激戦区・原宿でモデル探しに苦労。当時出会ったモデルは理容師人生の財産【JUNES HARAJUKU 齋藤晴夏さん】#1
あえてジェンダーにこだわり、男性にとって居心地のいいものを提供する「JUNES HARAJUKU」。理容師・齋藤晴夏さんは、理容室のみならず、数多くの美容室がしのぎを削る原宿エリアで人一倍パワフルに活躍してきた方です。持ち前の負けず嫌いな性格を発揮し、様々なハンデを乗り越えてきた一方、お客様やモデルとの関係づくりをとても大切にしてきたそう。
前編では、ユニセックスサロンからメンズ専用サロンに移ったこと、「女だから」という壁に直面したこと、モデルハントで苦労したことなどをお聞きします。
SAITO’S PROFILE
- お名前
- 齋藤晴夏
- 出身地
- 宮城県塩竈市
- 年齢
- 34歳
- 出身学校
-
仙台理容美容専門学校
- 経歴
- 専門学校卒業後、上京。ユニセックスサロンに入社するも退社。JUNESへ。JUNES歴14年。スタイリストとプレスを兼任
- 憧れの人
- 母、全国のママさん
- プライベートの過ごし方
- その時の気分で決めることが多いですが、
家にいる時はとことん家にいます。
外に出る時は、おもいっきり遊びます笑。
なかなか今は出来ませんが旅行も大好きです!
海も山もある土地育ちなので、自然の中でリフレッシュもします! - 趣味・ハマっていること
- クラフトビール! 奥が深いです…
コロナ禍になり、ビーズアクセサリーにもハマりました!ブランド立ち上げも。
ライブに行くことも好きでしたが、コロナ禍でなかなかライブがありません!!!涙。 - 仕事道具へのこだわりがあれば
- JUNESはハサミがオフィシャルで決まっているので、あまり自分で選んだりはしないのですが、こだわりは「綺麗に使う」ということです。
新卒で入社したユニセックスサロンは1ヶ月でクビ。その後JUNESに救われる
――理容師になったきっかけを教えてください。
もともと美容師に憧れていたのですが、高校生のときに美容と理容が分かれていることを知り、男性と女性をどっちも担当するには理容と美容の両方の免許を取っておいた方が良いのかなと思ったんです。
当時、通っていた美容師さんがダブルライセンスを持っている人で、「もし両方の免許を取るなら理容が先の方が良いよ」とアドバイスしてくれたこともあって、専門学校は理容科に進むことにしました。
――新卒で就職した先はユニセックスサロンだったようですね。
はい、男女両方をやりたかったので。でも、そのサロンは1ヶ月で辞めたんですけどね(笑)。
マイコプラズマという肺炎にかかり、3日間お休みをいただいていたら「もう来なくて良いよ」と言われちゃって。職を失ってしまったので、派遣のバイトをしながら急いで次の就職先を探すはめに。宮城から上京してきておいて「クビになったから地元に帰る」なんて情けないじゃないですか(笑)。
――大変でしたね。それで就活中にジュネスに出会ったと。
前のサロンも表参道にあったので、買い出しに行く際にJUNESの前を通っていたんです。そのときに先輩が「ここ実は理容室なんだよ」って教えてくれて。店内をちょっと覗いたら「床屋さんでも女の人が働いてるんだ!」とびっくりしました。しかも、スタッフさんは髪が長くて、ゆるふわな感じで。想像していた床屋さんのイメージと違ったんですよね。
就活中にちょうどJUNESの求人を見つけたので面接を受けてみることにしたんです。でも、よく見たら勤務地は早稲田店だけで…。「東京でスタイリストをするならやっぱり原宿!」というこだわりがあったんですが、とにかく働き口を見つけなければいけなかったので、原宿は諦めるしかないなと。
そう思っていたとき、面接をしてくれた今の代表が配属先を原宿にしてくれたんですよ。
――齋藤さんの雰囲気を見て、やっぱり原宿に合っていると思ったのでしょうか。
面接のときに私の必死さが伝わったのかもしれません。「原宿で働きたい」という夢を熱く語ったんです。建前として「…でも、どこでも頑張るので私を働かせてください」と付け加えましたけどね。
カットモデルとの絆を深めて
――JUNESは男性専用のサロンですが、ユニセックスサロンから移ってみていかがでしたか?
