僕の使命は「日本でのカラーリストの地位を確立させること」【stair:case代表 中村太輔さん】#2
日本でもトップクラスの実力を持つカラーリストとして活躍しながら、サロン「stair:case(ステアケース)」の代表も務める中村太輔さんにインタビュー。中村さんがデビューした当時は、今のようにSNSが発展しておらず、ひたすら技術力を磨くことで名を上げてきました。
前編では、カラーリストとして2ヶ月の最速デビューを飾った背景や「カラーリスト」になってからの葛藤について伺いました。デビュー当時の失敗を糧にパワーアップを重ねてきた中村さんが、サロンでトップカラーリストとして取り組んできたことやそのサロンで約23年間築いてきたトップの地位を退き、独立するに至った経緯をお聞きします。
お話を伺ったのは…
stair:case代表 中村太輔さん
高校時代のケガをきっかけに美容師の道へ進むも、就職先のサロン事情によりカラーリストとしてデビュー。その後の活躍は目まぐるしく、サロンワークのほかセミナーやメディア出演、各コンテストの審査員など多方面でひっぱりだこ。カラーを頼んだら右に出る者はいない、熟練の技とセンスで幅広い年齢層のファンを持つ。
経験を積んで技術を身につけた30代。40代は次のステージを考え出した期間
――トップカラーリストとなってからはどんな仕事を?
当時はヘアカラーが流行っていて、そのカラーブームによりカラーの技術を高めたい美容師が増えていたんです。そこでカラーの専門性があるサロンとして、セミナーやメディアへの出演依頼をいただくようになりました。
サロンではトップカラーリストとして働いていましたが、他の美容師からすると僕はまだまだ年齢が若く、実際にセミナーに参加する人たちのほうが年上でした。シビアな目で見られる機会が増えてから気が重くて重くて。考えた末に、以前お客様からいただいたクレームを克服したときのことを思い出し、納得させられる技術力を見せられれば文句は言われないだろうと一層練習に励むようにしたところ、堂々と話せるようになりました。
メディア出演のときも一緒。「できますか?」って聞かれてやったことないのに「できます」って答えて、必死に練習して当日までに間に合わせていました(笑)。
――間に合わせられるのがすごいです…!
僕は今まで先輩に言われたことしかやってこなかったので、外部の人から新しい課題を出されるのは新鮮で、前向きに取り組みたい気持ちが強かったんです。この経験のおかげで僕自身の表現の幅が随分と広がりましたね。
――活躍している最中に独立を決意した経緯をお聞かせください。
本当になりゆきだったんです。当初は辞める気もなかったし、自分のすべきことを叶えられるステージだと思っていました。その反面、ぼんやりと40代になったら何かを始めたいと考えていました。
一度、日本よりもずっとカラーリストとしての職業が確立されている海外へ行こうと思ったこともありましたが…そもそも日本ではまだまだカラーリストが定着しておらず、美容師と比べてだいぶ格差がありました。僕はサロンの都合上、早い段階でトップカラーリストとして働いていたために多方面で先駆者みたいな扱われ方をしていたので、責任感のようなものを感じていました。
今後、カラーリストを目指す人たちが仕事をしやすい環境を作っておくことが僕の使命なんじゃないかと思い、海外へ行くのはやめて、日本でカラーリストが活躍できるために何かに取り組もうと決めたんです。
ついに独立してサロンをオープン! 全ての技術に特化した施術を目指す
――それで独立の選択肢が出てきた?
同世代の同業者が集まると何人か独立をした話が出てきて、素直に良いなと思い始めていました。そのときサロンに残ることも考えていましたが、40年ほどの歴史があるサロンに残る選択肢よりも、これからのために何かをしていきたい思いが先行していました。
日本でカラーリストをもっと定着させたい、自分で自由に決めていきたい、それらが手に入るのは「独立」しかないと思ったんです。
40代になるまでにカットが得意な人を見つけられたら、その人と一緒にサロンを開こうと決めて。そうしたらたまたま出会えたので、現在のサロン「stair:case」をオープンしました。
――コンセプトをお聞かせください。
以前所属していたサロンのイズムを継承する気持ちも込めて、時間とお金を自分にかけられる方をターゲットにしました。それぞれの担当者が心を込めて、最上級の施術をお客様にお届けします。
――サロン「stair:case」の由来は?
