先輩の姿を見て、「技術へのこだわり」を知った新人時代「Vardy omotesando」FUJIさん
東京・表参道に店舗を構える「Vardy omotesando」は、カラー特化型の人気サロン。FUJIさんは同店でジュニアスタイリストとして活躍しています。
小さな頃はファッションデザイナーの仕事に興味があったというFUJIさん。ファッションデザイナーの世界は狭き門ということを知り、「自分の好きな世界観を表現したい」という思いから、美容師を目指すようになります。地元の名門美容専門学校に進学後は、「1000本巻き」と呼ばれる伝統行事に参加したり、厳しい校風にもまれたりして、積極的に人間性と技術を磨いてきました。
一流のカラー技術を身につけるため、新卒で入社したサロンを退職し「Vardy omotesando」に入社。高いレベルが求められる環境で、自分の実力をアップさせるために努力してきたといいます。
今回、お話を伺ったのは…
「Vardy omotesando」ジュニアスタイリスト
FUJIさん
美容師歴3年目。中途社員として2023年に「Vardy omotesando」に入社。ブリーチワークとデザインカラーを得意とする。モードでグランジ感のある攻めたスタイルが、お客様からの支持を集めている。Instagramのフォロワーは1.1万人。
憧れのサロンがあったから、どんな試練も乗り越えられた
――FUJIさんが美容師を目指したきっかけを教えてください。
元々は「かっこいい女性像」の世界観を表現できるファッションデザイナーになるのが夢でした。しかし母親から、一流のファッションデザイナーになれるのはほんの一握りの人だということを教えてもらい、断念したんです。
ただ「世界観を表現できる仕事」という軸は、持ち続けていたくて。美容師も理想の世界観を表現できるのではないかと思い、その道に進むことを決めました。
高校時代には進路を決めていたので、友達の前髪をカットしたり、市販の薬剤を使って髪をブリーチしたりしていましたね。
――専門学校はどのように選びましたか?
基礎を固めるために、カリキュラムがしっかりとしている学校に行きたいと思い、地元・福岡県で有名な美容専門学校に進学しました。生徒のための練習用サロンが設けられているなど、設備が充実しているところも魅力でした。
――専門学校時代、印象的だった出来事はありますか?
早朝から夕方まで1日中ワインディングを繰り返す、「1000本巻き」という学校独自のイベントが印象に残っていますね。そのイベント中は、国家試験の規定よりも5分短い時間内に、ワインディングを巻き切らないといけないという決まりがあります。クラスのなかで、誰かひとりでも目標を達成できなかったら、連帯責任でクラス全員がプラス1回ワインディングを多く巻く決まりというスパルタぶり。
誰よりも早く巻き終わるよう、必死に取り組みました。イベントが終わった後の、手の痛みと達成感は忘れられません。このイベントで鍛えてもらったおかげもあり、国家試験のワインディングは余裕をもって、時間内に完了することができました!
――ほかにも思い出深いことがあれば教えてください。
校風が厳しかったことも、とても思い出深いです。クラスで行う朝礼に一人でも遅刻すると、クラス全員が居残りをしなければいけない決まりがあって。毎朝、班ごとに起床連絡を送りあって遅刻しないように気を付けるなど、かなり体育会系な学校でした。挨拶や礼儀、言葉遣いに関しても、とても厳しく指導してもらいましたね。
当時はとても大変でしたが、社会に出てから、指導してもらったありがたみをひしひしと感じています。とくに面接や接客で正しい敬語を使えることは、アドバンテージになったように感じますね。
――ハードな練習のモチベーションは、どんなところにありましたか?
「絶対に東京の憧れのサロンに就職する!」という気持ちが、一番のモチベーションになっていました。
どれくらい強い思いだったかというと、進路希望表の第1志望から第4志望まで、全部そのサロンの名前を書いたくらい(笑)。先生には「別のサロンも検討しなさい」と指導されましたが、「絶対受かるので大丈夫です」と希望を突き通して、無事に合格しました。
ブリーチとカラーの技術を磨くために転職を決意
――無事、第1志望に就職したFUJIさん。なぜ転職することになったのですか?
