“ひらめき“と“縁“に導かれて、色彩豊かなメイクの世界へ 私の履歴書 【メイクアップアーティスト 天野雅之さん】#1
「GIORGIO ARMANI beauty(ジョルジオ アルマーニ ビューティ)」、「HELENA RUBINSTEIN(ヘレナ ルビンスタイン)」、「CHANEL(シャネル)」そして「SHIRO(シロ)」——誰もが一度は目にしたことのある、錚々たるコスメティックブランドでメイクアップアーティストとして活躍してきたのが、今回お話を伺った天野雅之さんです。
単にメイクを施すだけでなく、トレーナーとして社内外でレッスンも行い、培ってきた技術を「伝える」ことも積極的に行ってきたという天野さん。
前編は、男性である天野さんがメイクアップアーティストとしての一歩を踏み出すまでの物語です。なぜメイクの道に進んだのでしょうか。そして、どのようにメイクと共に歩んできたのでしょうか。
AMANO’S PROFILE
- お名前
- 天野雅之
- 出身地
- 愛媛県
- 年齢
- 44歳(2024.07時点)
- 出身学校
- 松山大学 経済学部
フロムハンド メイクアップアカデミー - プライベートの過ごし方
- 料理
「得意料理は豚汁です。昆布とカツオの、2種類の出汁を使うのがポイント」 - 趣味・ハマっていること
- 「プライベートの過ごし方とかぶってしまいますが、やっぱり料理をするのは好きです。味付けに関する足し引きなんかはメイクアップとも通ずるものがあって、レッスン時には料理を例にして説明することもあります」
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 「ブラシの形状や毛質ですね。仕上がりから逆算して用意します。気がつけば何十本という数を揃えていました」
きっかけは「朝、窓のカーテンを開けた時」
――天野さんはなぜメイクアップアーティストを志したのですか?
実は、明確に「メイクをやろう」と決めた瞬間があるんです。
僕は高校を卒業した後、地元・愛媛にある松山大学の経済学部に在籍していました。ちょうど大学3年生から4年生にかけて、将来のことを考え始めた頃のことです。朝起きて自室の窓のカーテンを開けた時に、自分の中にあった要素が合致して、「メイクアップアーティストになろう」と思ったんです。
――まるで、天啓みたいな出来事ですね。どのような要素が合致したのですか?
学生時代は写真が趣味で、その中でも特に空や花などといった、「色彩」に強く惹かれていました。また、学生時代にレストランで接客業のアルバイトをしていて「人に喜んでもらうこと」が好きだと気がついたんです。
この2つが合致した時、「メイクだ」って思ったんですよね。もう、直感としか言いようがないんですけれど。
――4年制の大学に通っている最中に、方向転換を?
大学はそのまま卒業して、その後はメイクアップについて学ぶために専門学校を探しました。僕より先にメイクアップの専門学校へ通っていた友人がいたので、その方にもアドバイスをもらいながら。
そして、東京・原宿にある「フロムハンド メイクアップアカデミー」という専門学校へ通うことに決めました。
チャレンジの連続だった、専門学生時代
――東京には美容系の専門学校がたくさんあります。どういった点が「フロムハンド メイクアップアカデミー」を選ぶ決め手になったのでしょうか?
以前、モアリジョブの「私の履歴書」でも取り上げられていたメイクアップアーティスト・小林照子さんが学長を務められていることもあって、メイクアップに特化していたからです。
僕にはメイクアップアーティストになるという明確な目標がありましたし、4年制の大学を卒業してからの進学だったので、やりたいことに集中できる環境がベストだと思って。2年制のコースに通っていました。
――それまでに、メイクアップをされたご経験は?
全くありませんでした。力加減がわからないので、人の顔に触れるのも恐る恐るといった状態です。ビューラーでまつ毛を挟むのに失敗して、瞼も一緒に挟んでしまったりまつ毛が抜けてしまったりなど、失敗もたくさんしました。
だけど一方で、何をするにも新鮮で、今まで知らなかったことをどんどん知るのが純粋に楽しかった。毎日が学びの連続で、とても充実した日々でした。
――学生時代、印象に残っている出来事はありますか?
外部講師の方による授業だったかな、その課題の中で、僕はモデルさんの顔全体を緑色に塗ったんです。そうしたら、「自由な発想でおもしろい!」と講師の方に褒めてもらえたことがありました。
男性の僕は、女性よりもメイクの経験は少なかったと思いますが、今まで経験していなかったからこそ、定石にとらわれない、斬新な発想ができたのかもしれませんね。型にはまらない創造力が大切なんだな、と教わった気がします。
美容部員からのスタート。実績を示し、メイクアップアーティストへ
――専門学校卒業後の就職先は、どのようにして決められたのでしょうか?
