コーセー取締役就任、独立後は自分の幸せに向かって動いていく「ハッピーメイク」を考案。私の履歴書 【メイクアップアーティスト小林照子さん】♯2
88才現役メイクアップアーティストの小林照子さん。コーセーの超高倍率の入社試験を笑顔でパスし、美容部員の修行時代には、一日100名の対応をしたこともあるという売れっ子ぶり。マーケティング部に配属されると、積極的な提案で、世界初となる美容液とパウダリーファンデーションの二大ヒット商品を生み出します。
メイクアップアーティストになるという夢を実現させるためにがんばったことが、結果、会社に評価され、コーセー初の女性取締役に就任。それでも、演劇の世界に行きたい、舞台やブライダルで活躍するメイクアップアーティストを育てたいという夢を持ち続け、56才で独立。自分の幸せに向かって動いていく「ハッピーメイク」を考案。たちまち人気クラスになります。現在は、3年間で美容と高校卒業資格が両方取得できる「青山ビューティ学院高等部」及び「フロムハンドメイクアップアカデミー」の学園長として、美容業界を目指す若者の教育に注力されています。
会社のためでなく夢の実現のためにがんばった結果、初の女性取締役に
美容研究家・メイクアップアーティスト 1935年生まれ。株式会社コーセーで長年にわたり美容について研究し、世界初のパウダリーファンデーションや美容液など数々のヒット商品を生み出す。メイクアップアーティストの草分けとしても知られ、女優から一般女性まで美しく輝かせることから「魔法の手」を持つと評される。(株)コーセー取締役を退任後、株式会社美・ファイン研究所を創立。「温冷美容」が話題となる。また、全身にメイクアップを施す「からだ化粧」は、唯一無二のアートとして、世界中で高く評価される。ビューティコンサルタントとしてビジネスに携わる一方、「フロムハンドメイクアップアカデミー」、「青山ビューティ学院高等部」の学園長として、後進の育成に力を注いでいる。著書「これはしない、あれはする」(サンマーク出版)は6万部突破。
――コーセーで初の女性取締役に就任されました。そこまで上り詰められたのはなぜですか?
わたしは、メイクアップアーティストになるという夢をもってコーセーに入社しました。その夢を実現するためにがんばっていたら、それが会社の役に立っちゃったのよね。美容液やパウダリーファンデーションのほかにも、ヒット商品はたくさんありましたから。
でもその間ずっと、ファッション・ブライダル・舞台などの分野にメイクアップアーティストを送りこむ仕事をしたい。そのために人を育てたいという夢は持ち続けていました。それを上司に伝えたら、コーセーで学校をつくってくれることになったんです。それも引き留め作戦のひとつよね(笑)。
――コーセーでも学校をつくられたのですね。
動き出すまでが大変でした。化粧品会社は化粧品を製造し販売することが主ですから、メイクアップの技術を有料で教えるということを、なかなか役員に理解してもらえないんです。企画書を提示すると、「半年間もなにを教えるの?」とか、「授業料のゼロがひとつ多いよ」とか。もうわたしがジリジリしてしまって、「やっぱり自分でやります」と言ったら、お客様を呼ぶような大きな大会で、当時の社長が「小林照子の学校をつくります」と発表してしまったのね。その社長の一言で、突如事態は動き出します。
本社近くのビルで2フロアから始めた学校には、あふれるほど人が集まって、3年目には青山の大きなビルのB1階から7階までを使うほどに。いまその前を通ると、こんな大きなところで恥ずかしいやら、ありがたいやらという気持ちになりますね。1期生にはアディクションをつくったAYAKO、4期生にはUDAなど当時の生徒たちがいま世界中で活躍しています。
――コーセー時代から、照子さんのスクール業は大成功だったのですね。その後、取締役に就任されたのですか?
学校をつくった2年後、取締役にというお話がありました。一旦は断ったんですが、当時4000人以上いた女性社員の憧れをつくりたいという理由もあると聞き、これはやっぱり引き受けようと思ったんですね。50才から6年間、コーセー初の女性取締役を務めました。
外見だけでなく心の美を研究する美・ファイン研究所を創立
――独立後、「美・ファイン研究所」を立ち上げたのはどんな思いからですか?
「美」は体や肌の美、「ファイン」は心の美。それを研究するところをつくりたかったんです。そのために考案したのが、「ハッピーメイク」です。メイクというとカラーを重ねることを想像しがちですが、そうではなくて、自分の幸せに向かって動いていくのがメイクアップの力なんですね。スキンケアから始まって、印象分析の結果からそのイメージ通りに、また多様なイメージをつくることを身につけるメイクアップ、その他所作や発声法、歩き方など6ヶ月で多岐にわたるレッスンを行いました。
――独立後も、集客は順調だったのですか?
広告を打たなくても、あっという間に人が集まりました。最初は木曜の昼だけのクラスでしたが、人が集まりすぎて、モーニングクラス、アフタヌーンクラス、ナイトクラスと一日3回のクラスを設けました。1クラス15名がすぐ満席になり、何ヶ月待ち、何年待ちという人気ぶりで、10年間はそれだけで食べていけたんです(笑)。
――独立早々、そんなに人気だったのですね。成功理由は、どこにあるのでしょうか?