ブリーチとカラーの技術を磨きたいと思い、カラー技術に特化した「Vardy omotesando」に転職することを決めました。1社目でご一緒していた、カラーが得意な先輩が「Vardy omotesando」に転職すると聞き、追いかける形で私も面接を受けたんです。
――なぜカラー技術を磨きたいと思ったのですか?
憧れていた先輩がハイトーンの施術を得意としていて、「私も先輩のように、きれいなハイトーンができるようになりたいな」と思ったのがきっかけです。
ハイトーンは、とても奥が深い技術。ムラなくきれいに仕上げつつ、色落ちまで計算して、ダメージを最小限に抑えるのは至難の技です。高いレベルの人ばかりの環境に身を置いて、一流のカラー技術を身につられればと思ったんです。
――転職後は、どんな仕事から始めましたか?
スタイリストとしてデビューするためのカリキュラムをこなしつつ、アシスタント業務からスタートしました。
前のサロンで1年ほど経験を積んでいたので、「カラーもブリーチもうまく塗れる!」と自信満々で業務をスタートしました。しかしいつも3パネルくらいカラーを塗ったところで、先輩から「ひとりでやるから、サポートを抜けていいよ」と言われていたんです 。
要するに塗るのが遅いということを遠回しに指摘されていたのですが、そこで初めて「私のカラー技術って、まだまだなんだな」と気づかされました。
先輩が根負けするまで、施術に入ることを懇願
――転職後に、ご自身の実力不足を感じる瞬間があったのですね。
「Vardy omotesando」に入るまでは、ブリーチやカラーのときに、ペーパーやコットンを挟んだり、薬剤にこだわったりすれば、丁寧に施術していることになると思っていたんです。でも、それは大きな間違いでした。
そんなことは、やって当たり前。「Vardy omotesando」が求める水準は、もっともっと高いところにあり、自分はそこに到達していないのだと気づきました。
――具体的にどんなところでカラーへのこだわりを感じますか?
一般的なカラーは、ひとつの薬剤で頭全体を染めます。そのやり方だと、どうしても根元と毛先で色ムラが出てしまうんです。
「Vardy omotesando」は、根本と毛先で別のブリーチ剤を使い分けますし、置き時間も部位によって分けています。もちろんカラー剤も、数百種類のなかから最適なものをいくつか組み合わせて使うんですよ!お客様が望むカラーを、最小限のダメージで再現することへのこだわりが、本当に強いサロンなんです。
――マスターするのは本当に大変そうですね!
最初は座学で教えてもらったのですが、正直、まったく理解できませんでした(笑)。実際に手を動かす過程で、理論が分かってきた感じでしたね。技術を早く身につけるうえでは、勉強と同じくらい実践も大切だと思ったので、しつこく「施術に入らせてほしい」とお願いしました。
カラーのサポートに入ったときに、先輩から「もう抜けていいよ」と言われても、ハケを持ったままその場を離れず、先輩が根負けするまで「やらせてください」「ここは私が塗ります」と食い下がるようにしていました。ガツガツと食らいついて、早く技術を身につけたいと思ったんです。
FUJIさんが大切にした就職活動期と新人時代の3つの心構え
1.厳しい環境に身を置くことを意識し続けた
2.常に理想を忘れず、目標の姿を叶えるための努力を怠らなかった
3.先輩が驚くほどに食らいついて、技術習得の機会を得ていた
後編では、まもなくデビューを迎えるFUJIさんがぶつかった壁とその乗り越え方について伺います。ショートやレイヤーのカットの魅力が理解できず、技術習得に苦戦したというFUJIさん。まずはショートやレイヤーのよさを自分が理解できるよう、情報収集などに励んだといいます。
現在、モード感のあるスタイルで人気を博すFUJIさんですが、SNSのフォロワーが増加すると同時に、指名のお客様が増えてきたそう。後編もお楽しみに!