別格の手技に衝撃! ファッションの道からセラピストに 私の履歴書【kanatoオーナー・セラピスト 小林明日香さん】#1
ある体験をきっかけに、これから進むべき道を決めた方も多いのでは? 今回、ご紹介する小林明日香さんも、その一人。物づくりが大好きで、ファッション業界で働くことを目標にしていました。ところが、フェイシャルマッサージを受けてあまりの気持ちよさと効果に驚いて「セラピストになる!」と方向転換しました。
前編では、小林さんがセラピストになるきっかけとなったマッサージのこと、「この人の元で技を学びたい」と熱烈に思ったカリスマ エステティシャンのことについてお話を伺います。
ASUKA’S PROFILE
お名前 |
小林明日香 |
---|---|
出身地 |
神奈川県 |
出身学校 |
文化学園大学 服装造形学科 |
プライベートの過ごし方 |
友人のライブに行く |
趣味・ハマっていること |
音楽、映画、洋服作り |
仕事へのこだわり |
「手当て」を意識してお客さまの身体に触れること |
きっかけは母。マッサージの練習台になって手技の奥深さに目覚める!

――もともと小林さんは美容業界に興味はあったんですか?
まったくありませんでした(笑)。私は物を作ることが好きだったので、ファッション業界に進もうと思っていました。大学も服作りが学べる学校に進学していたんですよ。
――ファッションと美容とでは、ちょっとジャンルが違いますね。なぜ方向転換を?
美容室をやっている母が『レイ・ビューティ スタジオ』の田中玲子先生に、ヘッドマッサージとフェイシャルマッサージを習いに行っていたんです。
習ったら当然、練習が必要ですよね。その練習台に私がなっていたんです(笑)。先生本人じゃなくて、習ったばかりの母がマッサージをしても「こんなに気持ちよくなるんだ」というのが衝撃だったんです。
――お母さまはなぜ『レイ・ビューティ スタジオ』へ?
美容室でもヘッドマッサージやフェイシャルマッサージをメニューに取り入れるのが流行っていたのかもしれません。母も技術を学んで、自分のサロンのメニューに取り入れたかったようです。
――練習台になって衝撃をうけて、それからどうしたんですか?
母が技術を習得したように、私もこの技術を身につけたいと真剣に思ったんです。学生の時から「手に職をつけて独立したい」と考えていたので、身につけるならこの技術だ!と思ったんですね。
――それほど衝撃的だったんですね。
母には内緒で、『レイ・ビューティ スタジオ』の就職試験を受けに行きました。田中先生に「母がお世話になっています」とご挨拶したら、その場で「じゃあ、うちに来なさい」って即決で雇っていただくことになったんです(笑)。
――お母さまにはいつご報告を?
面接に行った日ですね。もう働くことが決まったので「先生のところで働くことに決めた」と伝えました。すごく驚いていましたが、自分と同じ美容業界に進んだことが嬉しかったようですね。
技術を学びながら、講師として「教える」楽しさも経験

――『レイ・ビューティ スタジオ』に入社して、いかがでしたか?
私が入社した時はテレビや雑誌の取材がひっきりなしに入っていて、先生はすごく忙しかったんです。先輩たちもたくさんいるなかで、私がいちばん後輩。最初のうちは雑用をこなすのが精一杯でした。
――お客さまの施術ができないと、つまらなかったでしょう?
それで先生が、「シャンプーを覚えれば、ヘッドマッサージとフェイシャルの技術が覚えられるから練習しなさい」ってアドバイスをしてくださいました。
――エステティックサロンなのにシャンプーですか?
レイ・ビューティスタジオのシャワー室は女性専用なので、男性のお客さまがいらしたときはスタッフがシャンプーをすることになっているんです。シャンプーができるスタッフは少なかったので、「この機会に覚えなさい」と。
――もしかして、ご実家が美容室なのも関係してますか?
そうかもしれません(笑)。でも、私は美容専門学校に行っていないし、シャンプーを手伝うこともなかったので、戸惑うことばかりでした。
――練習ではどなたの頭をシャンプーするんですか?
先生か先輩スタッフでした。水量の調整がうまくいかなくて、練習が終わったときにはびちゃびちゃになっていました(笑)。
――シャンプー技術を覚えたということは、男性のヘッドとフェイシャルのため?
そうです。女性のボディ施術を覚えながら、男性のフェイシャルとヘッドマッサージに入らせてもらっていました。
男性のシャンプーを担当するようになってヘッドマッサージとフェイシャルをこなす回数が増えたので、施術に自信が持てるようになりました。
――田中玲子先生はとても厳しい方だと聞いていますが、いかがでしたか?
確かに厳しかったですね。でも、私も当時はものすごく生意気だったので、「ふんっ!」て感情を顔に出していたかもしれません。美容やエステティックのことを何も知らない状態で入社したので、覚えることがたくさんありすぎたんですよね。いちばん下っ端だったので、やらなくてはいけないことが多かったし。「早く技術を習得して、先生に認められたい!」っていう気持ちで乗りきりました。
――技術はどうやって身につけていったんですか?
先生や先輩スタッフに教わって、覚えていきました。でも、いちばん自分の勉強になったのは、人に教えるようになってからですね。
――教えるとは?
先生のマッサージ技術を習いたいという方が本当に多いんです。その方たちのために講習会を開くのですが、生徒さんの人数が多いので先生ひとりでは細かく指導はできません。それで私たちスタッフもお手伝いしていました。手の位置とか角度、圧の入れ方など、実際に生徒さんの施術を受けたり、やっているのを見ながら指導していました。
――人に教えると自分の勉強になる、ということをよく耳にします。
当時の私は20代前半だったので「生徒さん」と言っても私よりずっと年上だし、「私が教えても良いのかな」なんて気持ちもありました。でも、実際に施術をしてもらうと「この人の圧の入れ方は上手だな」とか「手の密着が上手だな」とか、感じることができて、とても勉強になりました。
いちばんの収穫は、「私って教えることが好きなのかも」と気づけたことですね(笑)。レイ・ビューティ スタジオに勤めていた時は講師の仕事のほかに、大勢の人の前でマッサージのデモンストレーションをすることもありましたが、とても楽しかったです。
お母さまの練習台になったことがきっかけで、レイ・ビューティ スタジオを主宰する田中玲子さんのことを知り、美容業界に飛び込んだ小林さん。後編では、絶対的な自信を身につけたベトナム出張のこと、独立してから教える技術が役立ったこと、サロンを持つのではなくフリーランスを選んだ理由について、さらに深掘りします。
撮影/森 浩司