目標が定まらなかった20代、ある日「甘皮の処理」に魅了されネイルの道へ【uka代表 渡邉季穂さん】#1
都内にいくつものサロンやストアを構えるトータルビューティーカンパニー「uka」の代表 渡邉季穂さん。トップネイリストとして美容・ファッション業界において絶えず「美」を発信してきた中で、渡邉さんがネイリストとして変わらず大事にしてきたのが「ケア」なのだそう。「ファッションは好きですが、ネイルはデザインすることが全てではない」と考える渡邉さんのルーツに迫ります。
前編では、夢が見つからずアルバイト生活を送っていたという若い頃、甘皮の処理に衝撃を受けてネイルの道を目指したこと、理容室と美容室を営む実家でネイル業をスタートした駆け出しの頃についてお話を伺います。
WATANABE’S PROFILE
家業を継ぐことから逃げ、アルバイト生活をしながら自分探し
――ご実家は理容室だったとか。
父が理容師だったんです。おうちの中にお店があったので、階段を降りれば父のお弟子さんたちやお客様がいるという感じ。いつもたくさんの人に囲まれて育ったため、人が好きな子どもでしたね。
――そのような環境の中で、おしゃれや美容には敏感なお子さんだったのでは?
箱根にある中学に通っていたのですが、週末の土曜日になると、友達とロマンスカーに乗って都内まで出て、原宿でよく遊んでいました。洋服が好きだったので、現地でプチプラの洋服を買って、夜はそれを着て遊んで帰るという(笑)。
どちらかというと美容よりも洋服が好きだったので、最初はファッション業界を目指していたんです。
専門学校では洋服をつくったり、ファッションショーをやったり、原宿でアルバイトをしたりと、おしゃれが大好きな人たちに囲まれていましたし、友達もフットワークが軽くて賑やかな人ばかりだったので、ただただ楽しく生活していました(笑)。
――家業を継ぐために美容師を目指していたわけではなかったのですね。
父に小さい頃から「美容師になりなさい」と言われていたので、ファッションの専門学校に行く前に美容学校にも進んだのですが、本当は美容師になりたくなかったんです。
本来であれば、美容師免許を取って家業を継ぐのがまっとうな選択だったのかもしれませんが、逃げてしまったというか…。専門学校卒業後は、「あれを勉強したい」「これを勉強したい」と親をそそのかして(笑)、メイクスクールに入ったり、お料理教室に通ったり。22〜23歳くらいまではアルバイトをしながらやりたいことを探していたんです。
――でも、自由に学ばせてくれるなんて、素敵なご両親ですね。
父は「美容師をやる上で色々なことに興味を持つことはとても大事」という考えのもと、たくさんの経験を積ませてくれる人だったんです。
中でも父がよく言っていたのが「本物はブレない。偽物はブレる。だから、本物をきちんと知りなさい」。旅館やホテル、レストランも、むやみに色々なお店に行くのではなく、一回でも良いから一流のところに行き、「本物」を体験しなさいと。この教えは、今のukaの社訓にもつながっています。
そういう父だったから好きなことをやらせてくれていたようですが…。実際は美容師を目指すわけでもなく、学校に通うという建前で毎日アルバイトをしながら遊んでいたので、父には「いい加減にしろ」と言われていました(笑)。たくさんの経験が実を結ぶのはもう少しあとになってからです。
甘皮の処理に衝撃を受け、25歳でネイルの世界へ
――意外にも、目指すべき道を中々見つけられなかったようですが、どのようにネイル業界へ?
妹が21歳で亡くなったんです。そのときに、「私が両親や会社を支えなきゃ」と、24歳にしてはじめて責任を感じたんです。
けれど、いい加減腰を据えなければと思いつつも、メイクは自分のものにはならなかったし、ファッションも「好き」だけで終わってしまったし、お料理も上達していない…。全部中途半端で、残ったのは学ぶたびに増えていった友達だけ。ある日、そんな私を見かねた友達がネイルサロンに連れて行ってくれて、そこでやってもらった「甘皮の処理」に衝撃を受けたことがネイルの道に進むきっかけになりました。
――「甘皮の処理」が?
小さい頃から指のささくれや日焼けして皮が剥けた肌がダメだったんです。ザラザラしているのがどうしても気になって、自分でいじっちゃうんです。だからいつも指先が血だらけだったりして。
ネイルサロンで甘皮を処理されて、いらないものがきれいに取り除かれたとき、風が通ったような、清々しい気分になったんです。あまりの気持ち良さと、見たことがないくらいの美しい仕上がりに「自分がやりたかったのはコレだ‼︎」と、そのままネイルスクールに申し込んで来ちゃいました(笑)。
父には「また学校か!」と呆れられましたが、「ネイルができるようになれば、きっとお店の役に立つから」とまた調子の良いことを言って説得しました(笑)。実際、お客様を見ていると、ヘアをやってもらっている間は雑誌を見ているだけで、手元が空いている人ばかりだったので、「ヘアをやっている間にネイルをやってあげたら、お客様はもっと喜んでくれるはず」という確信があったんですよ。
父の店でネイル業をスタートするも、繁盛せず「ダメだこりゃ」と痛感
――ネイルスクール卒業後にいよいよネイリストデビューを?
技術力が足りていないという自覚があったので、卒業後はどこかのネイルサロンに就職して修行するつもりでしたが、スクールの先生や面接を受けたサロンに「あなたの実家は美容院をやっているんだから、そこでネイルをやれば良いじゃない」と就職がままならず…。
小さい頃から「本物を」と教え込まれてきたので、「こんなに下手ではお金はもらえない」という気持ちはあったのですが、仕方なく父が経営している厚木のお店でやってみることに。他の席をどけて、机を一つ置き、自分のネイルスペースをつくったんですけど、お弟子さんたちは「社長のお嬢さんがまた変なことをやり出した」となるわけですよ(笑)。
――いざネイル業をスタートしてみて、お客様は来ましたか?
当時、ネイルサロンに行くのはお仕事上ネイルが必要な方やハイソな方たちくらいでした。東京でもまだあまり流行っていない時代でしたから、厚木でやる方はもっと少数でした。
「爪のお手入れ気持ち良いですよ!」と勧めても、お客様には「自分でやるからいいわ」と言われるし、お弟子さんたちも「5000円のネイルよりも3000円のトリートメントを勧めたい」と非協力的。
――中々流行らなかったのですね…。ちなみに技術面についてはお客様の反応は?
下手だったので、色を塗るだけで2時間かかるし、待たせたあげく、仕上がりに満足いかなくて「すみません、もう一回やり直しても良いですか?」と平気で言っちゃうし(笑)。
一方、今まで遊んできた分おしゃべりは得意だったので「あれ知ってます?」「あそこに行きました?」「あれ食べたことあります?」とひたすら話し倒していましたね。お客様の中には「季穂ちゃんとおしゃべりするのが好きだから、ネイルはおまけみたいなもの」と応援してくれる方もいました。
でもやっぱりお客様は少なくて、悶々としていましたね。レセプションをしながら「ネイルのお客様来ないかな〜」と待つ日々でした。
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渡邉さんにも目標が見つからずアルバイト生活をしていた時期があったとは意外でした。渡邉さんにとってのネイル業界の入り口は「アート」ではなく「ケア」でしたが、その後のネイリスト人生においても「ケア」という軸を貫いていくことになります。後編では、なぜ渡邉さんがトータルビューティーサロンを目指したのかをお聞きします。
▽後編はこちら▽
働く女性に必要だったのは「トータルビューティーサロン」というスタイル【uka代表 渡邉季穂さん】#2>>
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/岩田慶(fort)