自分中心の考え方を脱ぎ捨て、新しいステージへ。デビュー後、自分中心だった思考から決別。【サロンオーナー 柳亜矢子さん】#1

ベーシックを軸にしながらも、自身の独創性を盛り込んだスタイリングでお客様を魅了し続けている、サロン「Sraw」オーナーの柳亜矢子さん。

柳さんは表参道のみならず、名古屋、福岡と店舗数を拡大している「broocH」の立ち上げメンバーのディレクターとして活躍していました。当時についてお話を伺うと、美容師としての過去の自分を「身勝手だった」と語ります。

いったいどんな経緯を辿って今の立場を確立してきたのでしょうか。前編では、柳さんが美容師を目指したきっかけや「broocH」立ち上げの経緯について伺います。

AYAKO’S PROFILE

憧れの人
特にいません
師匠は、Eight&Half池部隆司
プライベートの過ごし方
プライベート、ピラティスでのトレーニング、美味しいものを食べに行く、美術館に行く
仕事道具へのこだわりのアイテムがあれば
自分に合ったオリジナルシザー、REELさんで作ったオーダーメイドのシザーケース
仕事に対する気持ちを一言で
好きこそ物の上手なれ、好きだからこそずっと続けられるということ、自分の感と勘を信じています。

「代官山」に憧れてスタートした美容師人生

――美容師を目指したきっかけをお聞かせください。

もともとアートやファッションが好きで、高校生の頃には美容師になると決めていました

私が学生の頃はSNSがなかったので、情報源はファッション雑誌。自分で好きなコーディネートを切り抜いてスクラップするほど雑誌が全盛期の世代で、漠然とファッションに関わる仕事がしたいなと考えていたのですが、その当時は具体的な職種が浮かびませんでした。

あるとき、雑誌の特集で美容師の「ヘア記事」が目に入り「これだ」と思ったんです。アーティスティックな部分やファッション性もあり、両方を兼ねることができておもしろそうだなと感じました。

いくつか美容学校を見学し、国際文化学校に入学しました。体育会系寄りでしたが、見学に行ったときの対応がとても良かったのが決め手でした。

――はじめに就職したサロンはどのように決めたのですか?

エリアを「代官山」に絞って就活を行っていました。

――サロンの特性よりもエリアで絞られたのですね!代官山を選んだ理由は?

街の構造とか景観に惹かれました

代官山ってビルじゃなくて、一軒一軒建っているお店が多いですよね。路地に入ると、隠れ家のようなセレクトショップや雑貨店、カフェなどがあるじゃないですか。それがとてもおしゃれに感じました。一歩先ゆく感度の高い人が多くいる印象でしたね。

――結果、代官山のサロン「Eight&Half」に就職したんですよね。

今は閉店しましたが、パリのアトリエのような内装で素敵なサロンでした。

――働いてみていかがでしたか?

スタイリストデビューして2年目あたりまでは、スタイリストとオーナーのアシスタントを兼任していたのでハードでしたが充実した毎日でした。その経験が現在も活きていると感じます。

あとは、先輩からスキンケアやベースメイクなどを教えてもらってサロンワークに限らずメディアのヘアメイクの仕事などいろいろと経験できました。

――自分のお客様を持ちながらオーナーのアシスタント、さらにはメディアの仕事まで…。大変そうですが、いろいろな経験ができたようにお見受けしました。

そうなんです。このとき、やりきったような感覚になっていて…長年同じ場所にとどまって美容師をやっていましたから、環境を変えたいと考え始めていました。

『「broocH」のトップスタイリスト』と認知されるも、ギャップに戸惑う日々

――たとえばどんなことを考えていたのでしょう?

海外で美容師として実力を試してから、日本に帰ってヘアメイクに力を入れようと考えていました。ところが、実際に海外のサロンを見たら「東京のサロンの方がかっこいい」と感じたんです。海外で美容師をするよりも、まだ東京でやりたいという気持ちを再確認しました。

――それからどういったアクションを?

日本でヘアメイクをやろうと思い、ヘアメイク事務所を受けようとしていたところ、「broocH」立ち上げの話をいただいたんです。

――タイミングが一致したのですね。具体的にどんな役割をされていたのですか?

ディレクターとして参加することになり、主に「broocH」のビジュアルを発信することや後輩に指導することを担当していました。

当時のサロン「broocH」の認知度はゼロの状態からのスタート。個人のサロンワークの他、サロンの認知度を上げるためにディレクターとして業界雑誌や一般雑誌への売り込みも行っていましたが、最初はどこもスルー状態で見向きもされませんでした

――どんな方法で今の立場を確立されたのでしょう?

当時発刊されていた業界雑誌「Ocappa」の表紙のヘアを担当したことが大きな転機になりました。当時はカリスマ的人気のある美容師が表紙を担当していましたが、まだまだ無名だった私を選んでいただいたことがあったんです。話を聞くと、担当のライターさんが私のスタイリングを他雑誌で見ていたらしく、お声がけいただいたようです。それから『「broocH」の柳』として、だんだん認知してもらえるようになりました。

ですが、その当時の私は周りから「自分が望んでいること」と「与えられた役割」のギャップに悩んでいたんです

――どんなギャップを感じていたのですか?

サロンのディレクター・後輩を育てる先輩として「与えられた役割」があったのですが、興味があったのは「美容師」という職業だけで、とにかく自分の思うままに表現することだけに取り組んでいたいと思っていました。美容業界に貢献しなければならないとか、後輩の育成をすることは、やらされていたような気持ちに近かったんです。

そんな葛藤を20代後半から30代まで抱えて、悩んでいましたね。とにかく「自分が自分が」の考え中心だったので恵まれた環境に気づけず、仕事に対しても生意気だったんです。

――突破されたきっかけは?

休む時間があまりない状態だったせいか病気になってしまって、1ヶ月くらいお休みをいただいたことですね。

働き方を見直すことができたのと同時に、復帰してからも仕事をさせてもらえることに感謝の気持ちが湧き、仕事への姿勢も変わりました。


ファッション雑誌で見た代官山に憧れて、美容師を目指した柳さん。20代〜30代まで止まることなく走り続けた時期について語っていただきました。柳さんは、体を壊したことを受けて、自身で働き方改革をします。後編では、セーブしたあとの働き方や自身がオーナーを務めるサロンについて詳しく伺います。

お話を伺ったのは…
サロンオーナー 柳亜矢子さん

国際文化理容美容専門学校卒業後、当時の代官山にあった「Eight&Half」に就職。6年ほど勤務したのち、退職し、「broocH」立ち上げにディレクターとして参加。2022年7月には、「Sraw」オーナーに就任。現在もサロンワークだけでなくメディアに多数出演、美容系アイテムの商品開発まで携わっている。

取材・文/東菜々(レ・キャトル)
撮影/喜多二三雄

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