大阪から鹿児島県徳之島へ!必要に迫られての開業から繁盛店に【hair and make kacco 高田和子さん】#1
大阪の激戦区で20年以上経験を積み、2018年に鹿児島県にある離島・徳之島に移住し、1年後「hair and make kacco」をオープンした高田和子さん。実は移住当初、美容師のお仕事をするつもりがなかったのだとか。どうして高田さんは離島でヘアサロンをオープンし、4年目を迎えるまでに成長したのでしょうか。
前編では、高田さんが移住&開業した経緯と、離島でのサロンの開業と経営について、お話をお聞きしました。
お話を伺ったのは…
「hair and make kacco」オーナースタイリスト 高田和子さん
大阪のサロンに25年勤務し、うち7年を大阪市内サロンにて店長を経験。2018年5月、鹿児島県徳之島に移住し、2019年9月「hair and make kacco」をオープン。縮毛矯正やストレート、ハイライトヘアカラーなどを得意とし、20~60代まで幅広い世代に支持されている。
開業は想定していなかった移住。
畜産の収入を得るまでと
美容師の仕事を仕方なくスタート
――まずは開業前のご経歴と、鹿児島県の徳之島で開業した経緯を教えてください。
開業前は大阪で2店舗を経験し、2店舗目では21年勤務して7年ほど店長をしていました。
徳之島は私の両親の出身地。私は生まれも育ちも大阪なんですが、昔からなんとなく「将来は徳之島に」という空気が家族の中にあったんです。夫も徳之島をすごく気に入ってくれて、サラリーマンをしていたんですが、「牛飼いをしたい」ということになり移住を決めました。実はそこで美容師も辞めるつもりだったんです。
でも畜産なんてしたことがないし、私も夫もずっとサラリーマンだったので、作ったものがお金になるまでに1~2年かかることにピンと来ていなかったんですよね。移住にあたり多少のお金は持って来たんですが、牛舎を建てたりするのに使ってしまって…。
それで仕方なくというか、「何か収入を得ないと」と思って、島で美容師の仕事を再開したんです。
――島での開業を想定していたわけではなかったんですね。
そうなんです。だから移住当初は美容師はしておらず、翌年の2019年からスタートしました。サロンを持たずに始めましたが、だんだんお客様が増えてきたので、お店を作ることにしたんです。7月の終わりから動き出して、9月3日にオープンしました。
――2カ月でサロンを作るのは大変じゃなかったですか?
家を建てたこともなかったので本当に何もわからなかったし、大工さんや工務店さんの知り合いもいなかったので、すごく大変でしたね。まず頼める相手が見つからないんです。工務店さんがいっぱいあるわけでもなく、ホームページを出しているわけでもないので、電話帳とかでしか探せないんですよね。
結局お友だちの紹介でやってくれるという大工さんにお願いしました。後から知ったんですが、仕事としてではなく休日を使って受けてくださっていて、ほぼ材料費だけの格安でいろいろしてくださったんです。私は、本業の合間にやってくれているなんて考えてもいませんでしたから、少しとまどったところもありましたね。大阪とは真逆な島の空気に慣れるまでが、本当に大変でした。
――人やお店が少ない分、どこに頼ったらいいか悩む場面も多そうです。
でも「こんなことで困ってるんです」と言うと、皆さんがそれは親身になって探してくれるんです。お客様もそうですし、役場に行けば近くにいる数人が集まって一緒に考えてくれる。そこはいい意味で都会と全然違うところで、すごく素敵だしありがたいなと思います。
都会では経験しなかった
島ならではの難しさを感じながらの経営
――島でサロンをスタートして、都会とのギャップを感じたことはありますか?
