二度目のサロン開業へ!困難を乗り越え、県内トップの評判を誇るサロンに成長【株式会社ANZY社長 徳元ゆうこさん】#1
今や沖縄県の那覇市、南風原市、浦添市、美里市を拠点に4店舗のアイラッシュサロン「ANZY」を展開し、アイリストにもお客様にも充実したサービスを提供し続け、支持を集めている経営者の徳元ゆうこさん。
実は、アイラッシュサロンがまだ流行っていない時期にいち早くサロンの開業を経験しています。しかし、子育てで手が回らなくなり廃業を決意。一度アイラッシュ業界を離れます。それでも再び業界に戻って会社を設立し、サロンを開業。二度目の開業にかける想いとは?
前編では、会社を経営するに至った経緯や軌道に乗ったきっかけ、挫折したポイントなどを教えていただきました。
お話を伺ったのは…
ANZY株式会社社長 徳元ゆうこさん
美容専門学校を卒業後、自宅の一室でサロンを開業。出産を機に一度廃業し、子ども中心の生活が必要となり、シフトの融通がきくコールセンターで勤務。その後、再度アイラッシュ業界への気持ちが強まり、経営者として会社を設立。現在では、4店舗ものサロンを持ちながら、業界を盛り上げるべく多様なサービスを展開している。プライベートでは、4児のママ。
再びサロンを開業するも、集客につまづいてしまう
――いちど、ご実家でサロン開業の経験をされていますね。現在の会社を設立、経営するまでの経緯を教えてください。
実家のサロンを閉めたあとは、安定した収入のもとで子どもを育てるためにコールセンターで働いていました。ですが、3人目の子どもの出産を機に休みがとりにくいことがストレスに感じるようになって…。会社勤めをしていると、休みたい時とか必ず上の人に許可をもらわないといけないですよね。それが3人目となるともう煩わしくなっちゃったんです。
独立してサロンを開業すれば時間の融通がきくし、もう一度挑戦したいという気持ちもあり…。新しい会社を立ち上げ、再チャレンジすることにしました。
――では、その再起を図ってオープンした、サロンのコンセプトを教えてください。
「主婦層の方たちが無理なく通えるようなサロン」を目指しました。
これは、私自身が出産と子育てをした経験から考えついたコンセプトです。女性って出産を経験すると自分のことは二の次になってしまい、女だということを忘れてしまいがちなんですね。かくいう私もそうでした。自分のやつれた姿を見て「やばい!」と焦るものの、旦那さんに養われている状態で美容にお金を使うのも憚られる。「自分に出せるお金があるなら子どものおやつが買えるのに」と考えてしまい、なかなか踏み出せない主婦の方って多いと思うんです。
そこで、この金額なら通える!と思ってもらえるような料金設定を考えました。
――オープンしてみてからの集客はいかがでしたか?
それが…全然集まらなかったんです(笑)。
以前、私が自宅でサロンを営んでいた時は県内ではまだアイラッシュサロンが流行っていなかった時期だったので、ある程度集客ができていました。その経験から3人体制をとり、万全な準備をしていたのですが想定外に客足がなく…。というのも、私が業界を離れていた3年の間にサロンは増えていて、競争率が高くなったことが原因でした。
そのことに気づいたのは、オープンしてから。最初の売上がなんと22万円だったんです。家賃や材料費、光熱費など自分達に行き届くまでもなく終わってしまうという事態でした。
気合いと口コミで売上アップ!いよいよ県外進出へ
――それからはどんな対策をとられたのですか?
戦略とかは一切なかったですね。とにかく目の前のお客様が来月も来店してくれなければサロンは潰れてしまうと思い、「また次もお願いします!」と、必死に訴えかけていました(笑)。紹介券も配って、捨てられないように棒付きキャンディーを入れて渡す、を繰り返し繰り返し。
あとは口コミで広めてもらったり、ビラ配りもしましたがさほど成果はなく、2000枚配って1人2人くらいの来店率。LINE、ブログなどのSNS周りも手をつけて毎日の空き状況をタイムラインなどでアップし、さらにはフリーペーパーにも掲載してもらいました。
――相当奮闘されたようですね…。結果はいかがでしたか?
