スピード昇進だからこその苦悩。視野を広げて見つけたチームの育て方 私の履歴書 【LUSH青木美和さん】♯1
イギリスで生まれ、世界的な人気を誇るナチュラルコスメブランド、LUSH。19年前に入社し、日本各地のショップマネージャー(店長職)を経験してきたのが青木美和さんです。売上アップだけでなく、チームやマネージャー育成など、現在のLUSHを引っ張ってきた存在といっても過言ではありません。
青木さんは元々、アルバイトとしての入社。その後すぐに社員になり、さらには入社半年ほどで役職にまでつくことができたといいます。高いスキルを持っていたからこそ、かなりのスピードでキャリアアップすることになったため、スタッフをうまく育成できないなど失敗も多かったといいます。
一時は体調を崩し、半年ほど休職したこともあるという青木さん。しかしその後は副店長として復帰したことにより、以前とは違った視野を持つことができ、改めてチームの大切さを実感。チーム育成に手腕を発揮するようになったそうです。
AOKI’S PROFILE
- お名前
- 青木美和
- 出身地
- 新潟県
- 年齢
- 44歳
- 出身学校
- 東京美容専門学校
- 憧れの人
- いつでも前向きに人生を楽しんでいる人
- プライベートの過ごし方
- 友人や家族と出かけたり、猫とゆっくり過ごすこと
- 趣味・ハマっていること
- 美味しいごはんを食べること。最近はなかなか行けてないですが旅行
- 大好きなLUSHの商品
- たくさんあって選べませんが、パワーマスク(フェイスマスク)、ビック(シャンプー)、アメリカン・クリーム(コンディショナー)はとくに好きです
年齢も性別も、使う人を選ばない商品。多くの人に出会えると思った
――LUSHに入社された経緯を教えてください。
もともと美容師の仕事をしていたのですが、1年くらいで辞めることになって。何がしたいか分からなくなってしまって、フリーターをしていたのですが、やったことのない仕事に挑戦してみようと思って行き着いたのが、LUSHの販売員の仕事でした。25歳のときにアルバイトとして入社して、その後社員に。キャリアでいうと19年目になります。
――LUSHのどんなところに惹かれたのですか?
ひとつには商品が魅力的だったことがあります。最初にLUSHの商品を見たときはインパクトがあったので、びっくりしました。でも知れば知るほどいい商品だと思うようになったんです。それにトレンドにも左右されない。自分が働くことを考えたときに、安心して自信を持って販売できると思いました。
あとはLUSHであればいろんなお客さまに出会えると思ったことも大きかったですね。LUSHの商品は誰でも使っていただけるし、年齢も性別も関係ないので、出会えるお客さまの幅も広いと思いました。当時のLUSHは店舗も少なく、認知度もあまり高くなく、友達に話しても「LUSHって何?」という感じでしたが(笑)、入社できたときはうれしかったです。
アルバイトのやりたいことも大切にする、「バスタブストラクチャー」
――その後は順調にキャリアアップを?
すぐに社員になり、半年ちょっとくらいで、今でいうスーパーバイザーという役職になることができました。LUSHにはショップマネージャー、トレーニーショップマネージャー、スーパーバイザーの3段階があって、その最初の段階ですね。
――それはすごいですね。どんな点が評価されたのでしょうか?
仕事全般に対して意欲的に取り組んでいたところを、評価してもらえました。いい商品だという思いが強かったので、お客さまへの販売を促進する気持ちも強かったですし、自信を持ってフロアでも振る舞えていたと思います。あとはショップマネージャーから何かに取り組むと声かけがあったときは、いつも一番に「私やります!」と声を上げていました。
――そのような行動が取れたのは、会社の考え方に共感できていたということなんでしょうか。
当時はLUSHが大切にしている環境、人権、動物保護などの考え方をすべて理解できていたわけではないのですが、商品開発のストーリーや働くスタッフを大切にしていること、成し遂げたいことが自分達のブランドの枠以上を考えていることに共感できました。あとはアルバイトとして働いているときですら、私が出す意見をすごく大切にしてくれて、やってみたいと思ったことを実現させてくれたのも、モチベーションアップにつながりましたね。
LUSHではバスタブストラクチャーといって、逆三角形型の組織になっています。一番上にお客さま、その下にショップスタッフ、ショップマネージャー、オフィススタッフ、経営者が並ぶ形になっています。一番にカスタマー、そしてショップスタッフを大切にするという考え方が浸透しており、マネージャーは、常にスタッフがどうやったら自分らしく働きながらビジネスを動かしていけるかを考えています。だからみんなが挑戦しやすい環境が整っているんです。
――実際に青木さんが新人時代にアイディアを出して、実現させたことはあるんですか?