前のサロンで働いてみて思ったのが、「女性のお客様の方が気難しい人が多いのかも…」ということ。「こんなに美容って大変なんだ」と実感しました。最初に男性専門店に入っていたら、それはそれで「男性って気難しい」と思っていたかもしれませんけどね。
JUNESに入社し、男性のお客様の方がやっぱり私には合っていると思いました。仕事のやりやすさもそうですし、理容師ならではの技術も好きだなって。
本当は就職してから美容師免許を取得するつもりだったのですが、結局、理容師の魅力にどっぷりハマりました。
――齋藤さんのさっぱりした感じの雰囲気も合っていたんですかね。JUNESに入社してから苦労したことはありましたか?
働かせていただくだけでハッピーでしたが、女性スタッフが少なかったので寂しさは少しあったかも。男の人ってすごいじゃないですか、ノリが(笑)。ついて行くのに必死でした。お酒の席でも、自分は強い方なんですけど、それでも「まだ飲むか」っていうくらい飲むし。
あと、「技術力じゃない。女性だからお客様が通ってくれるんだ」ということを遠回しに言われることは多かったですね。
「何でそんなこと言うんだろう…?」と何度思ったことか(笑)。今は逆に「女だから」という部分を武器にして、女性磨きは怠りません。
――女性理容師が男性客の指名を取るのはやはり大変でしたか?
大変でしたね。フリーのお客様に入ると「男の人が良い」とはっきり言われることもあって、結構落ち込みましたよね。そういう苦い経験もちょくちょく…。
――どのようにリピーターを増やしていったのでしょうか?
紹介です。モデルハントから紹介を増やしていったんです。
カットモデルで来てくれた学生の子に「サークルのお友達を紹介して」とお願いしていました。カットモデルを何度もやってくれる子は、技術だけでなく私の人柄もわかってくれているじゃないですか。そういう子が紹介してくれると強いんですよ。絆っていうのかな。
接客で私が大事にしていたのは、距離感と素直な気持ち。お客様とスタイリストはどうしても距離が近くなりがちですが、お客様それぞれの距離感を考えるようにしてきました。お客様が「この部分、もう少し短い方が良かったかも」と気軽に言える関係性の方が長くお付き合いができるので、素直に話せる空気感づくりも大切なことですね。
――ちなみにモデルハントでも苦労されましたか?
激戦区でしたからね。原宿エリアでは結局、美容師さんに取られちゃうんですよ。JUNES
の場合は対理容室ではなく、対美容室でしたから。
技術練習のためのカットモデルなら声を掛けたらやってくれる子は多いのですが、雑誌のモデルは一筋縄ではいかず…。当時の美容雑誌は、顔の良いモデルを使うと誌面に大きく載せてもらえるという感じだったので、モデルさん選びはすごく大事だったんです。
でも、人気の子たちに声を掛けると「何月号のカタログに出演が決まっちゃってるんです」「有名サロンでしかやらない」「理容室なの?JUNESってどこ?」と大抵断られるんですよ。私は負けず嫌いだったので、「他のサロンに取られてたまるか」と毎日毎日、道に立ち続けて、無所属の子を探していましたね。見たことのある子がいたら声を掛けて、まずは覚えてもらおうって。
そのときにサロンモデルを引き受けてくれた子は財産ですよね。私の理容師としての成長には彼らの存在があってこそです。10年ほど経った今では、白髪染めのモデルをしていただくこともあって、ずっと付き合いは続いています。
――原宿界隈で美容室に負けないくらいの売り上げをつくるために工夫していたことは何ですか?
大抵の人はうちが理容室だということに気付いていませんでしたから、美容室と同じラインで勝負する上で大きな強みになったのは「メンズだけをやっている」ということでした。新規のお客様に聞くと、8割の方は「年齢とともに美容室が居心地悪くなった」って言うんです。周りに女性がいると、シャンプー後の姿を見られることに抵抗がありますが、その点、うちは100%男性客なので安心感があるみたいです。
ヘッドスパなどは美容室とは差別化できるように、「体感」を意識していました。ヘッドスパをしても女性なら「髪質が変わった」と実感できるけど、男性は髪の毛が短い人が多いので実感しづらいんです。だから、ボコボコッという音が出る炭酸スパを導入し、体感してもらう。実際にすっきり感もすごいんです。男性の痒いところに手が届くという点に関しては美容室に負ける気がしませんでした。
原宿エリアでは勝負相手は美容室。「子どもが生まれたことで、今はだいぶ性格が丸くなった(笑)」とのことですが、当時は相当な負けず嫌いだったのだそう。齋藤さんのそんな気質もきっと原宿向きだったのでしょう。後編では、ママ理容師として、出産・子育てにおいて苦労したことをお聞きします。
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/喜多二三雄