「やりたくないことは、やらなくていい!」が、事業もスタッフも成長するキーワード 【STEP BONE CUT 創設者 SAYURI USHIO】#2
2023年8月に拡張移転したSTEP BONE CUT TOKYO。前編では環境に負担をかけない内装へのこだわりや、環境省主催のグッドライフアワードのサスティナブルデザイン賞を受賞したカット技法についてご紹介しました。後編ではサロンの代表であり、ステップボーンカット©の発案創始者でもあるSAYURIさんが美容業界に飛び込んだ理由や、なぜ美容師の地位を高めようとしているのかなどを伺います。
お話を伺ったのは…
一般社団法人ステップボーンカット協会
特許技術ステップボーンカット発案創始者
SAYURI USHIOさん
1980年に宮内学園 日本高等美容専門学校を卒業。サロン2店舗を経て、25歳でご自身のサロン「TICK-TOCK」をオープン。2013年にステップボーンカット©の特許を取得し、2016年にはN.Y.に進出する。ステップボーンカット©の技術を広めつつ、オリジナル商品の開発も手がける。現在は、神戸を中心に展開している「TICK-TOCK」6店舗の経営に携わるかたわら、現代美術作家としても活躍している。
美容師になりたかったわけではなく「なってしまった」。だから今も尚もがいている
――SAYURIさんが美容に興味を持ったきっかけを教えてください。
私、ハチが張っていてものすごく頭が大きいんです。小学生の体育では紅白のリバーシブルになった帽子を被ったでしょう? 私の場合、頭が大きすぎて入らなかったくらい(笑)。しかも髪が多くて天然パーマだったから、よけいに頭の大きさが目立って重たい印象になっていたんですね。
美容院にいって髪を切ってもらっても、自分の思ったとおりのスタイルにならなくてすごく悲しかったんです。それで自分で自分の髪を切っていました。
高校を卒業したらどうするか、まだ何も決めていませんでしたが、もう勉強はしたくない(笑)。でも、やりたいこともない。そんなときに学校の先生に「美容学校へ行けば?」って勧められたんです。「その手もあるか」と思って、美容専門学校に進学しました。
――「美容師になりたい」という気持ちが先行していたワケではなかったんですね。
そうです。美容師になったのも、勤めていたサロンから独立して自分のサロンをつくったのも、率先して行動を起こしたワケではありませんでした。私の場合、なってしまった(笑)。なってから、もがいている感じですね(笑)。
――美容師の仕事が面白い!と思えるようになったのは、どのタイミングですか?
美容師になってだいぶ経ってからですね。最初のころは、何が面白いのかわかりませんでした。というのも、最初に入ったサロンはとても厳しい店で、朝は早いし夜は遅い。寮に入っていたんですが、先輩より先に寝てはいけないし、お風呂掃除もあったので先輩がお風呂に入らなければ入浴もできない。寮の門限が11時でしたが、店で11時まで働いていたので遊びにも行けなかったんですよ。
スタイリストデビューは早かったですよ。アシスタントを1年、2年目からスタイリストになりました。辛いことをガマンするのがイヤなので、早かったんだと思います(笑)。スタイリストになってもすぐ自分のお客さまができるワケはありません。最初は週に一人、それが3日に一人と増えていって1日一人となり、1日三人になる。ここまでくるのに1年半はかかったと思います。コンスタントにお客さまがいらっしゃって、ようやく仕事が楽しいと思えるようになりました。
――独立なさったきっかけはなんですか?
スタイリストになってから1回転職をしましたが、その転職先の店に居づらくなったのがきっかけです。お店を辞めたのはいいけれど、先のことを何も考えていませんでした。知り合いに「店を開くのにちょうどいい物件がある」と言われて、「じゃあやってみようか」という感じ。勢いのまま始めてしまいました(笑)。
――資金はどうしたんですか?
預金でどうにかなりました。実は私、子どものころからコツコツお金を貯める習慣があるんです(笑)。よく「経営者向き」だって言われます。専門学校を卒業してから最初のサロンには寮がありましたし、転職したサロンは実家から通っていたのでお金がかからなかったんですね。貯めていたお金を一気に投入しました。
――そのときに始めたのが「TICK-TOCK」ですね。
25歳の時に始めたお店です。SNSが流行るずっと前ですから、「TikTok」より私の方が早いんですよ(笑)。チックタックと時計の音がずっと刻まれ続けるように…というイメージで名付けました。
美容師の価値が日本と欧米とでは格段の差! その開きを埋めようと決意
――SAYURIさんがアメリカに渡ったのは何がきっかけだったんですか?