あんまり大したことではないですが(笑)。アルバイトとして働いていた当時、イギリスから創立者を含めて何十人ものLUSH関係者が日本の店舗を見に来ることがあって、働いていた都内ショップも訪問される機会がありました。私は日本のLUSHが盛り上がっているところを見せたいと思って、グループデモという、みんなの前で泡風呂を作るパフォーマンスをやりたいと手をあげたんです。当日はお立ち台を作ってお客さまも巻き込んでパフォーマンスをすることができ、とても楽しかったことを覚えています。
当時のショップマネージャーが、できないところには目を向けず、できるところを伸ばしてくれるタイプだったので、自信をつけて次のステップにいくことができたんだと思います。
「青木さんだからできるんですよね」。スタッフ育成での挫折
――すごく早く、順調なキャリアアップをされましたね。
早かったから失敗も多かったですね。自分のスキルだけで早くマネージャー職についてしまったのと、当時のLUSHには人を教育する仕組みが整っていなかったので、どのように人を育てていいのかが分からなかったんです。自分だけが突っ走っていることがよくありました。
――スタッフの方からすると、ちょっとついていけなくなってしまうような?
そうですね。「青木さんだからできるんですよね」と言われたこともありました。
――そこからどのように、改善していったのでしょうか。
その頃は、自分が失敗していることにも気付いていなかったくらいなので、すぐに改善することはできませんでした。私は当時LUSHにあった「テンポラリー」という制度を使って、人員の足りない全国のショップで働く機会があり、いろんなショップでの勤務を経験していました。その後、初めてのマネージャー、要するに店長となるのですが、そこでも結果は残せていたので、自分のできていない部分に目を向けることができていなかったんです。
ただ自分だけが突っ走るということを続けていった結果、ダメージはどんどんたまっていて、体を壊してしまって。半年くらいお休みすることになってしまいました。
――そうだったのですね。
復帰後は違うショップのトレーニーショップマネージャー(副店長)として店に戻りました。でも結果的にそれがとてもいい経験になったんです。1回経験した仕事を副店長という新しい視点で見ることで、すごく視野が広がりました。そこで結局はチームが大切なんだということが、やっと腑に落ちて。チームが大切だということは理論としては理解できていたのですが、どこかで自分のやりたいこと、自分はこうするべきということにとらわれながら、仕事をしていたと気付きました。
そして過去の自分はチームを大切にしているつもりだったけど、自分のリーダーシップで強引に引っ張っていただけだった、と。チームメンバーをもっと大切にしよう、チームがよくないと結果は作れないし、私もハッピーじゃないと思ったんです。
――そこからは何かやり方を変えたのでしょうか?
当たり前のことですが、コミュニケーションをより大事にするようになりました。朝の挨拶とか、ちょっとした気にかける言葉をかけたりとか、できていることを伝えたり。
私はスタッフがこの店舗だけでなく、ほかのお店に行っても、自分で考えて手を挙げて行動する自信を持って、どこに行っても活躍できるスタッフにしたいと思っていたので、自分達ができていることに目を向けるようにして、モチベーションは下げないようにしていました。そうするとメンバーもあれやりたい、これやりたいと色々と発案してくれて。目を向ける部分を変えると、スタッフも変わっていくというのが実感できた出来事でした。
後編では、現在の青木さんが大切にしている、多様な人がいるからこそ強いチームが作れるという考え方について伺います。その考え方に至ったきっかけとなったのが、あるお店のトレーニーショップマネージャー(副店長)のスタッフとの出会い。自分とは違うタイプのそのスタッフを認めることができず悩んでいたそうです。
その悩みを話したイギリスのチームが、あるトレーニングをすぐに取り入れてくれたことで、人との違いを受け入れられるようになったといいます。後編もお楽しみに!