笹沼彩子 interview #1:個性的な女性誌『ar』の魅力に迫る
1995年に、“美しいわたし新発見マガジン”として誕生した女性誌『ar』。最新のヘアスタイルやメイクなどの情報を中心に、美容グッズやファッション情報も掲載。また、「雌ガール」や「おフェロ」といった新たなトレンドを作り、注目を集めています。そんな個性的な女性誌を生み出しているのが、編集長の笹沼彩子さん。いったい、どのように編集部員をまとめ、arを作り上げているのでしょうか。
前編では、笹沼さんがar編集部で働くに至ったいきさつや、初めて担当したページの思い出について伺いました。
ゼロから1を生み出す仕事がしたい
――ファッション業界に興味を持ったのはいつ頃でしょう?
「振り返ってみると、幼い頃からずっとファッション業界に興味があったと思います。小学生の頃から、母親が買ってきた大人向けのファッション誌『25ans(ヴァンサンカン)』などを読んでいました。その後も高校、大学とずっと女性誌を読み続けていましたね。また、雑誌を読む時は着たい服を探すことよりも、コレクションなどファッション業界の情報を知ることが好きでした」
――とくに印象に残っている雑誌はありますか?
「女性ファッション誌『SPUR(シュプール)』が創刊された時は、すごく鮮明に覚えています。洋雑誌でしか見ることができなかった美しい写真が日本の雑誌に掲載されていて、ワクワクしながら読みました」
――編集者という仕事に興味を持ったのはいつでしょうか?
「大学生の時ですね。言葉を扱い、ゼロから1を生み出す仕事がしたかったんです。入学当初はドラマの制作に関わりたいと考えていましたが、就職活動をしてみると、ドラマの制作会社は入社するのが難しいとわかりました。そこで、同様に言葉を使い、物を生み出す出版社にシフトしたんです」
それぞれの編集部員の頭のなかに、自分の理想とするarがある
――『主婦と生活社』に入社に決めた理由を教えてください。
「創刊時のarを読んだ時に、自らの手で新しいページを作れる可能性を感じたからです。当時のarは、ヘアやボディケアなどのページは多くありましたが、ファッションのページが少なく、もっと増やした方がいいのではないかと思いました。そこで面接の時に、『ファッションページが足りないからやらせて欲しい』と伝えたんです」
――入社当初、arを作るなかで感じたことはありますか?
「1人ひとりの編集部員がまったく違う雰囲気のページを作っているにもかかわらず、きちんと一冊の雑誌にまとまっていることが、すごくおもしろいと思いました。それぞれの頭のなかに自分の理想とするarがあり、そのゴールに向かって働いている印象を受けましたね」
受け手の目線を常に持つことの大切さ
――なるほど、それでは初めて担当したページについて教えてください。
「当時のarのなかに唯一あったファッションの連載ページです。ページを担当していたスタイリストさんが超大御所の方で、その方から働くうえで大切なことをいろいろと教えてもらいましたね」
――具体的にどのようなことを教わったのでしょうか?
「受け手の目線を常に持つことの大切さです。そのスタイリストの方は、洋服を組む時にまず帽子を置くんですよ。理由を聞くと、ページ全体をイメージしながらスタイリングをするためだと言われました。“帽子”という物にポイントを置くことで、モデルの顔に振り回されずに洋服を選ぶことができ、作っているページの雰囲気と合うスタイリングができるのです。読者の目線を常に意識しながら発信しているとわかりましたね」
当時、大御所のスタイリストさんから教わったことは、今でも意識をしているという笹沼さん。たとえば、「幾何学柄の服が流行っているからという理由で押し出すのではなく、まずarの読者がその柄の服を着たら可愛いのかをイメージし、かわいいと確信できてから発信している」とのことです。中編では、編集長になった当時のできごとや、編集部員の個性を生かす方法を伺いました。
Profile
笹沼彩子さん
1997年に『主婦と生活社』に入社後、ar編集部に配属。2012年に編集長に就任、現在に至る。