ハッピーメイクという言葉に惹かれて来る方が多かったですね。当時、ハイソサエティ向けにマナーを教えるクラスはありましたが、わたしは自分でメイクすることを覚えてもらって、自分の幸せに向かっていく方法を掴んでほしかったんです。だから、所作や歩き方では、マナーの先生ではなくて、それまで組んでいたダンサーを呼んで、そのマインドを伝えてもらったりしました。
――生徒さんの層はどんな方が多かったのですか?
職業的にはカラーリスト、編集者、それから更年期で居場所を求めていた方が多かったですね。当時、カラーコンサルタントの資格を取るのがブームでしたが、カラーコンサルタントだけで仕事を得るのは難しく、メイクアップを習いに来る方が多かったんです。1期生が卒業するときに、その上のクラスをつくってほしいという声に応えて、アドバイザリーコースをつくりました。プロになるためのさらに1年半のコースでしたが、その方たちが熱心で、ハッピーメイクネットワークの会というのをつくって、現在もいろんな施設にボランティアに行ったり、シャンソン歌手のヘアメイクしたり、パワフルに活動されています。
――「フロムハンド」という学校も運営されていますね。
「美・ファイン研究所」をつくった2年後に、プロのメイクアップアーティストを育成するためのアカデミー、「フロムハンド」をつくりました。コーセーでつくってくれた学校は、わたしが退職したら、当然ながら続けてもらえないので、「フロムハンド」にスイッチする形にしました。「フロムハンド」には、夜間コースもあって、高校生から50代の方まで幅広い層がメイクアップを学んでいます。
美意識を育みながら高等学校の教育をする「青山ビューティ学院高等部」
――照子さんは、美容に特化した高校の学園長でもあります。
75才のときに、「青山ビューティ学院高等部(ABG)」を創立しました。ABGは、3年間で最先端の美容技術と知識を学びながら、文部科学省の高等教育課程に基づいた学科で高校卒業資格を取得できる、美容の専門高等学校です。
いまの学校の制度は、髪を染めたらダメとか、美意識の高い子ほど排除される傾向がありますよね。でも、思春期に美意識が目覚めるんだから、その美意識を育てていきながら、高等学校の教育をしていくというのが、ABGの方針です。
――3年間で本格的な美容が学べて、高校卒業資格も取得できるなんてとても魅力的ですね。かなりハードな内容なのでは?
3年間で3つの学校に通うようなものだから、パワーのある子が集まってきます。1時限目から美容のカリキュラムが組まれているので(曜日による)、朝起きれない子や中学のときに授業がつまらないと感じていた子も、スイッチが入って、午後の普通科の授業を受けて帰るんです。ここは、明治神宮前とロケーションがいいので、よさこいやハロウィンのイベントではお客さんを学校に招いて自分たちでメイクしたりと、イベントも活発です。この方針が受け入れられて、8月時点で来年度の生徒がすでに半分くらいは集まっているんですよ。
――人気が出るのも納得です。
未来をつくっていくために、教育は大事です。思想はつながっていくけど、人は死んでいくわけですから、後継者づくりが重要になってきます。後継者は、身内から選ぶわけでも、年功序列でもありません。現在のABGの校長・関野里美は、わたしが校長時代に、当時27才だった彼女を抜擢したんです。関野は、「JMAN大賞」で史上初の3連覇を達成するなどメイクアップアーティストとしての才能もあるんですが、やっぱり教育にすごく熱心なんですよね。どんな学校にしたらいいか、どんなカリキュラムがあったらいいかをいつも考えている。40~50代の講師もたくさんいましたが、いちばん教育に向いているのが関野だったんです。
――「JMAN大賞」とはどんな賞なのですか?
「JMAN」(ジャパンメイクアップアーティストネットワーク)が主催するメイクアップコンテストです。「JMAN」は、メイクアップアーティストの地位の確立と意識・知識・技術の向上を目指し、社会に貢献する団体として1998年、結成されました。日本全国のメイクアップアーティストや美容関連の企業と人が集まるネットワークで、毎月のように特別な講座が受けられたり、メンバー同士の交流も盛んです。地方でメイクアップアーティストとして活動しているけど、相談する人がいなくてという方にもぜひ活用してほしいですね。
――最後に、美容を志す方にメッセージをお願いします。
メイクアップアーティストは、外見だけでなく、人の心を明るく輝かせ、人の魅力をつくる仕事です。メイクした人の運命がどんどん変わっていって、人に喜ばれる本当にいい仕事なの。そして、好きなことの延長が将来の職業につながることで、幸せな人生を創造できると確信しています。
小林照子さんの成功の秘訣
1.欲しいものを言葉にする。反対派ともじっくり意見交換をして、味方につける。
2.夢の実現のためにがんばった結果、コーセー初の女性取締役に就任。
3.自分の幸せに向かって動く「ハッピーメイク」を構築。
芸能人のような輝くオーラをまとい、とても88才とは思えない若々しさの照子さん。演劇の世界でメイクに興味を持った照子さんが、コーセー初の女性取締役に就任、独立後は「美・ファイン研究所」や「フロムハンド」を立ち上げ、現在もメイクアップアーティストとして活躍されている。その大成功の裏側にあるのは、コーセーの入社試験をパスした「笑顔」が鍵なんだと思います。欲しいものを発言するときも、反対派と意見交換するときも、激務と子育ての両立時代も、自分本位でなく、人の立場を思いやった、大らかな笑顔で乗り切ってこられたからこそ、数々の成功があり、現在の小林照子さんが在るのではないでしょうか。
撮影/山田真由美
取材・文/永瀬紀子