大学中退、新卒入社のサロンは1ヶ月で退職。道に迷った新人時代「LORONG豪徳寺店」堀田周平さん
2017年12月に誕生した美容室「LORONG」は、無言接客サービスを掲げ、会話をしないスタイルの接客が人気のサロン。堀田周平さんは同店でスタイリストとして活躍しています。
堀田さんは英語を使った仕事に就こうと大学に進学しますが、勉強になかなか熱中できず、大学を退学。幼いころからの夢だった美容師になろうと一念発起したものの、1店舗目のサロンを1ヶ月で退職したそうです。
その後、一度は美容師の仕事を離れましたが、美容の道を諦めきれず、再度美容師として名古屋のサロンに就職しました。年下の上司たちに囲まれながら、諦めずに練習を続け、念願だったスタイリストとしてデビューしたといいます。
今回、お話を伺ったのは…
「LORONG豪徳寺店」スタイリスト・店長
堀田周平さん
美容師歴は約15年。現在は豪徳寺店の店長と店舗責任者を務め、ボブやショートなどナチュラルなスタイルの施術を得意とする。趣味は音楽と子どもの成長を見守ること。
大学を辞め、美容師の道へ!
――堀田さんが美容師を目指したきっかけを教えてください。
幼少期に通っていたサロンの美容師さんがとてもかっこよく、キラキラして見えたのがきっかけです。漠然とした憧れがあり、「いつか美容師になりたいな」と思っていました。
――美容師を目指してから、どんな進路を歩みましたか?
実は僕、美容専門学校に入る前に大学に通っていたんです。美容師にも憧れがありましたが、英語を使った仕事に就きたいという夢もあり、英語を学べる大学に進学することにしました。しかし勉強には熱中できず、学校に通うこともなくなり、2年生になる前に大学を辞めることに。
そのときふと、「美容師になる」という幼少期からの夢を思い出したのです。「専門学校に入り、美容師になりたい」と両親に伝えたときは猛反対を受けましたが、なんとか進学をさせてもらいました。
――専門学校はどのような基準で選ばれましたか?
学校選びに迷ったので、名前を聞いたことがある有名な学校に進学しました。
――専門学校時代に力を入れていたことは?
僕は全然優秀な生徒ではなく、適当でだらしない性格でしたので、あまり努力はできていなかったです。大学を辞めてまで美容師になりたいと思っていたはずなのに、実際に学校に入ってからのモチベーションは高くなく、「試験に受かる程度にがんばろう」という気持ちでした。
激務と叱責に耐えられず、1ヶ月でサロンを退社
――無事、国家試験に合格して、卒業後に就職されるわけですね。
はい。ただ就職活動もあまりうまくいかず、原宿や青山に店舗を構える第一志望のサロンには入ることができませんでした。そこで希望していたところとは違うサロンに入ったところ、ギャップについていけなくなり、1ヶ月ほどで会社を辞めてしまいました。朝から終電までの練習や、営業中の先輩の叱責に耐えられず、つらくなってすぐ逃げ出してしまったんです。
――その後すぐ2社目に入社されたのですか?
数年単位で美容師の仕事から離れていました。そのときはフリーターとしていろいろな仕事をしていましたね。ときには飲食店の店長として働いていたこともありました。そのときは完全に美容師を「つらくてしんどい仕事」だと捉えていたので、「美容師として働くのはもういいかな」と思い、何かほかに楽しい仕事はないかずっと探していましたね。
――全く違うお仕事をされていたこともあったんですね。
はい。ほかの道を模索し、美容師への道は諦めたつもりではいたのですが、3~4年経ったころに、ふと「もう一度美容師の仕事をやりたいな」という気持ちが湧いてきたんです。中途半端に逃げ出してしまったことを後悔していて、諦めきれず、どこかで決着をつけないといけないと考えるようになりました。
――再び美容師になりたいという気持ちになってから、どのように行動されたのですか?
知り合いの先輩に声をかけてもらい、とあるサロンに入社しました。そこは全国展開している美容室だったため、当時住んでいた千葉から、入社を機に名古屋に引っ越しました。またとないチャンスということもあり、どこに行くことも厭わなかったです。
同級生はトップスタイリスト。人と自分を比べて苦しんだ新人時代
――前職は1ヶ月で辞められていたということでしたが、どんなお仕事からスタートしましたか?
本当に0からのスタートでした。専門学校を卒業したばかりの新人と同じカリキュラムを受け、シャンプーやカラーカットなどのいくつものテストを受けるところからのスタートでした。2回目の美容師への挑戦ということもあり、辛いことがあってもここで辞めてはいけないと踏ん張りました。
――研修ではどんなところが大変でしたか?
カットの練習がとても大変でした。ウィッグを切って練習をしていたのですが、ウィッグ代はすべて自腹。給料のほとんどが家賃や食費、ウィッグ代に消えていきました。たくさん練習をしたいのに、ウィッグ代がかさんで思うようにできないというジレンマもありましたね。
朝から晩までの激務だったので、自炊をして食費を切り詰めることなどもできず、お金を借りたこともありました。生活を成り立たせるのがやっとだった覚えがあります。
――デビューするまで意識していたことはありますか?
「先輩に言われたことはとりあえずやってみる」ということを意識していました。言われたことが自分に合っているかどうかは、新人の僕には正直わからないと思ったからです。難しいことは考えず「言われたことは一旦チャレンジしてみる」ということを意識していましたね。
――名古屋のお店に入ったときには、周りの新人さんよりも少し年齢が上だったのではないかと思います。どんなお気持ちでしたか?
焦りがありました。店長は年下でしたし、専門学校の同級生たちは、すでにスタイリストデビューをしていましたし、人によってはトップスタイリストになっていたりもしました。その焦りをバネにできるタイプでもなく、人と自分を比べて、気にしてしまっていた時期もありましたね。
堀田さんが新人時代に意識した3つのポイント
1.過去の経験から、「途中で諦めないこと」を意識した
2.後がないという思いで、厳しい練習にも食らいついた
3.先輩に言われたことは、とにかく一度やってみることを意識した
後編では、堀田さんがデビュー前後にぶつかった壁について伺います。デビュー後も自分の技術に自信がなかった堀田さんは、先輩にたくさん質問し、技術をものにできるように努力を続けたそう。目の前のお客様を喜ばせることが美容師の本分だと信じ、仕事を続けてきたと言います。後編もお楽しみに!