人との縁で飛び込んだ美容業界で、磨き抜いた「接人」スキル 私の履歴書 【コスメブランド「LOCA」オーナー 長嶋康太さん】#1

自然の恵みを余すことなく製品に活用し、エシカルなものづくりで多くの人々の心を掴むコスメティックブランド「SHIRO(シロ)」。スキンケアをはじめとした、日々を美しく豊かに彩るアイテムを多数展開し、海外進出も果たしているこのブランドを、その前身時代から第一線で支え続けてきたのが長嶋康太さんです。

「SHIRO」となる前の「LAUREL(ローレル)」の頃からブランドの最前線で奮闘し、その成長と共にキャリアを積み上げてきた長嶋さんですが、2023年に満を辞して退職。紆余曲折を経て、今秋には自身のコスメブランド「LOCA(ロカ)」をローンチする予定となっています。

前編では、「LAUREL」から「SHIRO」へ、その歴史とともに歩んできた長嶋さんのキャリアについてお伺いします。

NAGASHIMA’S PROFILE

お名前
長嶋康太
出身地
北海道
年齢
1988/08/11(35歳)
出身学校
北星学園大学
憧れの人
「憧れるのをやめました」
プライベートの過ごし方
心身をリセットするような過ごし方をしています。木々の緑の濃淡や空のグラデーションを写真に収めたり、家では、リラックスできる香りを楽しんだり、ヒーリングをかけてお風呂に浸かったりもしています。
趣味・ハマっていること
PC作業時と就寝前に焚くお香

人との出会いが、今の職との出会い

長嶋さんのキャリアは、始めから今までずっと「人とのご縁」がキーワード

――長嶋さんが「株式会社ローレル(現・株式会社シロ)」に入社された経緯を教えてください。

最初から美容業界を志していたわけではないんです。大学時代は社会福祉学部で、ソーシャルワークについて学んでいました。福祉や介護、医療や教育の場で問題や悩みを抱えている人々の支援や援助を行う職業ですね。

――美容というよりは、社会福祉について学んでいたんですね。

同居していた祖母が認知症を患っていたこともあり、その分野の知見を広げたかったことと、在宅介護について学べたらと思って。けれど学ぶうちに、関心は高いけど自分が仕事として進みたい道ではないことに気づき、別の道を探すことにしました。

でも、この時に学んだ、相手の立場に立ち、言葉にできていないニーズを理解し引き出す方法は、この先の仕事に大きく生かすことができました

――そこから、なぜ「ローレル」に入社を決めたのでしょうか?

結論から言うと、人との“ご縁”ですね。就活の時期には、それこそあらゆる企業を見ていました。とある企業説明会の会場付近に、当時は入浴剤やルームフレグランスなどの生活雑貨を主に展開していた「LAUREL」の1号店(札幌)があることを知り、軽い気持ちで寄ってみたんです。その時店頭に立っていた先輩社員から話を聞き、あまりにも生き生きと楽しそうに話す姿に、どんな会社なんだろうと興味を持ち、選考を受けてみることにしました。

当時の「LAUREL(株式会社ローレル)」の選考方法がとてもユニークで(自己PRできる場所に人事を連れていってください等)、「人」をしっかり見てくれているな、と感じました。就活スタート時は「働けるか、働けないか」を基準にしていましたが、ローレルを受けてから「働きたいか、働きたくないか」に基準が変わったことを今でも覚えています。その後、ご縁があって「LAUREL」に入社して、僕の美容業界でのキャリアが始まりました。

10年分の店舗運営経験で培った「現場力」

「あなたがいたから買ったのだとお客様から伝えられた時は、本当に嬉しかったですね」(長嶋さん)

――入社後は、どのような仕事を?

2011年に入社し、「LAUREL」の店舗配属となり、北海道・札幌にある1号店での勤務から始まりました。主な業務は、接客を含む店舗の運営です

その約2カ月後、ブランドで3店舗目の直営店を東京・池袋にオープンすることになり、そのオープニングスタッフとして上京しました。

――ものすごいスピード感ですが、大変だったことなどはありましたか?

業務の大部分を占めていたのが「接客」でしたが、それまで接客の経験が全くなかったので、「できない」「わからない」が多く、大変なことばかりでしたね
一人ひとりが考えて動くことをブランドとして大切にしていたので、店舗のマニュアルはありませんでした。新天地でのオープンと言うこともあり、毎日が手探りの状態でした。

製品知識も圧倒的に足りなくて、化粧品に対しても「男だからわからない」といった気持ちも正直ありましたし、お客様との距離感が掴めずに怒らせてしまうことも。

「このままではいけない」と休日に図書館に通って、製品に使われている素材の特徴について調べたり、配合成分をすべて書き出して一つひとつ調べたりもしていました。地道なことですが、このおかげで製品の表面以上のことをしっかり伝えられるようになったと思います。

また、お客様との距離の取り方に関しては失敗を重ねることで、その方にとってのパーソナルスペースと心理状態を汲み取れるようになり、少しずつ自信に繋がっていきました。

入社3年目の2013年には、4店舗目となる新店で店長に任命されまして。日々必死でしたが、責任ある立場を任せてもらえたのは、とても嬉しかったですね。

――そこからのキャリアはどのようなものでしたか?

