先代たちの挑戦してきた姿勢に刺激を受けて、前進。明治から続く美容室の5代目 「INFINIC」小野寺みおさん
アレルギー体質の人でも安心して通えるマツエクサロン「INFINIC」のオーナーである、小野寺みおさん。前編ではご自身もアレルギーがあり、マツエクの施術に不安を覚えたり、実際に薬液がしみた経験から考え出した施術で、心がけていることを伺いました。小野寺さんが目指すのは目元の美容師。お客さまの状態、悩みをヒアリングしながら、解決できる方法を提案しているそうです。
後編では明治時代から続くミソノ美容室の5代目でもある小野寺さんに、これまでのターニングポイントについて伺いました。マツエクの技術と知識の探求を続け、カナダでのサロン勤務やコンテスト参加など精力的に活動をする小野寺さん。その原動力となっているのは、「ミソノ美容室」を守り、それぞれのカラーを出しながら発展させてきた先代たちからの刺激でした。
今回お話を伺ったのは…
小野寺みおさん
「INFINIC」オーナー兼アイデザイナー/「JUHA JAPON FESTIVAL2019マツエク部門」グランドチャンピオン/全日本まつ毛エクステンション認定講師/Ledilash講師/松風インストラクター
岩手県一関市で明治時代に創業された「ミソノ美容室」の5代目。美容師として経験を積んだのち、肌荒れに悩み、アイデザイナーに転職。カナダで1年マツエクサロンで働いたり、各種資格をとるなどひたむきに技術探求を続け、アレルギーがあっても安心して施術できるマツエク技術を確立。現在は岩手・千厩店、渋谷店の2店舗を経営している。
Instagram:@infinic_shibuya
肌荒れから美容師を断念し、マツエクの道へ
———明治時代から続く「ミソノ美容室」の5代目だということですが、なぜマツエクをやり始めたんですか?
美容師として働く母の姿を間近で見てきたので、あこがれがあり、最初は美容師の道へ進みました。ところが元々アレルギーやアトピーがあったところに、シャンプーでさらに手が荒れ、入院するまで悪化してしまったんです。そのときにたまたま働いていたサロンがマツエク事業を始めるということで、興味を持ったのがきっかけでした。すぐに印象を変えられる。効果を実感できるから続けられる。それがマツエクの魅力だと気付き、ハマっていきました。学びたい気持ちが強くなり、カナダに渡って1年間マツエクサロンで勉強をしたんです。
———なぜ、カナダで学ぼうと思ったんですか?
海外の方の毛質が違うまつ毛でも対応できるようになりたいと思ったのと、母からのアドバイスが大きかったです。高校生くらいのときから母によく、「社会勉強のためにひとりで外国に行ってきなさい」と言われていて、いつかは海外に勉強をしにいきたいと思っていました。なのでマツエクの技術習得とともに、視野を広げるというような気持ちでしたね。実際自分が思っていた以上に日本人のまつ毛とは毛質が違っていたり、カナダではセクシーでボリューミーなマツエクが求められることなどがわかり、とても勉強になりました。今でも資格を取ったり、マツエクについて勉強するのは大好きです。
「はばたき」をテーマに、コンテストでグランドチャンピオンに輝く
———2019年に「JUHA JAPON FESTIVALマツエク部門」に出場し、グランドチャンピオンになられたそうですね。コンテストに出ようと思ったきっかけは?
カナダからの帰国後で東京にお店を開く前だったので、自信につながるような挑戦がしたいと思ったのがひとつ。もうひとつはクリエイティブでデザイン性の高いマツエクが好きだったので、技術のコンテストよりはトータルにあわせたまつ毛のデザインをするという大会の趣旨が気に入り出場しました。競技時間1時間のなかで、マツエク装着・メイク・ヘアー・装飾・まつ毛に合うトータルコーディネートを行うという内容で、ありがたいことにグランドチャンピオンになることができました。
———作品はどのように作っていったんでしょうか?
コンテストテーマは「フォトジェニック」と決まっていたのですが、自分のなかでテーマを決めたほうが作品を作りやすいと思い、これからさまざまなことにチャレンジしたいという気持ちから、「はばたき」をテーマにし、デザインにムネアカイカルという鳥のイメージを落とし込んでいきました。
うれしかったのは、お客さまが自分のことのように喜んでくれたことです。お客さまの信頼にもつながったと思いますし、自信になりました。
常に挑戦してきた先代たちから刺激を受けて、未来を見て生きていく
———学んだり、コンテストに出場したりとバイタリティーがすごいですね!モチベーションはどこからきているのでしょうか?
母やおばあちゃんの背中を見てきたことが大きいかもしれないです。母は好奇心旺盛で、私より先にマツエクやまつ毛パーマ、ネイルなどを学んでお店でも取り入れはじめ、トータルビューティーサロンを展開していったんですね。また母だけでなく、ミソノ美容室の先代は4人ともお店は守りつつも、それぞれのカラーを出してきました。おばあちゃんは髪結い着付けだけだったところからヘアに転換して、カット、カラーをしたり。その学び続ける姿勢、挑戦し続ける姿勢にはいつも刺激をもらっています。
———最後に、今後の目標を教えてください。
お客さま向けにも施術者向けにももっと発信して、アレルギーがあっても安心してマツエクを楽しめるということを知っていただきたいです。さらにスタッフの育成にも力を入れて、小規模店をもっと展開していきたいなと考えています。ゆくゆくは海外にも進出して、マツエクの魅力をもっと多くの方に届けていきたいです。
「ミソノ美容室」のほうは母が中心でやっていますし、祖母も89歳ですがお店に立ち続けていますが、ゆくゆくは「ミソノ美容室」と「INFINIC」を、美容室とマツエクサロンのトータルビューティーサロンとしてつなげていけるのが一番理想だね、と家族で話しています。岩手にはまだマツエクサロンは少ないので「あってよかった」と喜んでいただけることも多く、東京、岩手の2か所での営業を続けていけたらいいなと思っています。
私がマツエクに転向したので「ミソノ美容室」をどういう形で続けられるか不安もあるのですが、母からいつも「どうしようじゃなくて、未来に何が起きるか楽しみながら生きていこう」と言われているので、その姿勢を忘れずにこれからも歩んでいきたいです。
小野寺さんの飛躍を支えた、3つのターニングポイント
小野寺さんの飛躍を支えた、ターニングポイントは以下の3つでした。
1.手荒れをした経験からマツエクの道に進み、アレルギーの人でも安心して施術を受けられる技術を確立した
2.カナダのサロンで働き、ひたむきに技術を探求した
3.コンテストに出場しグランドチャンピオンとなることで、表現の幅を広げた
最初は緊張気味でしたが、ことマツエクの話題になると饒舌に語ってくださったのが印象的だった小野寺さん。その姿からマツエクをひたむきに探究し、ひとりでも多くの人に届けたいという思いが伝わってきました。アイリストとしてさらに活躍したい方は、参考にしてみてはいかがでしょうか。