ジュリークの日本展開に日本初女性専用漢方薬局、独自のビジネス展開でオーガニックビューティーの第一人者に 【美容家・吉川千明さん】♯2

言わずと知れたオーガニックビューティーの第一人者、吉川千明さん。リクルートとイタリアのモダンファニチャー・アルフレックス時代の経験が、美容業界に入った30代で一気に花開き、いくつものサロン経営を成功させることになります。

ジュリークショップの多店舗展開、日本初の女性専用漢方薬局「若草漢方薬局」。さまざまなビジネスを展開してきた千明さんの真ん中にあったのは、いつでも「お客様マインド」だったのです。

ジュリークの多店舗展開を成功させた秘訣は「人育て」


1990年代よりオーガニックコスメと植物美容を日本に広げたナチュラルビューティーの第一人者。1994年にオープンしたデイスパ「白金台ビオパスカル」はオーガニックサロンの草分けに。1997年、オーストラリアのオーガニックブランド「ジュリーク」の日本初・旗艦店を青山にオープン以後、2011年までジュリークの日本での発展にまい進。都内に8軒のショップとスパを展開。2003年、日本初の女性専用漢方薬局「若草漢方薬局」を銀座にオープン。2008年、オーガニックコスメのPRルーム「ビオ代官山」をオープンし、PR、セミナー、イベント、コンサルティング業務を行う。2010年よりジェイアール名古屋タカシマヤで主宰する「ナチュラルビューティースタイル展」は、日本最大規模のオーガニックコスメイベントに。産婦人科医対馬ルリ子先生との「女性ホルモン塾」は20年間で通算167回を超える。

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――千明さんといえばジュリークのイメージが強いですが、どのような経緯で日本初の旗艦店をオープンされたのでしょうか。

元夫がアデレードに撮影に行ったときに、たまたまジュリークの商品を持ち帰ったんです。日本ではまだ誰も知らないブランドでしたが、とてもいい香りがして、肌がすごく落ち着いて。業務用の化粧品はサロンのシンク下にボトルのまま余ってたりするんですけど、ジュリークは「もう終わっちゃった」という感じ。自分でいいと思うものをサロンでも使おうと思って使い始めたら、これが大好評で。施術は受けずに化粧品だけ買いにくるお客様もいるほどでした。

雑誌の取材でもジュリークを掲載していただくことが多くなったんですが、㏋もないし、通販もない。これはお店を出したらどうかと輸入元に提案したところ、パスカル(運営会社)が出資してジュリークショップをオープンすることになったんです。

――青山店からスタートして4店舗の多店舗展開を成功させたポイントは?

重要なのは、人を育てること。どういうお店を作りたいのか、そのコンセプトを決めたら、あとは人育てです

――人を育てるためにどんなことをしてきたのですか?

まずは、ルール作りを徹底しました。1年目は学ぶプロ。マニュアルを覚えてもらって、テストもする。2年目も学ぶプロ。でも、少し人に教えることも考える。3年目は教えるプロ。そして、店長になったらスタッフ全員に目を向ける。

そして、人を人として扱うこと。女性だから、バイトだから教えないということが社会にはまだまだあると思うんですよ。でもわたしは、スタッフ全員に社会の仕組を教えました。例えば、会議にダラダラ集まってくるようなことがあれば、この部屋を借りるのにいくらかかっているのかを伝えたり、棚の中の商品は、すぐに換金できないけれど、お金と同じ。寝かしておくということは、大変なことなのよと在庫の扱いを認識してもらったり。

バイトだから知らなくてもいいということは一切なくて、今日入ったスタッフも社会の一員として扱う。ミニ経済みたいなことを教えていましたね。

――そうすると、スタッフ全員が自分事になるということでしょうか。

その通りです。それを徹底的にやったら、後は勝手に回り出しました。暑いときにサロンに行けばパシッと冷房が効いていて、寒いときにはひやっとすることがない。質問すれば誰かが答えられる。こちらが敬服するほどすばらしい組織が、お店の数だけでき上っていました。

――人を育てることが売上に直結するのでしょうか。

伊勢丹新宿店ではいつもジュリークの売上がダントツ一位でした。一位になるのにはそれなりの理由があって、イメージや思い込みではなく、データを基に人を成長させることを心がけていました。これが売れてるだろうと思っても、業務レポートを見ると、実際はその商品ではないことがよくあるんですね。大きい会社では当たり前ですけど、何才くらいの人が何を買って、スタッフ〇〇さんはなにを売れるようになったなど分析は丁寧にしていました。

日報をパラパラめくると、お店の様子がだいたい分かるんです。〇〇さんはすごく成長してきたとか、なにかおかしいことがあるとか。そのデータをもとにスタッフひとりひとりにアドバイスをしてきました。

ショップとサロン8軒で約80人のスタッフがいましたが、評価基準の明文化にも取り組んできました。リクルート時代にやっていたことをすべて思い出して、ボーナス前にはかなり時間をさいて作業しました。それでスタッフの士気を上げることができたんだと思います。

スタッフ同士は、お店が違ったり、入社時期が違ったりするんですが、パスカルを出たことが、辞めた人たちのプライドになっていることはうれしいことです。2011年の離婚と同時にパスカルを離れたので、10年経つんですけど、みんなわたしのことをいまだにボスだと思っていてくれて。それはいまでもわたしの財産です。

お客様目線を大事にした女性専用漢方薬局が大当たり

日本初の女性専用漢方薬局、「若草漢方薬局」。

――「若草漢方薬局」を始めたきっかけは?

