子どもの誕生をきっかけに、改めて「家族」の形を実感! broocH ヘア&メイク 杉山由夏さん#1
美容業界でキャリアアップしながら、子育てもがんばっているワーキングママを、前編と後編の2回にわたってご紹介します。今回は表参道のヘアサロンbroocHでヘア&メイクとして活躍している杉山由夏さんにインタビューしました。
broocHではサロンワークはもちろん幹部として事務的な業務をこなすかたわら、さまざまメディアでヘア&メークアーティストとして撮影に携わるなど忙しい日々を送っていらっしゃる杉山さん。前編ではお子さんを授かるまでのご苦労、育児がほぼワンオペになってしまったいきさつなどを伺います。
お話を伺ったのは…
broocH ヘア&メイク
杉山由夏さん
東京美容専門学校を卒業後、都内1店舗を経て‘06年にbroocHの立ち上げより参加する。5年間のお付き合いを経て27歳の時に結婚。34歳で男児を出産する。ライフスタイルや悩みに寄り添ったメイクとヘアの提案に、大人女性たちから熱い支持を獲得している。
杉山由夏さんのInstagram:@u_ka072
5年間の妊活を経て、35歳で待望のお子さんを授かる
――パートナーはものすごくハンサムで、モデルのようですね。
旦那はモデルをしていて、撮影の現場で知り合いました。私がアシスタントからスタイリストに成り立てのころで、彼はまだ大学生。190㎝を超える身長で、しかもロン毛だったんですよ(笑)。最初は恋愛対象とは考えていませんでした。映画『ネバーエンディングストーリー』に出てくる架空の動物、ファルコンみたいな人だなぁと思っていました(笑)。
――お付き合いを始めて、結婚を決めたきっかけは何ですか?
私がずっと「30歳までに結婚したい」と言い続けていたのを、旦那は覚えていてくれたんですね。私が27歳で彼は25歳。今、考えると25歳で家族を持つにはかなり勇気と決断力が必要だったと思います。今の若いスタッフを見ていると、心から感じます。
――結婚なさってから、生活は変わりましたか?
それが全然(笑)。旦那はコンサルタント業の会社に勤めているのですが、すごく忙しくて帰宅が深夜になることがしばしば。「夕食の支度をして待っててもらうのは気が引ける」と言っていたんです。
私も外食するのが大好きで、遊ぶのも好き(笑)。しかも美容師と会社員は休みの日が合わないんですよね。お互いに束縛をすることもなく、自由すぎるほど自由でした。
2人の間に決まり事もルールもありませんでしたが、ただひとつ週1回は2人で食事をしていました。旦那と日曜日の夜に家の近くで待ち合わせをして、外食していましたね。
――家事はどうしていましたか?
「溜まったらやる」、「気になった方がやる」というスタンスでした(笑)。
私も旦那もそんなに潔癖症ではなかったので、「ある程度きれいになっていれば問題なし」と思っていました。
――お子さんのことは考えていましたか?
実は30歳のとき子どもを授かったのですが流産してしまって。そのときはあまりにショックで、美容師をしながら子どもを授かるのは無理なのでは…とも思ってしまいました。旦那は私の気持ちを尊重してくれて、子どものいる家庭を築くのか、夫婦だけの生活を楽しむのか、私が決心するまで深く包み込むように見守ってくれました。
今思えば、きっと旦那は子どもが欲しかったのでしょうが、態度に表したり言葉にしたりしませんでしたね。
――悲しい経験をなさっていたんですね。
そのあと妊活をして、35歳でようやく子どもを授かりました。
妊活を本気でやると仕事もプライベートもある程度、犠牲にしなくてはなりません。精神的に参ってしまいそうだったので、仕事を優先させながら病院に通っていました。
ただサロンの先輩スタッフには妊活をしていることを伝えていたので、いろいろと融通を利かせてもらって助かりました。
――妊娠中のお仕事はどうなさっていましたか?
