コンプレックスがなくなることで人生が変わった。自らの体験を仕事に【プライベートサロンAnge aider代表 長屋かおりさん】♯1
小学生のころから悩み続けたニキビのコンプレックスをエステで解消。その経験で人生が大きく変わったという長屋かおりさん。長屋さんは、美容師見習い時代にエステティシャンのディプロマを取得し、アパートの一室でひとりサロンを開業します。
自身がよいと実感したものだけをお客様にすすめることで、施術も物販も好調なスタート。でもスタッフの育成面では苦労し、一度に3人のスタッフが辞めてしまったことも…。今年20周年を迎えるエステサロンの歩みについて詳しくお伺いします。
KAORI’S PROFILE
お名前 |
長屋かおり |
|---|---|
出身地 |
大分県 |
出身学校 |
大分県理容美容専門学校(元明日香美容専門学校) |
憧れの人 |
長谷川エレナ朋美さん |
プライベートの過ごし方 |
愛犬と過ごす |
趣味・ハマっていること |
風水や吉方位取り |
仕事道具へのこだわりがあれば |
効果がわかるものを使う |
効果の実感できるものを厳選して施術も物販も好調スタート

――まずエステティシャンを目指した理由を教えてください。
小学生のころからひどいニキビや肌荒れに悩まされていて、それと毛深いこともコンプレックスで、働き始めたら絶対エステに通おうと決めていました。当時のエステはいまより高額だったのでかなり投資しましたが、でもそれを超える満足感があったんです。コンプレックスがなくなることで、人生が大きく変わる感覚を覚えました。
当時は美容師見習いをしていましたが、ちょうど離婚するタイミングで「娘のためにも一生働くならエステティシャンになろう」と決意。アパートの一室でひとりエステサロンを始めました。
――美容師としての経験はあるにせよ、いきなりひとりエステティシャンは大変だったのでは?
離婚準備中にエステの専門学校に通い、まずはフェイシャルとボディのディプロマを取得していたんです。その後も、通っていたエステサロンに紹介してもらった化粧品メーカーに通い、手技や化粧品について教えてもらいながら、なんとか開業にこぎつけました。
――娘さんのためにもがんばろうという覚悟が強かったのですね。
そうですね。ただ自分の両親が近くに住んでいたので、娘の面倒はよく見てもらいました。娘はまだ5才だったので、ひとりで家においておくことはできないので。両親がいなかったら現在のAnge aiderはなかったと思います。
――集客は順調だったのでしょうか。
いま思えば時代がよかったんですよね。タウン誌に広告を載せると結構集客できて、その方たちがリピートしてくださいました。それと物がめちゃめちゃ売れる時代だったので、化粧品はもちろん同じ化粧品メーカーの下着など、自分が使って効果があったものをおすすめすることで、高額な商品も買っていただけたんです。
家賃5万のアパートの一室で始めて、いま考えたら申し訳ないくらい素人感満載のサロンでしたが(笑)、赤字になるようなことはなかったですね。
脱毛コースのお客様をフェイシャルやボディに移行

――長屋さんのサロンは、施術メニューが多いですよね。
最初はフェイシャルとボディ、まつ毛パーマのみでしたが、お客様のニーズが増えるとともに施術メニューも増えていきました。
開業2年目にいまの場所に移転するタイミングで、自分の人生が変わるきっかけにもなった脱毛メニューを導入。定期的に来てくださる脱毛のお客様は、美容に興味のある方も多く、フェイシャルやボディをご案内すると移行してくださる方が多かったです。脱毛そのもので利益を得るというよりは、そこから派生するフェイシャルやボディの売上が業績アップにつながりました。
――フェイシャルやボディの特徴は?
ドクターリセラのシリーズを使用しています。私自身30才を境に、突然ほうれい線がバーンと目立つようになって、それまでサロンで使用していた化粧品ではケアできなくなったんですよね。そのときに紹介してもらったのがドクターリセラ。ただ潤すだけでなく、お肌の細胞が生まれ変わることで、気になっていたほうれい線にも即効性を感じることができました。それ以来、ずっとドクターリセラを使用していてお客様にも喜ばれています。
――サロンはずっとひとりでやってこられたのですか。
娘が小学生になったのと、メニューが増えたタイミングでスタッフも増えていきました。スタッフが増えることで確かに業績は伸びましたが、大変なことも…。
――どんなことがあったのでしょうか。
ある日の夕方、ふいにサロンに戻ったらなんとなくサロンの雰囲気が違うんですよね。どうやらスタッフルームにコーヒーポットやらを持ち込んでみんなで宴会していたようで(笑)。スタッフ間はめっちゃ仲がよかったし、売上が上がっていればいいかなと思っていたのですが、他にもいろいろおかしなことに気づき始めて。
そこでわたしが教育らしいことを始めたんです。でもわたし自身、サロンで働いたこともなければ、スタッフの育成に関して何も学んでなかったので、ただただうるさい人みたいになってしまって。だからいっぺんに3人辞めました。
――それは一大事。どう切り抜けたのですか。
これがまたわたしの甘いところで、今度は友だちに頼むわけですよ。電話番だけでもいいから来てくれないかと。そのまた友だちを雇用したり。スタッフの育成面で悩んでいたので、ドクターリセラの方に毎月来てもらって、わたしも一緒に教育を受けました。そうやって10年くらいはスタッフがいたのですが、それでもなかなかうまくいかなくて…。
――その後はどうされたのでしょうか。
ドクターリセラの方が、兵庫県でひとりサロンをやっている方を紹介してくださって、現場を見せていただいたんです。それを見て、一人でこんなにできるんだったらそれでいいかもしれないと思って、そこから現在までひとりサロンを運営しています。スタッフの育成がいちばん苦労したというか、うまくいかなかったこと且つ反省すべき点ですね。
後編では、長屋さんが経営するもうひとつのサロンについてお伺いします。とても興味深い予約のいらないフェムテックサロンとは?
取材・文/永瀬紀子
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