大手化粧品会社でのキャリアを経てたどり着いた、“私が本当にやりたいこと” 私の履歴書 【サロンオーナー/エステティシャン 高山加奈子さん】#1
大阪府大阪市にある「Le Belles Femmes(ル・ベル ファム)」は、オーナーエステティシャンである高山加奈子さんが営む女性専用のプライベートサロンです。Osaka Metro 御堂筋線あびこ駅から徒歩約4分と好アクセスであるにもかかわらず、窓からはお庭が見える静かな佇まい。1日3名限定の完全予約制というお客様専用の空間で、特別感たっぷりの優雅な時間を提供しています。
そんな高山さんのキャリアの始まりは、東京都内の4年制大学を卒業後、大手化粧品会社に就職したことから始まりました。
前編では、勤務していた化粧品会社でのお仕事を経て、エステティシャンに転身するまでの物語をお話しいただきます。
KANAKO’S PROFILE
- お名前
- 高山加奈子
- 出身地
- 大阪府大阪市
- 年齢
- 47歳(2024年10月時点)
- 出身学校
- お茶の水女子大学 文教育学部 芸術表現行動学科
- プライベートの過ごし方
- 「最近は子どもの学校や習い事もあって忙しない毎日ですが、家族で時間を合わせてお出かけすることですね。まとまった時間が取れたら、旅行に行くこともあります」
- 趣味・ハマっていること
- 「バスタイムです。一日の中でも貴重な一人の時間なので(笑)。入浴剤を変えながら本を読んだり、動画やニュースを観たりしています。あと、家事をしながらドラマを観ること。中学時代から好きな俳優さんが出演したドラマの再放送などを楽しんでいます」
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 「化粧品です。自分で試してよかったものを取り入れるのはもちろんのこと、続けやすい価格帯にもこだわっています」
“自分”を貫いた就活の末、大手化粧品会社へ就職
――高山さんが美容に興味を持たれたきっかけを教えてください。
明確にこれといったきっかけはないかもしれません。ただ、専業主婦の母は、外出の有無にかかわらず基本的に必ずメイクをする人でした。その姿を見ていて、子ども心に興味を持ったんです。母の留守中、化粧品を勝手に使ってみちゃったりして(笑)。今でこそ男女の区別なくメイクする時代になってきましたが、メイクによって変身できるのは女性の特権なのだな、と当時から憧れがありました。
自分が実際にメイクを始めたのは大学生くらいからですが、就活の時に化粧品会社ばかり選考を受けていたのも、やはり化粧品に一番興味があったからです。
――就活の時点で、化粧品会社に絞っていたんですね!
はい。当時最も憧れていたのがメイクアップアーティストだったこともあり、メイクのための化粧品はもちろん、スキンケア化粧品を扱う会社も含めて受けていました。メイクアップにおいても、肌が特に大事だと思っていたからです。他にも勤務地が東京であることと、プライベートも大事にしたかったので土日休みであることなども条件でした。
当時は就職氷河期でしたが、面接でははっきりと自分の希望条件ややりたいことを伝えていました。しかし、それがかえって良かったのかもしれません。7社ほど内定をいただけた中で、大手の化粧品会社に決めました。
――その会社に決められた決め手は、何だったのでしょうか?
フランス製のエステ用化粧品をはじめ、海外からの高級化粧品を輸入・販売する子会社を有していて、むしろ本社よりもそこで働きたいと思ったからです。その会社自体の主力は男性用化粧品だったのですが、女性用化粧品の進出に意欲的なタイミングでもありました。
花形部署を経験しつつも、どうしても自分の「やりたいこと」がしたい!
――就職された化粧品会社では、どのようなお仕事を?
それが、東京営業所での営業からのスタートだったんです。入社前の面談で、グループ会社で働きたいことと東京勤務希望であることは話したのですが、子会社の方は叶わずでした。配属としては花形ではあったのですが、当時の私は不満でしたね(笑)。
都内の担当エリアにあるドラッグストアを中心に営業に回り、自社商品の販促をするのが主な業務でした。シーズンごとに訪れる棚替えという業務では自社商品を置いてもらうために始発で営業先に向かったり、問屋から無理難題を言われたりすることもあり、振り返ると新人ながらになかなか大変な思いをしていたなと思います。
営業には2年間所属していましたが、社会の荒波に揉まれつつ、その表も裏も垣間見ることができたのは良かったかな。
――最初から、やりたいことができたわけではなかったのですね。ずっと営業部だったのでしょうか?
いいえ。やはり、「これは、私のやりたかったことではないのでは?」という疑問が拭えなくて。面談の際には、ずっと自分が行きたいグループ会社への異動希望を出していました。
入社3年目にやっと辞令が出たと思ったら、今度は大阪にある商品開発部への異動だったんです。
――今度は商品開発部だったのですね!
