったので電車で通いやすく、しかも駅から近いこと、プラス静けさが確保された物件を中心に探しました。それが今の場所です。
――施術は前にお勤めだったサロンと同じ内容ですか?
起業したのと同時に、顔頭筋チューニングを考案しました。私が起業した2008年当時はヘッドマッサージや頭皮ケアを導入しているサロンはとても少なかったんです。女性が男性化するこれからの時代、「髪の悩みは必ず増える」と確信していました。ただ、ヘアケアとか育毛を全面に打ち出すと通いづらいですよね。そこでフェイシャルをメインにしたメニューを組み立てました。頭皮をマッサージするとくすみも取れますし、顔の引き上がり方がぜんぜん違うんですよ。
――宣伝などはどうしていましたか?
チラシをつくって、自分でポスティングすることもありましたし、ブログをこまめに更新してヘアケアに関する情報を発信していました。2011年には毛髪診断士の資格を取得して、毛髪のプロとして雑誌などの取材を受けるようになったんです。ブログなどを通して地道に情報を発信するうちに、少しずつ仕事の幅が広がっていきました。何ごとも根気よく続けることは大事ですね。
――2008年の開業から14年目を迎えますが、ここまで長く続いた秘訣は何でしょうか?
世の中にエステティックサロンはたくさんあります。その中で目にとまってもらうには何か「特化した」ものが必要です。私は「髪」というニッチなところに着目したのが良かったのだと思います。
東日本大震災でボランティアを体験。被災地の活性化が次なる活動のヒントに
――齊藤さんのご出身は岩手。2011年の東日本大震災でご実家は大丈夫でしたか?
私の実家は津波などの影響を受けませんでしたが、多くの方が避難所で生活を送っていました。地元の避難所に電話をかけたら、「化粧品がまったく足りない」と言われたんです。つてを頼りに資生堂OBの方に事情を説明して、急きょオールインワンの化粧品を500本つくっていただきました。陸前高田と気仙沼にこの化粧品を届けるついでに、ハンドマッサージをしてきたんですよ。ガサガサだった肌がうるおって、みなさん喜んでくださいました。マッサージをしたのは手元だけでしたが、みなさん笑顔になって心のデトックスになったようです。スキンケアは見た目だけではなく、心まで変えるんですね。この仕事をしていて本当に良かったと思える経験でした。
――急きょ化粧品をつくってしまう、齊藤さんの機動力はすごいですね。
実はその後、被災者の方から「すごくいいから買いたい」とお電話をいただいたんですよ。もともと販売する予定はなく、数量限定でつくったものだったのでお届けできなかったのが心残りでしたね。
被災地が復興するには時間がかかるのは分かっていました。そこで地元の素材を化粧品に生かしたら、復興のお役に立てるのでは…と思い立ったんです。陸前高田の農家さんと提携した化粧品づくりを始めました。素材から成分を抽出するのはすごく難しいんです。この時も資生堂OBの力を拝借しました。
何もない状態から化粧品を作るには技術も資本も必要です。私一人の力ではどうにもならないことなので、クラウドファンディングで資金を調達しています。サロンに通ってくださるお客さまも応援してくださっているんですよ。
――素材にも、とてもこだわっているんですね。
ベースの水は青森の白神山地の名水を採用しています。米ぬかは岩手、ジュンサイは秋田という具合に東北の農家さんにもご協力をいただいて、ようやく製品化しました。
販売するだけでなく、サロンの施術にも使用しています。
「東北のために何かしたい」という気持ちを、形にすることができました。
齊藤さん流! サロンを開業するまでに心しておきたい3つのポイント
1.お客さまの「通いやすさ」、「動線」を考えた立地を選ぶこと
2.誰もが考えるメニューではなく「ニッチ」なジャンルを見つけること
3.オリジナルのメソッド、オリジナルのスキンケアなど「独創性」を加えること
常にお客さまのことを考えて行動なさっている齊藤さん。後編では、このコロナ禍による試練をどう克服したのか、さらに経営を継続させるために齊藤さんご自身が心していることなどを伺いました。
撮影/森 浩司