妊娠初期の段階で先輩スタッフにだけ伝えていました。最初に妊娠したとき、スタッフ全員に伝えたものの流産してしまった苦い思いがあったので。私が担当するお客さまが終わったらすぐ帰らせてもらうなど、先輩には配慮してもらいました。スタッフには「杉山さん、体調が悪いみたいだね」とか、ごまかしてくれていたようです(笑)。
重いつわりはなかったのですが、1日中気を張っていることもあって、安定期に入るまで毎日とても疲れてました。妊娠5か月目の安定期に入って、ようやくスタッフに妊娠のことを伝えることができて、ホッとしました。
独身のころと変わらなかった生活が、出産を機にすべて一変!
――産休に入るまで、お客さまの段取りなど大変だったのでは?
私が産休と育休をとると、その分お客さまをお待たせしてしまうのが心苦しくて、「なるべく早く復職しよう」と思っていました。お客さまとはSNSでつながるようにして、復帰の時期などをお知らせできるようにしておきました。
5月の下旬から産休を取って実家の埼玉に帰りましたが、「お腹に赤ちゃんがいる」というだけで、身体はものすごく元気なんですよね(笑)。ふだん会えない友だちにたくさん会ったり、旅行をしたり、アクティブに動き回っていました。せっかく埼玉に戻ったのに、週末は自分の家へ帰ることもあったんですよ(笑)。
――復職するまではいかがでしたか?
出産した直後は、育児に対して考えすぎて不安だらけ。復職のことを考えるゆとりがありませんでした。私は真面目な性格で「ちゃんとやらなくちゃ!」という気持ちが強かったんですね。本やネットでいろいろ調べて、書かれている通りにならないとすごく不安だったり苛立ったりしました。
友人から「復職するなら保活をしないと間に合わない」と言われて、子どもを連れて幾つか保育園を見学に回りました。渋谷区は保育園の数を増やしていたので、家から近くて環境のいい園を選べました。
――復職することは、パートナーはどう考えていましたか?
このとき旦那はものすごく忙しくて、夜の11時くらいにならないと帰ってこなかったんです。なので、産まれてからほぼワンオペでしたね。私の両親は学教の先生で、母親が働いているのは当たり前だと思っていました。だから自分も子育てしながら働くのは自然なことでした。旦那は私に対して「働いて欲しい」とは思っていませんが、ただ私のやりたいようにやればいいという考え方です。
旦那は学校から帰ると母親がいる家庭で育ったので、子どもも自分と同じ環境で…と思っていたのかもしれませんが。
――パートナーは自分の想いを押しつけない方なんですね。
私の気持ちを優先してくれるのはとても嬉しいのですが、私にはちょっと男気のようなものがありまして(笑)。子どもを育てながら仕事をするなら「どちらもちゃんとやりたい!」と強く思っていました。それで、旦那には「保育園の送り迎えも自分でやるし、子どもの面倒もちゃんと見る。だからその分しっかり働かせて」って言ってしまったんです。
子育てをするにはサロンを休まなくてはならない日が出てくるだろうし、早退や遅刻をすれば、私のお給料が減ってしまいます。その分、金銭面のサポートは旦那にお願いしました。
産休に入る前から決めていたとおり、4月には復職しました。
――お子さんが生まれる前は「自由すぎるほど自由」とおっしゃっていましたが…
結婚後も自分の思い通りに時間を使っていましたが、出産してからは子どもが中心に変わりました。私たち夫婦に子どもが加わって、ようやく家族の形になったと思います。
杉山さんが出産前に準備していたこと
1.パートナーとゆっくり話しができる時間を定期的につくること
2.妊活の段階で先輩スタッフと体調や勤務時間などを相談しておく
3.SNSなどを活用してお客さまとコンタクトをとれるようにしておく
待望のお子さんを授かり、職場への復職を決めた杉山さん。後編では保育園が決まったものの、お子さんの体調によって休まざるを得ない状況で苦しんだことや、コロナによってご夫婦やお子さんとの関係が変わったことなどについてご紹介します。
撮影/古谷利幸(F-REXon)