働く女性に必要だったのは「トータルビューティーサロン」というスタイル【uka代表 渡邉季穂さん】#2
トップネイリストとしてはもちろん、親しみやすいお人柄で、美容・ファッション業界で数多くの人に愛されているトータルビューティーカンパニー「uka」代表の渡邉季穂さん。実家が営むサロンでネイリストデビューしたものの、当時はあまりネイルが流行っていなかった時代。「ヘアと同時にネイルを」というスタイルに相当苦戦したそう。
今や都内の一等地に複数のトータルビューティーサロンやストアを構える「uka」ですが、渡邉さんはなぜ「トータルビューティーサロン」にこだわったのか。後編では、渡邉さんが目指した姿や、東京ミッドタウン出店の裏話、商品づくりへの想いなどを語っていただきます。「本物はブレない」というお父様の教えは、まさに渡邉さんのネイリスト人生そのものでした。
ロスで「トータルビューティーサロン」という理想のスタイルに出会う
――美容室でのネイル業に苦戦したそうですね。
お客様が来ないので「ヘアサロンでネイルをやる」というイメージを掴めず、ただ楽しいからという理由でネイルをやっていました。
転機となったのが、ロサンゼルスで友達がやっているサロンを訪れたとき。
アメリカは「トータルビューティーサロン」が主流で、一つのサロンにエステルームが入っていたり、ブローしながらネイルやペディキュアをやっているのが当たり前でした。その光景を目の当たりにして、すごくかっこ良くて、美しくて、頭の中に一気にイメージが湧いたんですね。一緒に来ていた父に「私がやりたいのはこういうことだよ!!」と熱弁しました。
もともと父は「ヘアに男も女もない。理容も美容も線引きをしない」という破天荒な人だったので、私の考えに賛同してくれて、青山にトータルビューティーサロンを出すことになったんです。
志しが全く見えないままにネイルをやっていましたが、この時はじめて目標が見えました。
――それにしてもなぜ、「トータルビューティーサロン」にこだわったのですか?
当時は働く女性がとても増え出した時代でした。男勝りに仕事をしたいけど、きれいにしていないと「女のくせに」と言われるし、頑張っている自分にご褒美もあげたい。そんな「忙しくて、めんどくさがりで、よくばり」な女性たちを応援する場所にしたいなと思ったんです。
それに、髪は綺麗だけど指先はささくれだらけとか、そういうアンバランスなのが好きじゃなく、全体的にきれいにまとまっているのが美しいと思っていたんです。私、昔から突起物が嫌いだったんですよね(笑)。
――「トータルビューティーサロン」という形でオープンしてみていかがでしたか?
当時、日本にはトータルビューティーサロンという概念はなかったので、言うまでもなく客足は少なかったですね。オープン1年目は、他のスタッフを含む4人体制で、月の売り上げはわずか9万円。暇なので、みんなでずっと練習しているという感じの1年間でした。
――どのようにしてサロンを軌道に乗せたのですか?
昔からの仲間たちが、この頃になるとスタイリストやファッション誌の編集者など、若手ながらもファッション業界で活躍していたんです。私のお店のことを知って、「雑誌の撮影の仕事をやってみない?」と声をかけてくれて。ありがたいことに、いきなり任されたのが有名OLさん向け雑誌の表紙でした(笑)。
「ネイルサロンに行くと10本全部にキャラクターやお花が描かれる」という認識が多かった中で、私が提案したのはワンポイントとかシンプルなデザイン。そのOLさん向け雑誌ではネイルアートはまだまだコンサバティブなものだったので、私のシンプルネイルが好評だったようで。表紙の撮影がきっかけで、その後もシンプルネイルアート特集を組んでいただけるようになりました。
これまでに培ったコミュニケーション力で、モデルさんたちともすぐに仲良くなっちゃって(笑)。売れっ子モデルさんがお店に来てくれるようになり、メディアでも「行きつけのネイルサロン」と紹介してくれて、徐々に人気が高まっていきました。
「ケア」という軸はブレず、初の商品化はネイルオイル
――青山のサロンが有名となり、次に出店されたのが東京ミッドタウンでしたよね?
