ヘアメイクの世界から一転して、ネイルの世界へ 私の履歴書 【サロンオーナー・ネイリスト marinaさん】#1

誰もが、当初思い描いていた道を歩めるわけではありません。様々な理由から、方針の転換を余儀なくされることもあります。

今回お話いただいたネイリスト・marinaさんもその1人。今でこそネイリストとして独立し、自身のネイルサロン「utloi(うつろい)」を構えて多くの人の爪を美しく彩っているmarinaさん。しかし学生時代に目指していたのは、実はヘアメイクアップアーティストでした。

前編は、ヘアメイクの世界に魅せられてその道を志しながらも挫折し、心機一転、ネイリストに転身するまでの物語です。

MARINA’S PROFILE

お名前
marina
出身地
神奈川県
年齢
32歳(2024年7月時点)
出身学校
バンタンデザイン研究所 東京校 ヘアメイク学部
憧れの人
東京・渋谷にあるネイルサロン「DISCO」オーナー・金子渚さん
プライベートの過ごし方
おいしいお店に行く、音楽のライブやフェスに行く、映画やドラマを観る
趣味・ハマっていること
月1〜2回くらい、映画館で映画を観ること
仕事道具へのこだわりがあれば
絶対自分で試した上で、手にしっくりとなじむものを使う

「最初に志したのは、ヘアメイクアップアーティストだったんです」

「ネイルとヘアメイクでいえば、先に興味を持ったのはネイルの方だったのですが……」と話し始めるmarinaさん

――marinaさんが、ネイルアートに興味を持ったきっかけを教えてください。

私には姉が1人いるのですが、その姉が家でマニキュアを使ってネイルアートしているのを見ていたのが、最初のきっかけです。そこから興味を持ち、ネイルチップにアートするなどして遊んでいました。

けれど、そのままネイリストを目指したわけではなかったんです

――では、最初は別の職業を志していたのでしょうか?

中学生になる頃にはヘアメイクにも興味を持ち始めて、徐々にそちらに夢中になっていきました。ファッション雑誌を参考にしながら独学で色々試していく中で、ヘアスタイルやメイクでこんなにも様々に変身できることを知り、感動したんです。そして、この感動を他の人にも伝えていきたい、そのためには技術をきちんと学びたい、と思うようになりました。

進路を決める段階になっても、ネイルアートよりもヘアメイクへの興味の方が強かったです。高校卒業後は美容の専門学校に進学したいと両親に相談して、学校を決め、上京させてもらうことになりました。

――専門学校では、ヘアメイクを専攻されたのでしょうか?

はい。「バンタンデザイン研究所 東京校」のヘアメイク学部の2年制に進学しました。専門学校はいくつか見学に行きましたが、ここは今でも現役で活躍されている外部の方を講師に招いているのが決め手でしたね。インターンシップ先も多そうで、最も可能性がありそうだな、と感じました。

――専門学校での日々は、いかがでしたか?

とにかく楽しかったです! 自分の興味があることを思いっきり勉強できる環境がとても嬉しくて、かなり真面目に取り組んでいたと思います

美術館などに足を運んだり、本屋に通ってはファッション関係の洋書や写真集などを見て気に入ったものは購入したりして、インプットもたくさんしました。

その甲斐もあってか、「バンタンカッティングエッジ」というバンタンデザイン研究所が主催する在校生を対象としたコンペティションに参加した際、ヘアメイクの作品で最終選考まで残ることができたんです。数カ月に及ぶ学内審査を勝ち残れた経験は、私の自信になりましたね。

辛酸を舐め続けた、ヘアメイクのアシスタント時代

「気が進まない現場で長時間拘束され続けるのは、しんどかったな……」と、当時の苦労を振り返る

――卒業後の進路は、どちらに?

