産休をフル活用して整体をマスター。さらにサロン開業の夢も実現!【マタニティ整体白金サロン アクシェ代表 川崎有希子さん#1】
美容業界でキャリアを築きながら子育てに奮闘しているワーキングママやパパをご紹介するこの企画。今回は看護師の資格を活かして、妊婦さんと産後の女性のための整体サロンを主宰している川崎有希子さんのインタビューをお届けします。
川崎さんは看護師として病院に勤務している時期に結婚し、お子さんを授かりました。前編では看護師として働きながら独立を決意するまでのこと、産休を活用して整体の技術を学んだこと、そして離婚を決意したいきさつなどをご紹介します。
お話しを伺ったのは…
マタニティ整体白金サロン アクシェ代表
川崎有希子さん
看護師の資格を取得し、10年ほど病院に勤務する。その間にベビーマッサージとマイクロピグメンテーションを学び、インストラクターの資格を取る。さらにマタニティ整体の技術を学び、マタニティセラピストとして2012年に白金にサロンをオープンさせる。
「看護師免許を取って社長になる」夢のためにさまざまな資格にチャレンジ
――看護師からセラピストになったのは、何かきっかけがあったんですか?
看護学生の時から看護師の資格を利用して「起業しよう!」とずっと思っていました。
医療ではカバーできないこと、民間の力だけではできないことがありますよね。看護師の資格を取って、医療と民間の間に立った仕事をしよう!と思っていました。
でも、学校を卒業しただけでは、経験が何もありません。それで、まずは病院で経験を積んでから…と、「20代は修業の時代」と心に決めて、病院で働きながら「何ができるのか」を模索し、ベビーマッサージやアートメイクが進化したマイクロピグメンテーションの資格を取ったんです。ですが、当時はどちらも認知度が低く、「ベビーマッサージをしましょう」と呼びかけると、ご自身ではなく私が赤ちゃんのマッサージをするものだと思って来られる方が多かったですね(笑)。
そうこうしているうちに「マタニティ整体」のことを知り、私が妊娠・出産したら絶対にこの資格を取る!と決意。ベビーマッサージもマタニティ整体も、私自身が子どもを産んで育てた経験がないと、お客さまに対して「説得力がない」と思っていたので、妊娠はいいきっかけになりました。
――29歳で出産なさって、本当に実行に移したんですね!
当時は病院に勤務していて、産休中は資格を取る絶好のチャンスだと思っていました(笑)。私が選んだのは多くの医療従事者が勉強に来るスクールなんですが、愛知県の額田郡というちょっと遠い場所にあるんです。通うには交通の便が悪いこともあって、習い始めたころは生まれたばかりの長男を連れて1週間泊まり込んだんですよ。私が勉強している間は保育士をつけてくれたので、すごく助かりました。
それ以降はいろいろな先生のサロンや勉強会に通って技術を磨きました。
――なぜ妊婦さんと産後の女性に特化したセラピストを目指したんですか?
看護師をしているとき、産婦人科でアルバイトをしていたことがありました。妊娠中にお腹が大きくなると腰が反るので腰痛になりやすいだけでなく、血液の循環が悪くなってむくんだりだるくなったり。身体の辛さをパートナーに分かってもらえなくて、妊婦さんはフラストレーションを抱えているのが分かりました。
それで、身体や体調を整えるだけではなく、話をじっくり聞いて身も心もスッキリできるサロンがあったら…と考えたんです。
――マタニティ整体の技術を学んで、すぐに起業したんですね。
産休が明ける前に、勤めていた病院の看護婦長に相談しました。病院に復職するか、このまま起業するか自分でも迷っていたんです。自分の夢や資格を取るために勉強したことなどを話したら、「自分がやりたいことをやりなさい」と背中を押してくれました。それで決心がついて、自宅にサロンを開くことにしたんです。
――ご自宅だと開業資金がそれほどかからないメリットがありますね。
ただ、子どもが熱を出したり病気の日は大変でした。家に置いておけないので、お客さまがいらっしゃる間は、駐車場に停めてある自分の車に寝かせておくしかなくて。もちろん車に一人きりにはしていませんが、「なんて自分はひどい母親なんだ」と責めるしかありませんでした。
――サポートしてくれる方はいらっしゃらなかったんですか?
どうしても助けが必要なときは、私の福岡の実家から母に来てもらっていました。朝5:30の飛行機に乗れば7:00に羽田に着きます。そのまま家に直行してもらって、1週間くらい子どもの面倒を見てもらっていましたね。
――すごくやさしいお母さまですね!
私は4人姉妹で、孫がいるのは私だけなんです。そのせいもあって、父は母に「困っているなら行ってやれ」って言ってくれたようです。母も孫の顔を見られるなら…という気持ちがあったのかもしれません(笑)。
私たち姉妹は全員上京しているので、母が子どもの面倒を見に来てくれたときはみんなで集まって食事するのが、私たち姉妹にとっても母にとっても楽しみのひとつなんですよ。
仕事は順風満帆。それと反比例して夫婦関係はスレ違い、離婚することに
――その当時のパートナーは、育児に積極的ではなかったんですか?
元夫は飲食店を経営していて、私とは生活パターンが真逆だったんです。私が仕事から戻ると彼が出勤。いつもすれ違っていました。お互いに何を考えているのか分からなくなって、久しぶりに二人で食事をしたときは「何を話せばいいのか分からない」状態だったんですよ(笑)。育児はほぼワンオペで、旅行も子どもと2人だけのことも多く、家族みんなで何かを楽しむ機会は少なかったですね。
――離婚のきっかけは何ですか?
あるとき、大家さんから「お宅はどうなっているんだ!」と怒られたことがきっかけで、私の知らなかったことがいろいろ発覚しました。元夫に理由を尋ねましたがウソばっかりで…。もう二人の気持ちは通い合わないのが分かって、この一件から2か月で離婚を決めました。
――早い決断ですね! このとき川崎さんのお仕事は順調だったんですか?
自宅でサロンを開いていたのは1年ほどで、翌年には白金にマタニティサロンをオープンしました。このサロンで施術を受けた方がママ友に勧めてくださって、その方がお友だちに…という具合にママ友のコミュニティーでどんどんお客さまの輪が広がっていきましたね。お子さんが2人目、3人目という方もいらっしゃいます。中には出産なさってからずっと通い続けてくださるお客さまもいらっしゃるんですよ。
――離婚を決意したとき川崎さんは何歳でしたか?
私が36歳のときです。息子は小学1年生でした。
ちょうど同じマンションの上の階に空き部屋があって、そこに妹が越してきてくれたんです。私が仕事で遅くなるときは、妹が面倒を見てくれたので本当に助かりました。
川崎さんがキャリアと子育ての両立を成功させた3つのポイント
1.さまざまな資格取得にチャレンジし、考え方や仕事に幅をつけた
2.妊娠と出産をキャリア形成の1つと考える
3.困ったときは一人で抱え込まず、助けを求める
看護師という資格をご自身の「核」として、さらにその他さまざまな資格を取るための学びや経験をキャリアアップにつなげていらっしゃる川崎さん。生後間もないお子さんを連れてマタニティ整体を学んだバイタリティには圧倒されました!
後編では、お子さんを授かって変わったこと、現在のパートナーと出会って家族のあり方に訪れた変化、そして未来のワーキングママへのメッセージをご紹介します。
撮影/森 浩司