1985年にTICK-TOCKを始めて、ずっと順調でした。15坪の店にスタッフが6~7人。「店を広げた方がいいのでは」という声もあって、拡張移転することになったんです。契約を済ませ、いざ内装を始めようというタイミングで私ひとり渡米しました(笑)。もう何もかもイヤになってしまって。精神的に追い詰められていたんでしょうね。
一人っ子だったせいもあって、人とのコミュニケーションが苦手。しかも、勤めていたサロンで店長やマネージャの経験もなく独立したので、経営や人材を育てる方法が分からなかったんです。当時の私はまだ20代でスタッフとも年齢が近いから、よけにリーダーシップがとれませんでした。
――それは辛い経験ですね。語学は大丈夫だったんですか?
まったく話せません(笑)。まずN.Y.に飛んで、友だちが働いているサロンで髪を切っていました。日本の技術を持っていれば、海外ではすごくい生活ができますよ。日本でいうアシスタントみたいな下積みはないし、給料もいい。ずっとN.Y.で生活したい想いはありましたが、ビザの関係もあって仕方なく帰国しました。
――SAYURIさんがアメリカへ行っている間、TICK-TOCKはどうなっていたんですか?
スタッフたちがうまく切り盛りしていてくれました(笑)。帰国と同時に移転オープンして、さらに改装の借金3,000万円を抱えることになりました(笑)。
――ステップボーンカットのカリキュラムに着手したのはなぜですか?
ステップボーンカット©の技法は、以前から私がもともとやっていたことなんです。
N.Y.で人種も国籍も違う人たちにも通用するのが分かったので、この技術がうまく伝えられれば日本の美容師はどこでも通用できると確信しました。それで教えるためのカリキュラムを作って、特許を取ったんです。
――展開図という発想が面白いですよね。
図にするのが得意なんです(笑)。すべてのスタイルに展開図があって、髪をパーツに分けて番号が振ってあります。そのパネルの番号を展開図の通りにカットすれば思った通りのスタイルになるんです。
コロナ禍で対面での講習会からオンラインに切り替えても、この展開図のおかげですごく分かりやすかったようです。対面なら「ここ」って示せば分かりますけど、オンラインでは無理。パネルの番号を言うだけで、どの場所かが分かります。理論がしっかりしているうえに、展開図もあるので誰にでも真似できるんです。
――オリジナル商品を作ったのはなぜですか?
ステップボーンカット©はノンドライヤーが特徴です。ドライヤーをかけなくてもスタイルがまとまる商品が欲しかったんです。ドライヤーをかけなければ髪は健康になるし、環境にもいい。次に来店してくださるその日まで、スタイルをキープするために必要なヘアケア商品を作りました。
――今、人手不足に悩むサロンが増えています。TICK-TOCKとSTEP BONE CUTではいかがですか?
私のサロンでは特に問題を感じていません。せっかく美容師になったのに、辞めてしまうのは悲しいことですよね。
仕事は分けられます。得意なことは得意な人に任せるのが一番。例えば商品開発やクリエイティブなことは私が担当。それ以外の苦手なことは他のスタッフに任せています。やりたいことをやりたい人に任せればいいんです。スタッフにも、やりたくないことはやらなくていい…と言っています。スタッフひとりひとりの才能を最大限に引き出して、活躍できる場所を提供するのが経営者の役目です。
――これから起業を考えている人にアドバイスをお願いします。
何事もやってみなければ分かりません。失敗し続けて学ぶしかありません。成功するまでやり続けること。同時に撤退の勇気を持つことも大切です。
――起業のために必要な心構えを教えてください。
何があっても感謝することですね。同時に自責の心を持つことも大事。あとは起業の目的と目標、そしてビジョンを明確にして、何があっても揺るがないことです。私も起業することで、だいぶ鍛えられました(笑)。とにかくやり続けることが大事だと思います。
SAYURIさん流! 事業拡大のヒントを見つける3つの法則
1.ストレスフルなことが起きたら、いったん離れてみる
2.教えたい・伝えたい技術などは、図式や文章にまとめてみる
3.やりたくないことはやらない。やりたい人に任せる
SDG’sという言葉が誕生していない頃から環境問題に着目するなど、時代の先を行く経営をなさってるSAYURIさん。紆余曲折を経てご自身が「やりたくないことはやらない」だけでなく、スタッフにもやりたくないことを押しつけないなど、ルールに縛られない自由度の高さに感銘を受けました。
撮影/森 浩司