在学中から週1でインターンをしていた都内のヘアメイク事務所に所属して、アーティストの先輩方のアシスタントからスタートしました

当時は私を除いて3人のアーティストがいて、各人担当する分野が異なり、そして上下関係がはっきりしている事務所でした。ファッション関係の仕事がしたくて入りましたが、ファッションの現場を主に任せされていたのはもっと年次が上の先輩だったため、その方のアシスタントには就けなくて。舞台を中心とした俳優や声優の方々を担当していた別の方のアシスタントをすることになりました。

――当初やりたかったこととは、また違う現場だったのですね。

当時から徐々に増えてきていた2.5次元の舞台での現場などが主で、女性よりも男性をメイクすることの方が多かったです。「やりたいことがいきなりできることのほうが稀」「これも修行の一環だ」と思って耐えつつ、どの現場も一生懸命やっていました。

しかし、自分の中にヘアメイクの世界に対する憧れがあった分、正直落胆したのも事実です

アシスタントの身分なので、薄給な上に拘束時間が長かったのもつらかったですね。生活のために、寝る間を惜しんでアルバイトもしていました。両親にも、たくさんの迷惑と心配をかけたと思います。

――苦しい時期だったんですね。

そうですね。そのようなことが積み重なる中で「このままこの事務所にいても、自分のやりたいことはできなさそう」と、思うようになっていきました

事務所には2年ほど所属していましたが、ある日、自分の中で積もりに積もった何かが切れてしまって。「もう辞めよう」と決意して事務所を後にしました。23歳の時だったな。

「本当にやりたい」と思えることをやるため、ネイリストへの転身を決意

あるネイルアート作品との出会いが、marinaさんがネイリストを目指すことを後押しするきっかけとなった

――ヘアメイクの事務所を辞められてから、ネイリストを目指したのでしょうか? 事務所を変えるというのは考えませんでしたか?

1つの事務所に2年間所属していただけでしたが、そこでヘアメイクの実情を知って、自分の中の興味が半減してしまっていました。

実は、ヘアメイクの道に疑問を持ち始めた頃から、忙しい合間を縫いつつ、ジェルを使ったネイルアートを独学で勉強し直していたんです。

その頃、ファッション雑誌で見かけたあるネイリストさんの作品を見て、ネイリストへの道を本格的に考え始めました。

――それは、どのような作品でしたか?

渋谷にある「DISCO(ディスコ)」というネイルサロンのオーナーである、金子渚さんの作品です。当時はまだまだコンサバティブなアートが主流な中、やや前衛的だった個性的なニュアンスネイルを先駆けて手掛け、発信されている方でした

それが、私の好みにも見事にハマって。「私のやりたいことは、これかもしれない」と、ネイリストへの転身を決意したんです。

――ネイリストへ転身するための具体的な行動は、どのようなものでしたか?

アルバイトをしながらネイルチップで作品を作り、それをポートフォリオとして都内のネイルサロンを回って転職活動、といった感じです。ヘアメイクのアシスタント時代は正社員ではなかったのでその反省を基に、社員として採用してくれるところを探しました。

その後、一度下北沢のネイルサロンに採用が決まりましたが、3カ月足らずで辞めてしまいまして。

――なぜでしょう?

爪や手指のケアと施術そのものが、私の想定よりもかなり雑だったからです。「自分がお客さんだったら、このネイルサロンには行きたくないな」と感じてしまい、続けられないと思って。

しかしこの経験から、社員採用だけでなく、爪や手指を傷めないケアや丁寧な施術を重視したネイルサロンに行きたい、とサロン選びの基準がより明確になりました。施術の質に対する自分の意識も変わり、ケアの方法などをもっときちんと学ぶためにネイル検定の3級を取得し、その後ネイルサロン探しを再開しました。

marinaさんの作例の一部。爪の1つ1つが、まるでアート作品のような美しさ


憧れだった、ヘアメイクアップアーティストの道。しかし、いざ現場に出るようになり、自身の思い描いていたものとはまた違った側面を体験することになります。挫折を味わったmarinaさんを支えたのは、幼い頃から親しんできたネイルアートでした。後編では、思い切ってネイルの道へ転身することになったmarinaさんの、その後のキャリアを追いかけます。

 

撮影/内田龍
取材・文/勝島春奈

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nail salon utloi
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