修業時代は独立に向けたテストマーケティングの場【フットブルー 西谷裕子さん #1】
美容業界で働く上で「独立」という目標を持つ人は多いはず。そんな方へ成功している先輩オーナーの経験談をお届けする本企画。
今回お話を伺ったのは、ドイツ式フットケアサロン「フットブルー」オーナーの西谷裕子さん。フットケアを日本に根づかせるため、店舗運営に加えスクールの主宰、オリジナル商品の開発など、夢の実現に向けて少しずつビジネスを拡大してきました。
前編では、独立を見据えた修業時代や、店舗を拡大するたびにぶつかった育成の壁についてお聞きします。
留学先で出会ったフットケアの素晴らしさに感動。
職業観にも魅せられて
──フットケアを仕事にしようと考えたきっかけを教えてください。
フットケアを知ったのは短大時代に留学したオランダでした。住んでいた街がドイツに近く、街じゅうにドイツ式フットケアサロンがあったんです。
当初はまったく興味がなかったのですが、現地で働きながら将来を模索していた20代の頃、ストレスが溜まり何となくフットケアサロンに入ったんです。たった30分の施術でしたが、足をケアしてもらうって何て気持ちがいいんだろうと心底びっくりしました。
その時に思い出したのが、足が悪くて引きこもりがちだった祖母の姿です。こんなふうに足を大事にする文化が日本にもあれば、祖母はもっと健康的な生活が送れたかもしれない…。日本に帰って、自分の手でフットケアを広めたいという気持ちが一気に高まりました。
──実体験からフットケアのすばらしさに開眼したんですね。
担当してくれた50歳ぐらいの女性が、イキイキと楽しそうに働く姿もとても素敵でした。「50歳になってもこんなに輝ける仕事があるんだ」「自分がしてあげたことでこんなにも喜んでもらえるんだ」と衝撃を受けて。この時の光景が、私の職業観の基礎になっています。
独立を念頭になんでもトライした修行時代
──フットケアの具体的な勉強はどのようにしたのですか?
日本に帰国後、サロンで働きながらフットケアから全身のマッサージまで、体のケアに関するあらゆる技術を学びました。「見ながら覚えろ」という時代だったので、ひたすら先輩の技術を見て覚える日々でしたね。
お客様を増やすために自分なりのマーケティングもしました。当時は珍しかったアロマテラピーを勉強して取り入れたり、施術内容を把握するために顧客ノートを作ったり。気になったことはどんどん形にしていきました。
技術だけじゃなく、領収書の整理や経費の仕分けも手伝いました。経営に必要なお金の流れは、この時に覚えたといっても過言ではありません。
実践と知識の両輪が結びつく瞬間
──実践の中で何でも学んでいったのですね。
同じ時期に、ドイツ人から本場のドイツ式フットケアを学べたことも転機になりました。
当時、日本のフットケアは表面の角質を削って整えるのが主流。でも私は、角質がたまる原因を何とかしたかった。日々の施術を通して体のバランスが崩れているからだろうと推測していたのですが、まさに私が習ったドイツ式フットケアが、足のアーチを整えるという考え方だったのです。
知識と実体験が結びつき、目指すべきフットケアが定まりました。
インターネットもSNSもない時代、頼れるのはクチコミ!
──独立を決意したきっかけを教えてください。
25歳を前に、サロンで指名率、リピート率、売上、紹介率が全て1位になったんです。特に紹介率は、自分流のマーケティングがある意味成功している証。これならば集客できるだろうと自信がついて、ゼロから自分の力を試すことにしました。
──満を持してフットブルー1号店を開店。実際に集客は順調だったのですか?
1号店は、現在の横浜店の向かいにあるビルの小さな1室。起業した1998年当時はインターネットが少しずつ浸透し始めた程度で、SNSなんてもちろんありません。
でも独立前の見込み通り、サロン時代に私の施術を信頼してくれたお客様が、クチコミでどんどん新しいお客様をつないでくださって。順調に常連さんが増えていき、2~3カ月後には予約が取れないほどになっていました。
ワンマンな教え方でスタッフが辞めてしまう…
──すぐに人気店になったんですね!
1人では回しきれず困っていたら、私のもとでフットケアを勉強したいという人が来てくれて。ごく自然な流れでスタッフとして採用し、育てることにしました。
お店は順調に売り上げを伸ばし、2年目には隣の空き部屋も借りて店舗を拡大。ところが、せっかく教えたスタッフがなぜか辞めてしまって…。
──理由は何だったのでしょうか?
私の教え方が雑然としていて分かりにくかったようです。当時の私は、頭の中にある知識を余すことなく教えたいあまり、片っ端から漫然と教えていたんです。私自身は、個別に教わったことを体系的に考える癖があったのですが、みんなが同じことをできるとは限らないんですよね。
──どのようにして改善したのですか?
私が教えた内容を、スタッフが文章にまとめてくれるようになったんです。続けていくうちにバラバラ話していたことが体系的にまとまり、1冊の教科書が完成していたんです。
これをきっかけに、体系的に教えることの重要性に気づきました。教科書はたびたびアップデートし、先輩が後輩に教えるという流れもできて、それ以降スタッフが定着するようになりました。
意気揚々と出した2号店は人間関係で失敗
──2号店は代官山に出店したそうですね?
経営面でも育成面でもある程度の結果を出せたので、次は東京で力を試したくなったんです。2つの店舗にそれぞれ店長はいましたが、私が両店を行き来して自分の顧客を持ちつつ、運営の指示も出していました。
ところが代官山店は人間関係が上手くいきませんでした。常駐スタッフが2名だったので、何かあるとダイレクトに衝突してしまう…。この反省を生かし、常駐スタッフを奇数の3名にして青山に出店し直すと、今度はバランスが取れ、安定した経営ができるようになりました。
──自分で施術もしながらスタッフのマネジメントもする。大変ですね?
サロン経営は水物。ちょっとした行き違いで雰囲気が変わってしまうし、お店によって偏りが出てしまいます。だから私は週7日休みなしで働き、各店を回って整地する毎日でした。
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経営者としてさまざまな経験を経た今、独立までに身に着けておきたい思考や働く姿勢についてうかがいました。
独立までにしておきたい3つのポイント
1. いつ独立してもいい気持ちで目の前の仕事に取り組む
2. 現在のサロンで一番になれるものを身に着ける
3. 技術だけでなく雑用のなかにも経営のヒントがある
後半は、出産によって会社が経営危機に。西谷さんがどのように乗り越えたのかお聞きします。
▽後編はこちら▽
教育制度の確立と業務のIT化で最大のピンチを乗り越える【フットブルー 西谷裕子さん #2】>>
取材・文/池田 泉
撮影/柴田大地(fort)
Salon Data
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