階段を一歩一歩登るように、お客様とスタッフが成長し続けられるサロンをコンセプトに、「stair:case(階段)」と付けました。
――こだわったところはありますか?
カットをはじめ、パーマ、カラーと施術時間が結構長くなることを加味して、リビングのようにリラックスできる空間を目指しました。テナントも実際にリビングを作っている会社にお願いし、コンセプト重視で徹底した空間作りを依頼しました。
――中村さんご自身がウリにしている技術は?
基本的にはカラーであれば何でも得意です。
要は、器用貧乏なんです。美容師は「ショートボブが得意です」とか「ブリーチカラーに特化しています」って打ち出すと何をしている美容師なのか分かりやすいし、お客様も安心して任せられますよね。
でも僕はそういうのがなくて、性格的にまんべんなく言われたら「やりますよ」って答えてきました。そんな調子だから、以前いたサロンの上司に「何か一つだけに絞れ」と言われたことがありました。でも、何か一つに絞ってほかを捨てるなんて勿体無くてできないんです。それなら、どの技術も一つも中途半端にすることなく、全ての技術を昇華できれば良いじゃんって。今では、スーパー器用貧乏を自負しています(笑)。
成長を止めたくないのなら「真似」「素直」のキーワードを忘れないで
――中村さんにとって働くことの意味とは?
前述したように、カラーリストを美容師と同格の職業として確立させることを目標に続けていますね。
海外では定着しているのですが、日本ではまだまだ歴史が浅い。どうすれば良いか考えると、実績で認められるほかないと思うんです。カラーリストが定着すれば、カラーを楽しむ人がもっと増えてくるはずです。海外みたいにおしゃれを楽しむように、ヘアカラーで自分を表現する人が一般化してくれると嬉しいですね。
カラーリストの地位を確立する前に、仕事の魅力が伝わらないと興味を持ってもらえないですから、僕の想いを後人に伝えていくことが必要だと考えています。
――そのために取り組んでいることはありますか?
僕が働いているところにきてもらって、1日アシスタントをしてもらう企画を実施しています。
セミナーをしていて思ったのですが、案外時間が足りない。2時間の枠で知識とか技術とか伝え切れるわけがないんですね。教えられたとしても、応用が求められることが多い現場で活かせることって少ないだろうし。それだったら、実際に働いているところを見てもらうのが一番手っ取り早いんじゃないかって思ったんです。
若い人と関わることは、僕にとってもメリットなんです。その時代の流行が分かるのは、僕自身がアップデートしていくために大事な交流だと捉えています。
――今後、カラーリストを目指す方へアドバイスをお願いします!
やっぱり真似ができる人が伸びると思いますね。
実際に僕自身も真似をしてここまで来れました。真似ができるのは素直である証拠。素直な人は吸収スピードが早いし、その分早く成長できます。
――「真似」と「素直」がキーワードですね。
真似できるとか素直でいることって、新人以外にも通用すると思っていて。キャリアを積めば積むほど、素直でいることは難しいんです。ある程度のラインまで行くと、どんなオーダーが来てもこなせてしまうから、そこで成長が止まる人は多いんですよ。
僕は、成長を止めて過去の人とか古いとか思われたくないので、今後もどんどん吸収していくつもりです。経営する人が過去のままだったら、みんなついてきてくれないじゃないですか。これから先も一人ではなく、周りと歩いていることを忘れずに進んでいきたいです。
カラーリストとして名を残した3つのポイント
1.やると決めたら真っ直ぐに取り組む
2.失敗を恐れず、放置せず、自分で原因を考えて対策を練る
3.自分のやることに制限を設けず、何でも挑戦してみる
取材・文/東菜々(レ・キャトル)
撮影/SHOHEI
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