無給の仕事を厭わず引き受ける。そこで築いた人脈が成功の足がかりに【ZACC代表・高橋和義さん】#1
1988年にZACCをオープンして以来、常に第一線で美容師・ヘア&メイクアップアティストとして活躍してきた高橋和義さんの顧客リストには浜崎あゆみさん、深田恭子さん、北川景子さんなど名だたるアーティストや俳優が連なっています。
今でこそ現在のお仕事はまさに天職ですが、美容業界に足を踏み入れるまでにいろいろな葛藤があったとか。前編では、美容業界に進むきっかけや著名なアーティストたちを顧客に迎えるための努力についてご紹介します。
TAKAHASHI’S PROFILE
- お名前
- 高橋和義
- 出身地
- 東京都吉祥寺市
- 出身学校
- 山野美容専門学校
- 経歴
- 都内サロン勤務後、1988年ZACCオープン
- 憧れの人
- ブルーノ・ピッティーニ(ジャック・デサンジュのデザイナー)
- プライベートの過ごし方
- 旅行、ガーデニング
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- ザックイズムと言えるオリジナリティーをどれだけ持てるか
ヘアメイクという目標が定まり、大学を中退して美容専門学校へ
――ずっと前から美容師になろうと決めていたのですか?
10代のころは美容に関心がなくて、大学の法学部に進学しました。でも、自分が何をやりたいのか気持ちが定まっていなくて。大学へはほとんど行かず、サーフィンばっかりしていたんです(笑)。おかげで出席日数が足りなくて、留年するかもしれない状況でした。
そんなとき、姉のバースデーパーティーでヘアメイクをしていた男性を見て、「あぁ、こんな職業が存在するんだ」と初めて関心を持ったのが、この道に進んだきっかけです。すごくかっこよく見えて、「自分もいつかヘアメイクをしてみたい」と純粋に思いました。
――目標が定まったんですね。
当時、僕が通っていたヘアサロンが吉祥寺にあって、「ヘアメイクをやるにはどうすればいい?」って相談しに行きました。その頃は何も分からなかったので、ヘアメイクはすぐできるものだと思っていたんです。資格を取るには何年も学校へ行かなくちゃいけない、というのを初めて知りました。でも、学校に通うのはもうイヤだったんです。それでサロンに就職して、働きながら通信教育で学ぶことにしました。
――通信教育は意志が強くないと続かないイメージがありますが…。
そうでもなかったですね。1か月分の課題が出て、それを2~3日で済ませていました。国家試験を受けるときも、そんなに勉強した記憶はないですね。大学受験を経験していたので、割とスムーズに進みました。通信教育は年に1~2回、夏休みと冬休みを利用したスクーリングがあるんですよね。すでに働いていたので、そのために休みがつぶれたこととサロンを休んだ分だけ給料を引かれたのが辛かったくらい。
――美容業界をまったく知らない状態でサロンに就職なさって、何か変化はありましたか?
カルチャーショックが大きかったですね。それまでヘアサロンへは髪を切りに行くだけだったので、掃除をしたりタオルを洗濯して畳んだりする仕事は、アルバイトとか専門のスタッフがやるものだと思っていました。それを全部、自分がやるなんて! 生まれも育ちも吉祥寺なので実家を離れたことがなく、掃除も洗濯もやったことがなかったんです。
――学校を卒業してからはどうでしたか?
美容師になってから半年くらい経って、メイクの勉強をしたい気持ちがどんどん大きくなっていきました。
サーフィンをしていたときも含め、今までの人とのつながりで外の仕事もするようになり、独立を考えました。
――サロンに籍があれば、収入の面で安定しませんか?
サロンに勤めていると、ヘアメイクの仕事でサロンを休むわけにはいきません。そうなると自分の休みの日しかヘアメイクの仕事ができないんです。それで独立を急ぐようになりました。
人脈を広げるために無給で仕事を引き受けることもしばしば
――独立なさったのは美容師になってからどのくらいですか?
5年半です。都内のサロンで働きながら、ヘアメイクもこなしていました。その間にコンテストに出たり、ヨーロッパに短期留学したりしたんですよ。
サロンでは後輩の育成や店舗運営も任されるようになっていましたが、ヘアメイクの仕事をしたい気持ちが抑えられませんでした。
――ヘアメイクの仕事をするには人脈も必要ですよね?
