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ちまたで話題のブランド「TOMOKO KODERA」。誕生までのその道のりとは?【ジュ エリーデザイナー小寺智子さん #2】

ジュエリーデザイナーの小寺智子さんは、その作品も、ブティックも、凛としたご本人の佇まいとともに、自分らしいスタイルが隅々にまで貫かれています。一度身につけると、身につけた人の個性と相まって、その世界観に魅せられる人が多いジュエリーブランドがTOMOKO KODERAなのです。

ところが、小寺さんは、個人でブランドを立ち上げたわけではなく、ダイヤモンドジュエリーの会社の一社員として、個人名をつけたブランドを展開しているという、とても稀有な存在。

その仕事術と美しいジュエリーが生まれる秘密を知りたくてお話を伺いました。仕事をするってどういうことなのか、参考になるヒントがいっぱい詰まっています。この#2では、小寺さんがジュエリーデザイナーを目指すきっかけになったお話です。

NY アーキテクチャー
小寺さんの人気を不動のものにした1995年の作品「NY アーキテクチャー」。ニューヨークの摩天楼の直線と曲線。アールデコ建築や、街並みがこのリングに集約されています。

小寺さんの今の活躍からは想像もできませんが、じつは“挫折からはじまったキャリア”だといいます。そして人生の節目節目で出会うメンターのような先生たちとの出会い。まずは小寺さんの子供の頃から紐解きます。

「子どもの頃からひらひらした洋服などが嫌いでしたね(笑)」と語る小寺さん。ジュエリーデザインに宿る凜とした雰囲気は、後から培われたものではなく、もともと本質としてあったのかもしれないといいます。

「同じ年の同級生の女の子と戯れるより、ひとりが好きで絵を描いてばかりいました」

小寺さんはとにかく絵を描くことが大好き。好きな絵のために、美大へ進学する夢を小学生の頃から持っていたとそうです。

「でも美大がどんなところかなんてもちろん子どもですから知らなかったですよ。なんとなくイメージで、ただ絵を描ける場所としか思っていなかったんですね(笑)」

そんな小寺さんも、高校生になったら美大進学に備え、美術の予備校へ通うことになったそうです。

「予備校は、真剣に勉強するというよりもアート的感覚で行くことにしたのです。ところが軽い気持ちで選んだ学校が東京藝術大学に何人も合格者を出すようなスパルタ的な学校。けれども高校生の私は、そんなまわりに雰囲気に影響されて、スパルタな環境でも毎日とても楽しかったですね」

小寺さんはそこでひとりの先生に出会いました。

「池田先生というのですが、京都の大学に竹内先生という日本画の先生がいて、すごく良い先生だからいったらどうかとすすめられました。東京から京都の美大に行ったのはよかったのですが、関西弁と初めての一人暮らしになかなか慣れず、しばらくは泣いてばかりいたのです(笑)。そんな私を気にしてくださり、卒業後は京都で就職先まで紹介してくださり、テキスタイルではトップクラスのデザイナーのアトリエに就職しました」

セントラルパーク
リング「セントラルパーク」は1996年の作品。このリングも大ヒットして、ネックレスはブロードウェイをテーマに、イヤリングはウエストサイド&イーストサイドをデザイン。すべてを揃えるとマンハッタンができる、というシリーズジュエリーになりました。

絵を描くことの情熱が実って、絵につながる仕事ができることになった小寺さん。ところが、ここでも伝統と格式のある土地で初めての社会人を経験するのは大変でした。礼儀の厳しい世界の雰囲気に馴染めず、東京に戻ることになってしまいます。

凹んでいて、目標が見つけられなかった時代。予備校時代の池田先生からも、なんでもいいからスタートしなさい、と言わていました。

「美術に関係する仕事がないかな、と思いつつ竹内先生や京都の画商さんたちと海外にスケッチ旅行などしていましたね」

そしてそんな時、突然ジュエリーデザイナーを志すきっかけとなる出来事が。

「京都のテキスタイルデザインの会社を辞めた後、アメリカとヨーロッパを回りました。ドイツのフランクフルトには、テキスタイルデザインの会社時代のヨーロッパセールス担当の女性がいたので、立ち寄りました。その方の家では子供が生まれたばかりで、赤ちゃんなのに小さなパールのピアスをしていたのです。白い肌とパールのピアス。その美しさに魅せられて思わず“わたしも開けてみたいわ”といったら、彼女が“じゃあ、今からピアスの穴を開けに行きましょう”と言って宝石店に連れて行かれたのです」