東京ミッドタウンにオープンするにあたり、企画を担当していた「シュウウエムラ」の植村秀先生が周りの美容関係者の方たちからうちの評判を聞いたそうで、突然お店にお見えになったんです。「このサロンは評判が良いけど、どうして?」と。私は「お手入れを大事にしているからだと思います。華美なアートは他のサロンにお任せして、うちはケア重視でやっています」と伝えたところ、秀先生のイメージにぴったりはまったようで、「東京ミッドタウンの中でぜひ一緒にやりませんか?」と誘ってくださったんです。
当時の私たちは東京ミッドタウンに出店するほどの資金力や体制が十分ではなかったのですが、ご提案をいただいたときに「やりたいです!」と二つ返事でOKしちゃったんですよ(笑)。ちなみに当時の社長はうちの父。「東京ミッドタウンにお店を出してほしいと言われたから、はい! って返事してきちゃった」と事後報告でした(笑)。あとから秀先生に「あんなに大きなプロジェクトにその場でOKする人は珍しいよ」と言われましたね。
東京ミッドタウンは当時すごく話題になっていましたし、うちとしても大きな切符だったので、社員みんなで頑張って企画して出店に漕ぎつけました。
――その後、社名を「エクセル」から「uka」に変えたのは何かきっかけが?
それまでの「エクセル」という社名が商標の問題で使用できなくなったため「uka」に社名を変えることにしたのですが、これほど知れ渡っている名前をいきなり変えることは大変なので、先に「uka」というブランド名で商品をプロデュースすることにしたんです。
実は、私がネイリストになった当初から「爪のためにオイルを塗ってくださいね」とお客様に言い続けていたのですが、塗ってくれる人は全然いなくて…。「お客様が塗りやすいオイルがあったら良いなぁ」とずっと思っていたんですよ。実際に商品プロデュースの話が出たときに、それまでのイメージを形にして商品化が決まったんです。
――最初の商品化はポリッシュではなく、ケアアイテムだったのですね。
そうなんです。
一人ひとりお財布事情も美容事情も違うので、毎週ネイルサロンに通う人、月一回の人、とさまざまです。それに、1人のネイリストが一日に施術できる人数はせいぜい5人が良いところ。10人のネイリストがいたとして、一日50人しか爪をきれいにできないわけですよね。
だから、ホームケアの概念をもっと定着させたいと思ったんです。サロンに通うだけが美容の正しいあり方だとは思っていなくて、自分でケアするだけでも美しくなることを多くの人に知ってもらいたいなと。
「本物」を提供する上で基盤となるのはお客様が喜ぶかどうか
――会長となった今でも現場に立ち続けているそうですね。
店の雰囲気やお客様の声などを空気感で感じることは店づくりにおいてとても大事ですし、技術者は手を動かしてこそ技術力やスピードが保てるものですから。目を擦りながら、今も何とかお店に立っています…(笑)。
――やっぱりその姿勢は格好いいです。デビューから今まで、ネイリストとしてのお考えが一貫していますね。
軸がブレないようにと、父に育てられたからなんでしょうね。
――ブレないこと。これが渡邉さんの成功の秘訣なのですね。
私のネイリストとしての軸はケアですが、これまで続けてこられたのは「お客様が喜んでくれるかどうか」をいつも基準にしてきたから。お店を出すときも、商品を出すときも、必ずそこに立ち戻って考えてきました。お客様が喜ぶのはクオリティの良し悪しに限られるわけではないと思うんです。厚木の理容室でネイルをやっていた頃、「季穂ちゃんとのおしゃべりが楽しかった」と喜んでもらえたようにね。
だから、ukaが目指すのはサロンの拡大ではなく、スタッフみんなが「本物の技術、本物の感性、本物の気配り」を身につけることです。
渡邉さんの成功の秘訣
1. 何を学んでも無駄にはならない!「やってみたい」という意欲を大切にする
2. いつでも「人」を大切に。仕事もお客様が喜んでくれるかどうかを起点にする
3. 一本軸を持ち、簡単にブレない
▽前編はこちら▽
目標が定まらなかった20代、ある日「甘皮の処理」に魅了されネイルの道へ【uka代表 渡邉季穂さん】#1>>
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/岩田慶(fort)