その甲斐あってか、プレオープン後3ヶ月目から売上をキープできるようになりました。ですが今度は、スタッフが出産や病気などで減っていくことが重なってしまったんです。売上の次は、人員不足でてんてこまいな状態。何も考える暇もなくとにかく必死に働きました。
忙しい状態が1ヶ月くらい続いた頃、県外で挑戦していた技術者がちょうど沖縄県に戻ってきてうちのサロンで働いてくれることになったんです。人員不足は解消しましたが、人が増えた分サロンが手狭になり…。店舗を増やすことにしました。
――スタッフが増えたことで店舗拡大へ踏み切ったのですね。場所選びはどのように?
当時働いていたスタッフたちに家から職場までの通勤時間を聞いてみると40分とか1時間と、長いなって思ったんです。その通勤時間を省けば、もっとお客様の施術に専念できると思って…。
それぞれのスタッフの家から15分くらいで通える場所を設定しました。実際に探してみると狙いの物件が空くということで、タイミングもバッチリ。売上もよく、波に乗っていたこともあり、3店舗目、4店舗目とトントン拍子に店舗を増やすことができました。
ですが、一度伸び切った天狗の鼻をポッキリと折られることに…(笑)。
スタッフと自身の妊娠により、サロンが閉店。
挫折を味わった末に閃いた案とは?
――順調そうに見えましたが、何があったのでしょう…?
売上も上がり、店舗も増えていったことから「県外でもやっていけるんじゃないか?」と思っていたところ、商材を売りにきてくれている方から「県外でサロンやらないんですか?」と、お声がけがあったんです。
ちょうどその方は、フランチャイズで埼玉県大宮市にあるサロンを手放したいと思っていたらしく、「やりましょう!」って即答してしまったんです。あるスタッフの彼氏が埼玉県に移住するということでタイミングも合い、サロンを構えることにしました。
――いよいよ県外進出されたのですね。
大宮市で勤務するスタッフが彼女を合わせて何名か揃い、「よしこれから頑張るぞ!」というときだったのですが…。開店した1年後に社内で同じタイミングで複数人が妊娠しちゃったんです!そこでなんと、私自身も4人目を妊娠して(笑)。そうしたら大宮市のサロンを回すことが難しくなってしまったんです。
――同時期に重なってしまったのですね。サロンはどうなったのでしょう?
つわりもあったり体調の変化が著しい状態でサロンを回せるわけもなく、続々とスタッフが辞めることに。今から育てるぞと、スタッフ一人ひとりに講習費とかそれなりにかけていたのでモヤモヤしましたが、自分も妊娠したことで強く出られず…。また、私も沖縄から埼玉へ遠隔で指導することに限界を感じていたこともありました。
私が店舗を増やしているのは、人がいるから。スタッフがいなくなったら利益もゼロだし、自分も経営側に回っていたので無理だと判断し、大宮市のサロンは閉じることに。それによって、今後のサロン経営は、県内一本でやっていくことにしました。
今まで経営をメインに働いてきて「うまくやってこれた」と思い込んでいたのですが…この出来事をきっかけに、「スタッフがいないと何もできない私が残るだけ」ということに気づいてしまったんです。それからは自分の無力さを痛感し、産後うつのような状態になってしまいました。
――そのときの打開策はなんだったのですか?
スタッフに負けないことってなんだろうって考えた結果、「SNSだ!」と思いつきました。以前から、サロンの営業などで使用していたツールでもあり、発信すること自体は得意だったので「SNSのフォロワー数だけは負けないぞ」と(笑)。
しかも、当時のInstagramはフォロワー数が1万人になるとURLをリンクで流せる仕様だったんです。サロン情報をより多く拡散をすることができる、と思い、まずはフォロワー数1万人を目指すことから始めました。
挫折を味わいながら県外進出も経験した徳元さん。店舗拡大にとどまらず、アイラッシュ業界全体を活性化させるべく、サービスを展開していきます。後編では、Instagramをきっかけに始まったサービスや今特に注力していることについて詳しく伺います。
取材・文/東菜々(レ・キャトル)
撮影/喜多 二三雄