わたしの知人に、リフレクソロジーをやりながらカウンセリングをして、漢方を処方する女性の薬剤師さんがいたんですが、その方がきっかけでした。漢方を処方してもらったお客様は、それで元気になるんだけど、また話を聞いてもらうために来店して、どんどん元気になっていくんですよね。これは、カウンセリングにも力があるんだなということに気づいて、その方をスカウトして、女性専用の漢方薬局を作りました。お客様が話しやすい環境を整えて、カウンセリングを重視。トリートメントルームと針灸室を併設したすごく素敵な空間でした。

――コスメとはまた違う業界でご苦労もあったのではないでしょうか。

店長は薬剤師でしたが、薬剤師ではないわたしたちが薬局を作ることにチャレンジしたから、分からないことだらけ。生薬とは? 薬の法律は? 取引先は? 売っているものはお茶ではなくて正真正銘の薬だから、すべてロット管理しなくてはいけないし、能書もつけないといけない。初めてのことだらけなのに、オープン前日に朝日新聞に大きく取り上げられて、いきなり半年先まで満員になってしまったんです。

――それはすごいですね。

当時から漢方薬局はたくさんありましたが、お客様をリサーチしていないために、入りにくいところが多かったんですよね。ジュリークを始めたときと同じで、お客様目線を大事にしたら、これが本当に大当たり。毎日何十人ものお客様がいらして、いきなり大学病院の調剤薬局のような状態になってしまったんです。

――それをどう切り抜けたのですか?

リクルートを紹介してくれた友だちを筆頭に、優秀な仲間たちを引き抜いて、システムを作ってもらいました。安全管理・品質管理は徹底してやらないといけないので、スタッフ一丸となって、なんとかくぐり抜けました。

1を2にして、2を3にする。力をつけてから次に移るのが成功の鍵

メディア向けのPRルーム「ビオ代官山」。

――オーガニックコスメのPRルームとして「ビオ代官山」を解放されました。このような独特の視点はどこから生まれたのですか?

離婚と同時に会社を離れることになり、自分だけの世界を作っておこうと思ったのがきっかけでした。会社を作って20年、ものにあふれた仕事をしてきたので、今度は在庫を持たずに人のサポートをすることに徹することにしました。それまで、元夫は彼の得意分野を担当してくれて、わたしはジュリークをどうやって広めるかをずっと考えてきました。それってまさにブランディングとPRの仕事なんですよね。しかも独自のやり方があったので、それまでのノウハウを今度は人のために使おうと、ビオ代官山をスタートさせました。

細長い部屋にイケアで購入した細長いテーブルをどーんと置いて。小さい部屋に大きなものを入れると案外しっくりくるのは、アルフレックスで学んだことです。準備に30万円もかかってないんじゃないかな。それで10年間ビジネスさせてもらいました。他に資本家がいるわけではないので、わたしのやり方はわりと慎重ではあると思います。1を2にして、2を3にする。白金台ビオパスカルもひとりサロンがあって、十分満員になって力をつけてから、次に移る。成功の秘訣と言えるとしたら、それかな。生きるための術ですね。

――ビオ代官山に並んでいた商品たちがクライアントだったのですか?

あれは棚貸しといって、10社くらいの商品をお預かりする小さなビジネス。メイン業務は、オーガニックコスメブランドのコンサルティングです。小さなブランドが船出して大海に出るまでを手助けしてきました。営業会議に同席して、社員教育を請け負い、どうやったらもっと商品が売れるのか、そのノウハウを提供するのが仕事です。ここでもリクルートの経験を活かし、たくさんのブランドを手がけることができました。

――現在メインの活動は、更年期ケア。開講167回を超える「女性ホルモン塾」はどのような思いで開催されているのですか?

2002年に始めた当初は、わたし自身が不眠やイライラを抱えていました。それが、対馬ルリ子先生と出会うことでピルや漢方を知り、体調を持ち直すことができたんです。これは、わたしだけが知って得するより、みんなにも伝えなきゃいけない。そんな思いで「女性ホルモン塾」を始めました。

日本の女性は、更年期や老年期に体にどんな変化が起こるのか、どんな病気に注意するべきなのか、自分の体の守り方をどこでも教わってないんです。これまでメディアで様々なコスメを紹介してきましたが、大事なことが抜け落ちている。そういう危機感を感じながら、現在は隔月オンラインで更年期ケアを伝えています。

――最後に、美容業界で働く方にアドバイスをお願いします。

まずは、自分をみがくこと。ボサボサの髪でセミナーに参加されて、「エステティシャンになりました」っていう人が結構いるんだけど、zoom越しにも素敵に見えない。みんなどうやったら稼げるかを聞きたがるけど、そうじゃなくて、あなたの言うことだったら聞いてみたいと思われることが大事。だから、まずは自己投資。自分自身が素敵になるように考えたらいいんじゃないかな。

吉川千明さんの成功の秘訣

1.いつもお客様マインドでビジネスを展開した。

2.自分には何ができるか、人は何を求めているのかを見極めた。

3.人を育てることに尽力した。

取材・文/永瀬紀子

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