美容師になったとき、「5年以内に雑誌の表紙のヘアメイクを任されるようになる」って目標を立てたんです。この夢を叶えるために、無給でいろいろやりました。もともと音楽関係の人たちと交流があって、ここから人脈を広げていったんです。
音楽関係の人たちは、そんなにヘアメイクを重視していなくて、キャリアが浅くてこれからがんばって行こうという人には専属のヘアメイクが付いていませんでした。それで、ギャラが発生しなくてもいいから、ヘアメイクをやらせて欲しい…とお願いしました。サロンの営業後に知り合いの家やレコーディングしているスタジオまで行って、髪を切ったり、モデルさんたちの宣伝用写真のためにヘアメイクすることもありました。
――今から思えば、そのモデルさんたちはすごく贅沢でしたね!
無給の仕事でも積極的に引き受けるうち、初めてのライブの仕事を任されました。それが、人気アイドルだった三田寛子さんのヘアメイクでした。
――最初のサロンはどこに作ったんですか?
当初は福山雅治さんやサザンオールスターズが所属する事務所に近い恵比寿界隈で探していたんです。でも、当時はバブルの終わりかけで、賃料が高すぎて手が出せませんでした。
そんな折、乗っていた中央線が荻窪駅で停まったとき「テナント募集」の文字が目に入ったんです。オフィスビルの5階で条件は良くなかったんですが、駅から近いのが気に入って決めました。1年目は集客などたいへんでしたが、2年目から利益が出るようになって、4年目くらいに青山に2店舗目を出すことにしました。
――2年目で利益を出して、おまけに2店舗目を出店するなんてすごいですね。
ヘアメイクをしたくて独立をしたものの、店を出すために借金してしまったので、返済するために必死にサロンワークをしました。
――2店舗目が青山ですか?
そうです。最初の店の時は親から勘当同然だったので支援してもらえなかったのですが、青山に店を出すときは協力してもらいました。
当初は荻窪と青山を経営していましたが、スタッフのテンションに差がありすぎて、荻窪店を閉めて青山1店舗に絞ることにしたんです。そのうちに美容師ブームがきて、店の規模を拡張していきました。
――順調に伸びていったんですね。
トラブルもありました。あるとき、ビルのオーナーが「賃貸料を1か月150万円値上げする」と言ってきたんです。
――賃料が月150万円ではなく、150万円の値上げですか!?
もともと高い賃貸料にプラス150万円です。応じなければすぐ退去をと言われました。内装にこだわって作り込んだ店でしたが諦めるしかありません。新たに店舗を借りなければならず、オーナーともめて裁判にもなりました。減価償却が終わらないうちに必要のない借金をする羽目に陥って、しばらくその痛手を引きずりましたね。
ZACCは美容室の中では転々と場所を変えていて、その分、費用もかかっていると思います(笑)。
――現在のサロンはひとつのフロアに「raffine」と「vie」があります。店舗を増やすのではなく、集約したのはなぜですか?
スタッフの働く環境を考えた結果です。週休二日にして、労働時間もなるべく短くしたい。少ない人数でパワーを出せる体制をするにはどうするか…と考えたとき、この形になりました。誰かが休んでもフォローできますから。
デビューからずっと第一線で活躍なさっている高橋さん。へ&メイクアップアーティストになる夢を実現するために、努力を惜しまなかった姿勢が現在につながっています。
後編ではZACCオリジナルの商品を開発するようになったきっかけ、青山に集約させた店舗が今、銀座に続いて神宮前と広がっている理由などを伺います。
撮影/古谷利幸(F-REXon)
お話しを伺ったのは…
ZACC代表
高橋和義さん
山野美容専門学校を卒業後、都内サロンを経て1988年ZACCをオープンさせる。1991年にはZACCオリジナルのシャンプー&コンディショナーの開発を手がけ、以後30年かけて進化させ続けている。2002年にはジャック・デュサンジュの特別講師となり、2007年までアートディレクターを務める。海外でヘアショーを開催するほか、「Japan Hairdressing Awards」の審査員を務めるなど、その活動は多岐にわたる。