在学中から、株式会社ロレアルの「GIORGIO ARMANI beauty」でインターンシップをしていたんです。2年生の時、学校から、僕の雰囲気に合いそうだと推薦してもらったのがきっかけでしたね。そんなご縁もあり、卒業後はそのままこちらに就職することとなりました。
――最初からメイクアップアーティストとして採用されたのでしょうか?
いえ、最初は美容部員として店頭に立ち、販売職をしていました。2004年のことです。インターンシップは経験していましたが、それでも初めてのことや覚えることが多く、毎日必死でした。当時は男性の美容部員も増えてきた時期で、珍しくなくなっていましたね。
――美容部員からのスタートだったんですね。そこでのキャリアは、いかがでしたか?
まずは自分のメイクスキルの向上と、売上の実績を上げること。この2つに注力しました。
香水やスキンケアと違い、メイクは口頭だけの販売ではなく、実際に試してもらい仕上がりに納得した上でご購入いただけるのがベスト。そのため、それを形にする技術を身につけることが重要です。
そのようにお客様にご満足いただくためのメイクスキルを身につけると同時に、販売員である以上、自社製品を売らなければなりません。当時、ずっと売上1位だった凄腕の先輩社員がいたので、「絶対にこの人を超えよう」と決めていました。1年くらいかかりましたが、なんとか超えて1位を取ることができましたね。マグレだと思われないために、その次も超え続けました。
――その目標を達成するために心がけたことはありますか?
とにかくカウンセリング力を磨くことです。
まずはお客様のお悩みや希望を、できる限り正確にヒアリングすること。それを踏まえて適切な製品を選択し、それを使うことでの変化やメリットをお伝えしつつ、ご自身でもできる使い方までを、お時間の許す限りレクチャーしていました。
また、なるべく細かく具体的な質問をすることで、お客様の感覚に寄せるように努めていました。
例えば、お客様から「青色のアイシャドウを探している」と相談されたとしましょう。でもその場合、そのお客様が思い描く「青」と、僕が思う「青」はどうしても異なるんです。
さらに、その上でお客様の肌やご希望にそぐわないと判断したものは、その明確な理由を添えてお伝えし、よりお客様に合う別の製品を提案していました。例えそれが、現在売り出し中の新製品であってもです。
事前のヒアリングがしっかりできていれば、お客様も納得してくださいます。またそれ以上の、お客様の満足感や信頼感にもつながると信じています。結果として、わざわざ電話で僕の出勤日をご確認いただき、指名していただけるお客様が増えたことで、売上にも貢献しました。
現在、オンラインによる予約制のメイクレッスンを実施していますが、美容部員時代に鍛えたカウンセリングのスキルも生きていると思います。
――逆に、どのような点に注意していたのでしょうか?
「自分の物差しでお客様を見てはいけない」ということですね。美容部員時代の店長から言われた言葉ですが、とても印象的でした。先ほどの色の話もそうですが、何をどれだけ買うかということも、選ぶのも決めるのも、すべてお客様なんです。
当たり前に聞こえるかもしれませんが、意識していなければ意外とできないんですよね。僕自身も、お客様に対して「押し売りになってしまうのではないか」と、お客様の財布の紐を気にしてしまうことがありました。そんな時に、店長からこの言葉を言われたんです。
これらを徹底できたからこそ、美容部員として実績を残し、その後、活躍の場を広げることに繋げられたと思っています。
――店頭での販売以外には、どのようなご活躍を?
「GIORGIO ARMANI beauty」には3年ほど在籍しましたが、2年目くらいから雑誌関係やファッションショーのバックステージなどの現場、プレス向けの新商品発表会で行われるメイクアップショーなどでメイクをさせてもらう機会が増えていったんです。
それらを、同じ会社(運営元の株式会社ロレアル)の「HELENA RUBINSTEIN(ヘレナ ルビンスタイン)」の部長が見てくださっていて。ブランドのメイクアップアーティストとしてお誘いいただき、異動することになりました。
天啓のような出来事から心機一転、メイクアップの世界へ足を踏み入れた天野さん。新たな知識を貪欲に吸収した学生時代を経て、有名コスメブランドへ就職。美容部員から始まり着実に実績を上げ、ついにメイクアップアーティストとしてのキャリアを本格的にスタートさせることになりました。後編では、メイクアップアーティストとしてのキャリアを築きながら活躍の場を広げ、さらなる挑戦を続ける天野さんの姿をお伝えします。
撮影/野口岳彦
取材・文/勝島春奈