やってみないと分からない! 仕事も子育てもマニュアルより「トライ&エラー」が大事【ピュビケアサロン白金台 セラピスト 金光しんさん】#1
美容業界で働きながら子育てにも手を抜かないワーキングママやパパに仕事と育児の両立法を伺うこの企画。今回は、デリケートゾーンのケアに特化したサロン『ピュビケアサロン白金台』のセラピスト、金光しんさんを取材しました。
金光さんはシングルママで、9歳の男の子と二人暮らし。前編では美容業界の中でもデリケートゾーンのケアに着目した理由、仕事熱心なあまり切迫流産に見舞われてしまったこと、結婚から離婚に至るまでの葛藤、などをご紹介します。
お話しを伺ったのは…
ピュビケアサロン白金台
セラピスト 金光しんさん
高校卒業後、ネイルサロンやアロマテラピーなど美容にまつわるさまざまな職業を経験。15~6年前にブラジリアンワックスと出会い、天職と確信する。デリケートゾーンのケアに特化したサロン『ピュビケアサロン白金台』のオープンとほぼ同時に入社し、現在に至る。
早く産んで早く復職したい! この焦りが切迫流産を招くことに
――金光さんが美容業界に興味を持ったきっかけは?
父は結婚する前は美容師をしていて、母は専業主婦でしたが裁縫が得意な女性でした。そんな環境で育ったせいか、きれいになることは私の中では自然なことだったんです。小学生の頃から、漠然と美容業界で働きたい気持ちがありました。ただ美容師やメイクアップアーティストには向いていないと思っていたので、それ以外の何かを常に探していました。
――ワックス脱毛に辿り着いたのは、どんなきっかけですか?
美容には与えるケアと、そぎ落とすケアの2種類あると思うんです。私は与えるよりそぎ落とすケアが向いていると気づいたんです。このピュビケアサロン白金台に入社する前は別の全身脱毛のサロンで働いていました。美容の職種はたくさんありますが、ワックス脱毛は瞬時に結果が出ます。そこがいいんです。
――ご結婚なさったのは、今のサロンにお勤めになってからですか?
2011年に出会ったので、もうこちらで働いていました。30歳を過ぎた頃で、子どもを作るならちょうどいいタイミングかも…という想いもあって結婚を決めました。
デリケートゾーンをケアする仕事柄、妊活をなさっているお客さまにアドバイすることが多く、私自身も東洋医学、自然療法などを勉強していました。結婚を機に、ありとあらゆる自然療法を取り入れて、妊活に励んだんですよ。
――お子さんを授かるまでに時間がかかりましたか?
おかげさまで結婚から1年弱で授かりました。当時の夫もすごく喜んでいて、私のことをいたわってくれていたんですよ。
――妊娠中に困ったことはありましたか?
困ったことは特にありません。ただ、私は仕事が大好きで、産休に入る前に少しでも「働いておかなくちゃ!」と思って、身体を酷使しすぎたようなんです。早く産んで早く職場復帰しようと思っていたのに切迫流産と診断されて、その日から入院することになってしまいました。
――何ヶ月目ですか?
6か月を過ぎた頃です。これからお腹が大きくなる…という時期だったんですね。
産休に入ったらアレをやってコレをやって…って妊婦生活を満喫するはずだったのに、いわば強制終了です。ベッドに寝たきりで24時間ずっと点滴。身柄を拘束されている感覚でした。当時はSNSもそんなに一般的ではなく、できることは本を読むことくらいでしたね。点滴の影響もあったのか、「なんで私だけ」という想いがどんどん募って、うつ状態になっていました。
――出産までその状態が続くのは辛いですね。
「逃げ出したい」という気持ちがどんどん強くなって、実際、本当に逃げたんですよ(笑)。頭ではおとなしく入院していなくちゃいけないのは分かっているんですけど、ガマンできなくて。とは言え、隠れる場所がないので実家に逃げたら、母にひどく怒られてタクシーで病院へ戻りました(笑)。
病院でも私の辛い気持ちを分かってくれたようで、赤ちゃんに影響が出ない範囲であれば、ネイルもマッサージも許可してくれるようになりました。逃げた甲斐がありました(笑)。
区のひとり親サポート制度+実家とサロンもフル活用!
――離婚を決意なさったのはいつですか?
切迫流産で入院しているときです。入院前から元夫との関係がギクシャクしていたところに、ホルモンの乱れと入院中の鬱々とした気持ちも加わって、私の中の母性がすごく強くなっていたようです。「子どもを守る!」という意識が強く働いて、その矛先が彼に向いてしまったのかもしれません。
母から「子どもが産まれる前に別れちゃいなさい」と言われたのが、きっかけになりました。1月の出産を控えて、年が明ける前に別居することにしました。
――出産後はどうなさったんですか?
実家に戻って、1か月ほどで職場復帰しました。ずっとテンションが上がっていて、サロンには「復職させてください」とお願いして、時短勤務で戻りました。「もう少し様子をみたら」と言われましたが、「仕事をしたい」という想いと、働いていないと取り残されてしまうような焦りがあって、どうしても復職したかったんです。出産まで入院する羽目になりましたが、産前産後で3か月休んだだけですみました。
――保育園は見つかったんですか?
生まれたばかりでは預かってもらえない所がほとんどだったので、半年間は母に預けていました。疲れ果ててましたね(笑)。母の都合が悪ければサロンに連れてきて、バックヤードであやしながら仕事をする日もあったんですよ(笑)。
旦那さんというサポートはありませんが、サロンと家族のサポートがあったので心強かったですね。区のひとり親制度もフル活用しました。そのひとつがベビーシッターです。男の子を育て上げた60代の先輩ママがシッターとして来てくれて、メンタル的にも支えてもらいました。
それからしばらくして保育園に預けられるようになり、だいぶラクになりましたね。
金光さん流! 産前産後を自分らしく乗り越える3つのポイント
1.「妊婦だから」とガマンしない。無理のない範囲で希望を伝える。
2.区の制度はもちろん、サポートは何でも利用する。
3.何ごとも計画通りになると思わない。ときには開き直りも必要。
結婚から離婚そして出産と、まるでジェットコースターに乗っているかのような体験をなさった金光さん。後編では、コロナ禍で過ごした親子の時間について、ひとり親だからこそ大切にしているご近所付き合い、子育てのモットーについて詳しくご紹介します。
撮影/森 浩司