コレは許される? 認識のズレが起きているビジネスマナー #1
社会にはビジネスマナーがあります。それは年輩の方々も、若い人たちも同時に守っていかなければならないルールです。しかし若い人たちと年輩の方々には間違いなく「世代格差」があり、若い人たちは仕方なく要求されたビジネスマナーに従っているのかもしれません。
若い人たちの多くは、心の中では「そんなビジネスマナーがどうして必要なのか」と首を傾げています。
始業5分前には定位置についている、そんなの必要?
始業5分前にはデスクや定位置についていなければならない。若い人たちはギリギリ席について何も問題はないと考えているようです。
この5分間は、会社に縛られている時間ではないので、この時間でトイレに行ったり、タバコを吸いに行きたいと有効的に考えています。ただし、1時間前に来いと言われているならまだしも、5分なら余裕をもって会社側がそう指示する事も理解できない訳ではありません。
電話のベルは2回コール以内までに出るというルールも定着しているビジネスマナーです。しかし、若い人たちは普段、そのような対応をしてないため、10コール程度待たせることも当たり前と考えています。いきなり電話に出てしまうことも、相手に慌ただしい感じを与えてしまうことになるのに、速ければ良いということで、0コール以内で出るケースがあり、それではかける側も心の準備が出来ません。
訪問先で出されたお茶は、相手が飲むまで口を付けない
訪問先で出されたお茶は、相手が飲むまで口を付けないのがビジネスマナーと言われています。若い人たちは喉が乾いていたら、なんで敢えて自分に出してくれているのに飲んでいけないのか首を傾げてしまうでしょう。出されたお茶を絶対に飲んではいけないということではなく、先方が「お茶をどうぞ」と促してくれた時、はじめて手をつけるのがマナーと言われています。
しかし出されたお茶をもしも飲まずに席を離れてしまえば、そのお茶は捨てられることになり、とても合理的なマナーとしてとらえることが出来ません。実際にネットでは飲んでいいのか、飲んでいけないのかのささやかな論争も起こっています。
ビジネスマナーと言えども絶対的不動ではなく、長い時間をかけてやがて変わろうとするものかもしれません。
もしも、先方が、「お茶をどうぞ」と言わなければ飲んではいけないことになりますが、そうだとすれば、手際よく「お茶をどうぞ」とすすめるのもビジネスマナーの一つでしょう。お茶を出したまま、全く気にせず商談に熱中する先方の態度にも問題はありそうです。
客を見送るときエレベーターが閉まるまでおじぎをする
客を見送るときエレベーターが閉まるまでおじぎをする。そのようなマナーが堅苦しいと思っている人たちも多くいます。だいたいビジネスマナーというものは全部堅苦しいものですが、その最たるものがエレベーターのおじぎです。自分がしてもらわないでいいと思っているので、されてしまうと恐縮に感じてしまい、はやく閉まってくれないかと焦ってしまいます。堅苦しさよりもわざとらしさを感じる人たちもいます。
マナーというものの、明らかに時間の無駄であり、もっと時間がゆるやかなに流れていた時代の良くない産物なのかもしれません。
勤怠などの連絡は必ず電話で行う
次によけいだと考えているビジネスマナーに勤怠などの連絡は必ず「電話」で行うというのがあります。若い人たちは、メールやLINEを使用して連絡をしたいと思っています。メールやLINEは複数の人たちに同時に伝えることが出来るので合理的発想です。
しかし、メールやLINEは、すぐに相手が見られる訳ではありません。そのとき、了解しないケースもあり、連絡事項もあるかもしれません。電話のやりとりの方がストレートで確実と言えば確実です。被害を最小限に留めるために未だ、ビジネスマナーとして電話は重視されています。
「報・連・相」が面倒くさい
会社の多くは、「報・連・相」を重視していますが、若い人たちは必要のないことまでなんで報告する意味があるのか疑問に思っています。それ以上に、上司も心の中でそんなつまらないことまでいちいち電話をしてくるなと思っていたりします。
なんでも報告するのではなく、自分でよく考えて、どうしてこうなったのか、今どのような状況なのか考えて結果報告をする方が、新人も成長して行くのではと考えることも出来ます。
今はまだ携帯電話があるからいいですが、昔は携帯もなく、公衆電話の上に書類をいろいろと置き、小銭や、テレホンカードを用意する作業を繰り返していました。それは、まさに作業の効率を悪くする手段と取られても仕方はありません。
しかし、それでも、未だ「報・連・相」が必要だと言われている理由は、「報・連・相」をなくすことで、報告しなければならないことも、いい加減に対処してしまう社員が続出してしまうからです。無駄に見えるものでもしっかりルールが人を縛って管理するという意味では大事です。
若い人たちは、ビジネスマナーひとつずつに不満を持っています。しかしそれが若い人たちの言い分通りに全部取っ払われてしまえばどういうことになってしまうのでしょうか。人間は、「野性から管理(縛る)され理性的人間になる」ということも考える必要があるのではないでしょうか。
文/sapuri