いろいろありますが、とくに材料の調達は大変でしたね。天気が荒れると船が止まるので、物資が1週間止まったりするんです。だから多めに発注しておかないといけないんですよね。
あと、やっぱり島だと本土よりも送料がかかってしまうんです。大阪時代はずっと社員で、店長をしていたとはいえ、材料の発注は事務所に丸投げでした。だから自分で商品の発注をしたことがなかったので比較はできないんですが、島だと送料がかかる分、どう考えても教わった材料費のパーセンテージに収まらないんです。
今でも大阪時代からのディーラーさんとお付き合いさせていただいていますが、「この金額では頼めない」という部分が出てくるので、そういった経営面での違いは感じましたね。
また島に来てから、大阪ではお水に関することがすごく充実していたんだと感じました。まだまだ上下水道が整備されていないんですよね。だから予告なしにシャンプー中に水が止まるんです。最近は注水車が来ると水道が止まることがわかってきたので、「あと10分待って!」と言えるようになりました(笑)。
下水も海に流れてしまうので、自然が好きで島に来た分、すごく忍びないです。カラー剤など、どうしても薬剤を海に流すことになるので…。だからできるだけオーガニックのシャンプーやカラー剤を使うようにはしています。
そういった現実的なところは、島に来て仕事をしてみないとわからない部分でしたね。
――お客様の違いは感じましたか?
髪質の違いには驚きました。本土と奄美地方ではルーツがちょっと違うらしいんです。大阪時代も、宮古島出身という方の髪はパーマがかかりにくいのを感じてはいたんですが、そんなに担当する頻度が高くなかったので、その人の髪質が変わっているんだと思っていました。
でも、こっちに来たら同じような方ばかりで! 私は縮毛矯正を得意としてきたんですが、全くうまくいかない日々が続きました。今は薬の強度を調整することで、なんとか頑張っています。
――開業前と開業後で、何か心境の変化はありましたか?
経営者側になってみて、以前働いていた2店舗への感謝の気持ちの度合いが変わりましたね。働いていた当時もすごくお世話になっているとは感じていたんですが、より具体的に「こんなに大変なことをしてくれていたんだ」と今更ながら気づいたというか…。
例えば、お客様に配るマスクや薬剤を塗るときの手袋、パーマのロット1本——。ありとあらゆるものを自分で買わないといけないんですよね。大阪時代のサロンはどんどん店舗展開していく会社だったので、あらゆる機材で最新のものを使わせてもらっていました。それがどれだけ大変なことなのかを知り、ありがたみをすごく実感しています。
――経営者になって大変さがわかったんですね。スタッフを雇うというのも経営側ならではかと思いますが、いかがですか?
人を雇うというのも最初は冒険でした。でもよく考えたら、7年も店長をさせていただき、スタッフもたくさんいる中でやってきたので、不得意なことではないんじゃないかと気づいて(笑)。
今パートさんとして2人が入ってくれていて、とてもよく助けてもらっています。1人目はオープンして3カ月くらいのころからずっと手伝ってくれていて、2人目は1年ほど前から加わってくれました。
島に転勤で来られた方の奥さんが元美容師で、ちょっとお手伝いしてくれる…という感じなので、転勤が終わったら帰っちゃうのが残念なんです。今も手伝ってくれる人を探しているんですが難しいですね。とくに美容師資格を持っている方が、なかなかいないんです。だから今働いてくれている2人は、とてもありがたい存在です。
――オープンして3カ月でスタッフを雇える状況だったのもすごいですね。
当時はまだ子どもたちも小さかったので、土日・月曜・祝日は休みで、勤務時間も9時半から16時までというペースでした。でもサロンを持つ前からInstagramでスタイルを出していたおかげで、オープンから満席だったんです。時間も限られているし、1人では手が回らなかったんですよね。ちょっとタオルを洗って畳んでもらうだけでいいから…という感じでした。
――現在の働き方は?
今は週によって変わりますが、月・火・水・土・日曜日が9時半から17時まで、木曜日は午前だけ、金曜はお休みです。集落行事やPTA行事などがとても多いので、たまに土日のどちらかをお休みにしたりもしますし、そういった日にお店に来られなかったお客様のために月・火・水の夕方を使うこともあります。
それも大阪時代には考えられませんでしたね。行事に限らず体調が悪いときでも、お店をやっている人が不定休にできる。そういうところには、とても寛大なので、働きやすいところでもあると思います。そして、今サロンに集中して美容の仕事にまい進できるのは、協力的な夫、元気な子どもたち、家族のおかげだと感じています。
次回後編では、地方でサロン経営をするうえで大切なことをお聞きします。
取材・文:山本二季