その時は勢いでピアスの穴を開けた小寺さん。これが今につながるスタートになったとは、もちろんその時は思っていなかったそう。

「ピアスの穴を開けたからにはそこに何かつけなくては、といろいろ探したけれど、自分が心から欲しいと思うものが何処にもなかった。その時気がついたんです。いろいろジュエリーをみているうちに、こういうものづくりの仕事もあるんだと気付きました。身につけるものって面白いなと。それでこういう仕事(ジュエリーデザイナー)もいいかな、と思ったんですね」

その後大型書店に行き、ジュエリーデザインを学ぶ学校を探した小寺さん。そこで見つけたジュエリーの専門学校には、予備校時代の池田先生の同級生の講師もいるということで、さっそくその学校に通うことになったのだそうです。

「ところが行動は早かったけれどお金が無かったんです(笑)そこで、京都の竹内先生に公衆電話から電話をしてお金かしてくださいとお願いしたら出世払いでいいよといってくれました」

なんとも大胆な小寺さん。絵を描くことにはじまり、好きなこと、目的のためにまっすぐに突き進むこと。小寺さんのぶれない人生の姿勢はこんなエピソードからも感じられます。

小寺智子さん
ジュエリーデザイナーの小寺智子さん。
エッフェル塔
優美なアーチは「エッフェル塔」。現地で真下から見上げて写真を撮ったものがベースになっているそうです。小寺さんらしい風景の切り取り方が見事にジュエリーになっています。

「もちろん後付けですけれど、先生運には恵まれていたと思うんです。芯が強くていうこときかなそうと思われがちですが(笑)、これと思う人に出会ったら真摯に一生懸命学ぼうとする姿勢は底辺にちゃんとありました。そうすると先生も一生懸命それに答えてくださる。美大への進学や就職、そして学費の支援までも、人生の節目に素晴らしい先生に出会えていると思います」

それはジュエリーの専門学校でも同じ。ある時先生に紹介されたアルバイト先が、現在の会社。最初は繁忙期の応援要員としてショップに立っていましたが、それを過ぎても販売のアルバイトを続けることに。そして、最終的には、卒業後就職ということに繋がっていきます。

ジュエリーの専門学校では、一般的なジュエリーデザインとは異なるコンテンポラリーを専攻していた小寺さん。

「たとえば、大地に穴を掘って、はい“アースジュエリー”みたいなことですね(笑)ジュエリー=貴金属という概念を超えたことばかりしていました」

けれども、ここで学んだことも小寺さんのジュエリーデザインに大きな影響を与え、しかも卒業制作は優秀な作品として評価され、随分あとになって大きなものになって還って来ることになります。

好きなことに真摯に取り組む、教えてもらうことに対してちゃんと応える、など、小寺さんの真面目さや素直さが道を切り開いてきたようなエピソードばかり。自分がほんとうにやりたいことに巡り合うまでの時間は人それぞれだとは思いますが、小寺さんのように20代でさまざまな経験をしてからのキャリアのスタートは、じつはひとつも無駄なことがないんだ、ということがわかります。#3では、進化した未来のジュエリーの話をお届けします。

構成・文/高橋麻紀子

Profile

小寺智子さん

小寺智子さん

京都芸術短期大学日本画科卒。1990年ヒコ・みづのジュエリーカレッジを卒業後、ダイヤモンドディーラーである株式会社柏圭に入社。1996年よりハイクラスジュエリーブランドTOMOKO KODERAコレクションがスタートし、現在に至る。全国の百貨店コーナーに加え、ブランド創設20周年で初の路面店「TOMOKO KODERA」を南青山にオープンした。数々のジュエリーデザインの権威ある賞の受賞歴多数。HRD Awards 2015インターナショナル ダイヤモンドジュエリーコンペティションで、日本人初のグランプリ受賞という快挙をなしとげた。

http://www.tomoko-kodera.com/

Shop Data

TOMOKO KODERA CONCEPT SHOP

東京都港区南青山5-10-1 二葉ビル1F
Tel.03-3486-1051
営業時間:11:00~19:30 火曜・水曜定休

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