「人の人生を豊かにする仕事をしたい」軸をブラすことなく銀行員からBAに転向 イニスフリーBA 寺﨑弥生さん♯1
2024年2月、表参道に世界で2店舗目となるグローバルフラッグシップストアがオープンしたイニスフリー。入社3年目のBA寺﨑弥生さんは、「人の人生を豊かにする仕事をしたい」という大きな軸を持ち、大学卒業後は銀行員に。その4年後、大好きな化粧品を扱うBAに転職しました。
転職間もない頃は、業界の違いに多少のギャップを感じたこともありましたが、分からないことはシスター(OJT担当)に何でも聞き、売上が高い先輩の接客をめちゃくちゃ見て、いいなと思うやり方をどんどん盗んだのだとか。
お話を伺ったのは…
イニスフリーの2店舗目となるグローバルフラッグシップストア・表参道店
BA 寺﨑弥生さん
「人の人生を豊かにする仕事をしたい」というテーマを掲げ、大学卒業後、志望していた接客業の中から金融業界を選択し、銀行員となる。窓口や金融商品の販売業務を担当。4年勤めた後、接客業の中でも自分の好きなものに携われる仕事がしたくなり、以前から好きだった化粧品会社への転職を考え、イニスフリーに入社。表参道店配属、入社1年目にコンテストで1位を獲得したことが自信になり、3年目の現在も活躍中。
「人の人生を豊かにする仕事をしたい」と新卒で銀行員に
――イニスフリー以前のお話を伺ってもいいですか。
いまとはまったく違う業界ですが、就活のときに「人の人生を豊かにする仕事をしたい」という大きなテーマがあり、そのために必要不可欠な金融業界を選びました。とくに経済を学んだわけでもないのですが、とにかく接客がやりたくて、接客業の中から銀行員を選択しました。
――銀行ではどんなお仕事をされていたのですか。
窓口業務から金融商品の販売まで、おもに接客の仕事をしてきました。1年目は窓口担当、2年目からは投資信託や保険など金融商品の販売担当に。1分1秒で動く価格変動を追いつつ、それをよいタイミングでお客様に知らせないといけない。暴落してしまった方のケアもしなくてはいけない。1円のミスがお客様に多大な迷惑をかけてしまうので、常に責任感やプレッシャーがつきまとう仕事でした。
当時、新人はわたしだけで同期同士の競争はなかったのですが、先輩はできるのにどうしてわたしはできないんだろうと落ちこむことも多くて。いま考えたらそれが当たり前なのですが…。当時のわたしには早く完璧にやらないといけないという観念があり、それが余計にプレッシャーを強くしていたのかもしれません。
――美容業界への転職のきっかけは?
以前から化粧品がすごく好きだったんです。就活のときから業界は幅広く見ていたので、BAも視野には入れていました。4年間銀行員としてやってきて、接客は楽しいけど、今度は自分の好きなものに携われる仕事がしたいと思い始めたんです。
先ほど「人の人生を豊かにする仕事をしたい」と言いましたが、化粧品は外見を美しくすることができます。でもそれだけでなく、美しくなることで自分に自信が持てるようになり、内面を磨くこともできる。BAとして人のサポートをすることは、わたしの仕事をする上でのテーマにマッチしているなと考えました。
イニスフリーの親しみやすさが入社の決め手に
――数ある化粧品会社の中からイニスフリーに決めた理由は?
どんな会社があるのかなと転職サイトを見ていたときに、イニスフリーがパッと目に飛びこんできました。もちろんイニスフリー自体は知っていたのですが、いちばん最初に出会えて、ちょっとご縁があったかもなと思います。子どものときから語学が好きでずっと英語を勉強してきて、韓国にもとても興味があったので、韓国語もスキルアップできたらいいなという気持ちもありました。
イニスフリーの親しみやすさも大きな魅力でした。繰り返しになりますが、「人の人生を豊かにする仕事」をするためには、親しみやすさが大事だと思っているので、銀行を決めるときもその軸がブレることはなかったです。それと同じで、デパ地下ブランドのハイブランドを売るのは、わたしにはちょっとプレッシャーが強いんですよね。イニスフリーは、自然主義でナチュラル、価格帯もハイブランドとプチプラコスメの中間。そんな親しみやすいブランドに魅力を感じました。
OJT担当のシスターになんでも聞いて仕事を覚えた新人時代
――新人時代はどんな環境でしたか。
銀行員のときは、自分の父親と同じくらいの人と関わることが多かったので、きちんとしないといけないというモードでしたが、イニスフリーには年下のスタッフも多く、考え方が柔軟で明るくて自由なことに驚きました。銀行では自分で考えて臨機応変にやる仕事が稀だったので、最初はマニュアルも少ないし、これで統一できるのかなとちょっと不安に感じることもありました。
――銀行員時代と少しギャップがあったのですね。
最初は怖かったですね。自分のやり方で仕事をして、ミスったら怖いなみたいな。でも、イニスフリーではOJT担当を「シスター」と呼ぶのですが、わたしと似たタイプの方がついてくれて、年下でしたがすごく相性がよく、なんでも聞きやすくてとても助けられました。
――BAの仕事はどんなことから始めるのですか。
まずは商品知識を頭に入れることからスタートしました。肌の知識もまったくなかったのでシスターやトレーナーに分からないことは逐一聞いて。売上が高い先輩の接客をめちゃくちゃ見て、よいなと思うやり方をどんどん盗むようにしていました(笑)。
ちょっと慣れてきてからは、お客様に分かりやすく伝えるコミュニケーション術をめっちゃ使っていました。
――具体的にどんな方法なのでしょうか。
大学や銀行時代に学んだものですが、専門用語をなるべくイメージしやすいものに置き換えて説明するようにします。例えば、肌が硬いと有効成分が浸透しにくいことを説明するときに、「砂漠の土は乾燥していて硬いから水が浸みこみにくいですよね。でも花壇の土は柔らかいからジョウロの水がグングン入っていきます。お肌もそれと同じなんです」という感じで、なるべく分かりやすく伝えることを心がけています。
――とても参考になりますね。なにか新人時代の失敗談とかありますか。
最初は、商品の良さを伝えなきゃ、伝えなきゃと思うあまり話しすぎてしまうところがありました。それに気づいてからは、お客様に質問して肌悩みを聞いた上で商品をおすすめするようになりました。最初は、銀行員時代とのギャップを感じることもありましたが、だんだん仕事を覚えていくうちに少しずつ自信を持てるようになりました。
後編では、寺﨑さんが自信を持てるようになったきっかけにもなった、コンテストで1位を獲得したお話などを伺います。
撮影/大崎聡
取材・文/永瀬紀子