「肩の力を抜く」ことの大切さを、子育てを通してようやく体感!【apish国分寺 スタイリスト 青木亮子さん#1】
美容業界で働きながら子育てに奮闘するワーキングママにお話を伺うこの企画。今回はapish国分寺にスタイリストとして勤務している青木亮子さんに、仕事と育児の両立法などをインタビューしました。
独身のころの青木さんは朝から夜遅くまでサロンワークをこなし、店長やマネージャー、講習会の講師を務めるなど、キャリア優先の生活を送っていました。それが結婚し、赤ちゃんが授かることで状況が一変! 前編では仕事ひと筋だった生活が、お子さんを授かったことでどのように変わったのか、仕事と心の変化について語っていただきました。
お話を伺ったのは…
apish国分寺 スタイリスト
青木亮子さん
2004年に美容専門学校を卒業後、apishに入社。その後6年半のアシスタントを経て2011年にスタイリストとしてデビューする。その後apish Cherieの店長、JENOではマネージャーに就任するほか、セミナーの講師を務めるなど順調にキャリアを築く。その後2018年に結婚し、2019年に第一子、2020年に第二子を出産。現在はapish国分寺店とapish Cherieでスタイリストとして勤務している。
デビューまで6年半。時間をかけた分だけ「引き出し」を増やせた貴重な経験
――青木さんのキャリアはとても華やかですが、アシスタント歴が長かったんですね。
アシスタント時代はお笑い担当というか、場を和ますことに一生懸命で技術を覚えることが疎かになっていました(笑)。でも、そのおかげでいろいろな先輩のアシスタントに就くことができて、技術や接客だけでなく、ものの考え方など自分の中にたくさんの引き出しをつくることができました。
「こんな私でもスタイリストになれるんだ」という見本になって、後輩たちの希望になれたら…と思っていました。
――スタイリストになってからは、とても順調にキャリアを築いていますね。
スタッフが全員女性のapish Cherieでは店長を経験しましたし、表参道につくったコンセプトサロンのJENOではマネージャーを担当していました。
その当時の私は常に仕事100%で、「スタッフ全員をどこへ行っても活躍できるような人材に育てる」とか「お客さま全員に満足していただきたきたい」など、いつも仕事のことを考えていて、ピリピリしていました。
今から考えると、30歳を過ぎるまでずっと反抗期が続いていたのかもしれません(笑)。4歳上の姉と6歳下の妹に挟まれた真ん中に生まれて、ずっと愛情不足を感じて育ちました。そのせいもあって、誰かに甘えたり頼ったりすることがよく分からなかったんですね。それで、サロンでも「私がやらなくちゃ!」と思い詰めていたのかもしれません。
でも、当時は仕事がすごく楽しくて先輩たちから「肩の力を抜きなよ」とか「もっとサボったら?」とか言われることがあっても、どうすれば力が抜けるのか、分かりませんでした。
――結婚や出産のことも考えていたんですか?
当時は「結婚しないでこのまま仕事を続けていくんだろうな」と漠然と思っていました。
――そんな青木さんが結婚・出産を決意なさったのはなぜですか?。
先輩から紹介された方とお付き合いを始めて「この人なら信頼できる」と初めて男性に対して感じることができました。信頼感が深まるうちに「子どもが欲しい」と素直に思えるようになったんですよね。付き合い始めたのが34歳でしたから、結婚や出産のタイミングもちょうどよかったのかもしれません。
頑張りたいのに頑張れない。もどかしさと悔しさで落ち込む日々
――妊娠・出産は計画的だったんですか?
ただ漠然と「子どもがほしい」と思っていましたが、まったく計画していませんでした。妊娠が分かったのも、代表の坂巻から「食事をしながら今後のことを話し合おう」と言われて、ミーティングしたその翌日ですから(笑)。
産休・育休で迷惑をかけてしまうな…と思いながら、まずはapishのワーキングママ第1号でプレスをしているヒグチに報告しました。そうしたら「よかったね~。おめでとう!」と言ってもらえてホッとしました。
――マネージャー職に就いていると、産休に入るのも大変だったのでは?
妊娠が分かるまではサロンワークのほかに、あるときは営業時間前に撮影に参加したり、営業時間後に打ち合わせをしたり、朝から晩まで仕事をしていました。妊娠が分かったときからつわりがひどくて、仕事をしたくても体が思うように動かないのが辛かったですね。
あるとき、体調があまりにひどくてお客さまのカットが終わって、途中からアシスタントに代わってもらったことがありました。バックヤードで休んでいるときにお客さまとアシスタントの会話が聞こえてきたんです。アシスタントが本当に一生懸命で、お客さまのことも私のことも気遣いながら仕事をしているのがヒシヒシと伝わってきました。いつの間にか成長してるのが嬉しい想いと仕事ができない自分が情けない想いと、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになって涙が止まりませんでした。
――つわりがひどいと、立っているだけでもつらいですよね。
それで妊娠5か月くらいまで週2~3日、それ以降は週1日の勤務に変えてもらって、8か月目まで働いて産休に入りました。それまでの私は仕事しかなくて、私から仕事を取ったら何も残らない…と思い込んでいました。それが妊娠をきっかけに、急に仕事から引き剥がされた感覚ですね。でも仕事から離れたおかげで、今まで見えなかったことがいろいろなことが見えてきたんです。
私をサポートしてくれている先輩や後輩、お客さまに対しても、感謝の気持ちしかなかったですね。店長やマネージャーをしていたころは、どんなに苦しくても「辛い」とは言えませんでした。自分で勝手にいろんなものを背負っていたんですね。つわりで苦しんでいると、まわりのスタッフが気を遣って炭酸水を持ってきてくれたり、クッションを当ててくれたり。やさしさが染みました。
――産休・育休中はお店のことが気になって仕方がなかったのでは?
お店のことをまったく考えない訳ではありませんでしたが、産休中はものすごい解放感でした(笑)。朝から晩まで仕事をしていましたから、私にとって昼間はまったく未知の世界だったんです。「あ~雲がきれいだな」とか、目にするものが新鮮で楽しかったですね。
産休・育休を取った後は1年以内に復職する予定でしたが、保育園がなかなかとれなくて。ようやく1年半後に復職することができました。
青木さんが産休を取るまでに心がけた3つのポイント
1.後輩たちを信頼してサポートしてもらう
2.自分の弱い部分をさらけ出すこと
3.先輩たちのアドバイスを受け入れること
「辛い」のひと言を周りに言い出せず、1人で頑張っていた青木さん。そんな青木さんがつわりで思うように仕事ができなくなったとき、周りがあれこれサポートしてくれたのは普段の頑張りを認めていたからこそ。仕事100%だった生活が、妊娠によって少しずつ変わったようです。後編では、育休が明けて復帰するまでに大変だったこと、家事や育児のストレスを溜めないように心がけていることなどを伺います。
撮影/古谷利幸(F-REXon)