2013年からは、期間限定のポップアップショップを絶え間なく出店しながら、全国各地を飛び回っていました。認知度がほぼゼロからのスタートでしたが、「良いものは口コミで広まる」という想いがあったため、広告は打たなかったんです。現場にいる目の前のお客様を大切に、ブランドの魅力を伝え続けました。地元の北海道をはじめ、東京はもちろん神奈川や千葉、埼玉に名古屋や大阪、福岡、鹿児島……本当に様々な土地を巡りましたね。

店舗ごとの情報共有も盛んに行いながら、お越しいただいたお客様一人ひとりに熱量と愛を持って接することで、ブランドの印象を残すことを心がけていました

徐々にですが、ポップアップで継続的に結果を出せることが増えていき、その後の他地域への店舗拡大に貢献できたと思います。

――怒涛の日々ですね!

その分だけ得たものや学んだものもたくさんありましたよ。全国各地を飛び回ることで、地域ごとの客層や思考、生活サイクルや嗜好性の違いなども知り、直接現場で体感しなければわからないことも多く経験できたのは純粋に楽しかったし、人との交流や繋がりが増えたことも嬉しかったです。

また、これはどんな仕事にも共通することだと思いますが、何事にも「近道はない」ということを強く実感しました。目の前にいる相手を大切にできなければ、ブランドは広まっていかない。お客様と直接接することのない仕事、接客をしない業種であっても、相手を想像できなければファンを獲得し続けることはできないということを学びました

2015年に「LAUREL」から「shiro」にリブランディング、そして2019年に、「shiro」から「SHIRO」へリブランディングしている。写真は左が「LAUREL」時代、右が「SHIRO」時代の長嶋さん

人を、世の中を幸せにするために――「接客」から「接人」へ

「お客様の人生にとって、1ミリでもプラスになればいい」というマインドで「接人」していたと語る長嶋さん

――接客において、長嶋さんが大切にしていることはありますか?

売るための接客をしないことです。ブランドのことをどれだけ広められたか、また伝えられたかを確認する一つの指標として、売上などの数字がありますよね。ただ、この数字に囚われすぎて、逆に売上が伸びなくなるケースもありました。

「お客様」と「スタッフ」である前に、「人」と「人」なんです。

だからこそ、製品を「売るため」のコミュニケーションではなく、目の前にいるお客様のことを「知るため」のコミュニケーションにシフトしたんです。接客ならぬ「接人」と僕は呼んでいました

店頭での会話や自社製品をきっかけに、目の前の方の人生をほんの少しでも幸せにできたらいい。そんな想いで接するようにしていたら、目に見える結果だけでなく、お客様の表情や気持ちの変化も受け取れるようになりました。

――店舗の運営面で気を付けたことは?

スタッフが接客や業務に集中できる環境作りですね。例えば、出店する百貨店や商業施設によって、会計方法やシステム、配送の流れや各種ルールが異なります。店舗の売上規模によっては発注する備品の量や納品の頻度も違います。その店舗に関わるルールは、その都度、誰がやってもできるようマニュアル化するなどして、スタッフがそこに時間をかけ、お客様と接する時間を削ってしまうことのないよう、また引き継ぎも行いやすくデータで残すといったことも心がけていました。

また、同じ建物内の他店舗のスタッフさんとのコミュニケーションも大切にしていました。特に、ポップアップの際はその場所についての知見が浅く、常設店舗のスタッフさんが持っている情報は貴重だったんです。館全体の売上が厳しい時にはスタッフさんが買い物に来てくださったりもして助けられたことが多くあります。それも嬉しかったですね。

――「SHIRO」在籍中には、店舗以外の業務もご経験されたと伺いました。

はい。2011年の入社から2023年まで在籍していましたが、最後の約2年は本社勤務となり、PR業務やカスタマーサポートに従事していました

PR業務としては、メディア対応やプレスリリースの作成などをメインとしながら、部署の枠組みを超えて、HPやSNSに使用する画像の制作、人事部と企業説明会への参加、開発チームへ新製品の試作品フィードバックなどにも携わらせてもらっていました。毎週行っていたSNSでのライブ配信では、内容の組み立てから出演までさせてもらい、これもまた、この先のキャリアに生きる経験になったと思います。

「shiro」が「SHIRO」に変わり、ブランドとしてどんどん成長するにあたっての立役者の1人と言っても過言ではない

「LAUREL」から「shiro」、そして「SHIRO」へ――その歴史と共に、自身のキャリアを刻んで来た長嶋さん。前編では、ブランドと歩んできた成長の物語と、その中で得てきた接客スキルをはじめとする現場力についてお聞きしました。このように「SHIRO」で培った現場力を武器に、ステージを変え、新たな出会いを経てさらなる一歩を踏み出します。後編では、そんな長嶋さんの姿をお伝えします。

撮影/野口岳彦
取材・文/勝島春奈

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