大阪育ちなのですが、大学入学以降はずっと東京に住んでいたこともあって大阪に戻るのは気が進まなかったのですが、これまた花形の異動人事ではあったらしく…。結局大阪に戻り、商品開発部に所属することになりました。
しかし、花形の部署と言われているだけあって仕事ができる方がとても多く、いい意味で驚かされました。みんながパワーポイントを使いこなし、会議ではスマートなプレゼンテーションが繰り広げられていました。マーケティングによってカスタマーのニーズを汲み取り商品開発に繋げていく様子も、とても刺激的。ここで仕事していたら成長できるぞ、と思いましたね。
営業部ではやったことがない業務ばかりだったので、学ばせていただきながらなんとか仕事をこなす日々でした。今までの経験なんて、まだまだちっぽけだったなと痛感しました。
――さすが、花形部署!
しかし、それでも「これは私のやりたいこと?」という思いがずっとあって。商品開発部にきてからも、面談があるたびに自身のやりたいことを伝え続けていました。
入社前から言い続けているのにもかかわらず聞いてもらえそうな気配がないので、とうとう「次の人事で希望が叶わなければ、辞めることも考えています」って言っちゃったんです。
そうしたら、当時の上司が「自分の夢がきちんとあるというのは、素敵なことだ」と、グループ会社に出向できるように取り計らってくれたんです。こうして、念願のエステサロン向けの商材を取り扱う会社への異動が決まりました。
この会社で働く中で、メイクアップよりもスキンケアへの関心が高まっていたこともあり、とてもうれしかったです。当時25歳、入社4年目にしてやっと配属希望が叶いました。
「やりたいこと」がやれる充実の日々と、その中で見つけた新たな目標
――やっとやりたいことができそうなグループ会社への異動が叶いましたが、そこでのキャリアはいかがでしたか?
そこでは、海外から輸入したエステサロン向けの商品の販促からメニューの作成・提案までを行う、営業とエステのインストラクターを兼ねた仕事をしていました。
スキンケアに深く関わるエステについて一から学ぶことができるのはとても楽しく、やりがいも感じていました。
――苦労されたことなどはありますか?
キャリアにおいては、外部でエステティシャンを経験されてきた人がメーカーへ転職する、というルートが一般的です。私は、同じ会社内ではありますがメーカーの業務を経験してからエステの業務へ、という通常とは逆の流れでした。
そのため、現場のシステムもそこで働く人の気持ちも問題点も、何もわからなかったんです。ここに関しては、とても苦労しましたね。
この会社では、本来なら自社の取り扱う商材を使ったエステのメニューを、外部のエステティシャンに向けて教える立場でなくてはなりませんから。
――どのように乗り越えていったのでしょう?
私はとても手先が不器用なので、実はエステティシャンに向いているとは言えないんです。なので、知識は実務を通じて蓄えていけましたが、技術に関してはひたすら練習あるのみ。朝の出社前や営業後の時間を使い、時には周りの方々の体もお借りしつつ、日々スキルアップに励みました。
エステの国際ライセンスである「CIDESCO(シデスコ)インターナショナル」を取得したのも、この時です。インストラクターとしても箔がつくとして社内でも推奨されていたので、思いきって立候補して受験させていただきました。会社での業務だとフェイシャルエステがメインでしたが、この資格における実技内容はワックス脱毛やボディエステ、ネイルなど範囲が多岐にわたり、より幅広い領域を学ぶことができました。ここでも練習用に体を貸してもらうなど、たくさんの人にご協力いただきましたね。
――充実した日々を過ごされていたようですが、ここからエステティシャンに転身しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
やはり、実際の現場を知りたいという気持ちが大きかったからです。この会社でエステのインストラクターとしてのキャリアを重ねるほど、この思いを強くしていきました。
エステティシャンの方々の中にはご自身でお店を構えていらっしゃる方も多く、その姿に憧れも抱いていました。「いつかは、自分のお店を持ちたい」と思うようになったのも、そんな方々と接しているうちに自然と…といった感じだったと思います。
――自分のお店を構えることに関しても、エステのインストラクター時の経験に基づいているのですね。
そうですね。また、私たちが行うエステサロンへの営業は、顧客の通常業務が終わった夜20時以降が中心となることも多かったんです。会社としての、9時から17時までの通常業務に加えてです。忙しい時は日付が変わる時刻までの長時間労働となることもありました。それでも、また朝9時には出社する、といったこともしばしば。
私は結婚や出産もしたいという考えだったので、この働き方を続けるのは現実的ではないとも思っていました。外の世界を知って、もし戻りたくなったらまた戻ればいい。4、5年間、本当にたくさんのことを学ばせていただき仕事も楽しかったのですが、思い切って退職を決意しました。
大手化粧品会社に就職後、都心部での営業に続き商品開発と、花形部署を渡り歩いてきた高山さん。与えられた環境できちんと学びを得て成長しながらも、自分の「やりたいこと」を一貫して主張してきたその姿が上司の心を打ち、ついに希望が叶い、エステのインストラクター兼営業の仕事に従事することとなります。充実した日々を送っていましたが、その環境だったからこそ新たな思いもまた生まれました。後編では、自身の「やりたいこと」を追求した先にある高山さんの姿を、さらに追いかけていきます。
撮影/斎藤大地
取材・文/勝島春奈
Salon Data