がむしゃらに働いてリタイアしかけた若手時代。さまざまな経験を経て仲間と共に独立へ【nico…代表 溝口和也さん】#1
プレイヤーとして働くほか、サロン「nico…」の代表を務めている溝口和也さん。サロンワークはもちろんのこと、ヘアアレンジの独創性やクオリティの高さには定評があります。
そんな多才な溝口さんですが、「nico…」開業前に一度美容師の道を離れたこともあったのだとか。一体どのような道をたどり、今の成功を掴み取ったのでしょう。
今回は、紆余曲折を経てサロンを開業した溝口さんの経歴をお聞きします。
お話を伺ったのは…
nico…代表 溝口和也さん
地元・北海道にある専門学校に進学し、卒業後は都内を拠点とした大手サロンに就職。本厚木のサロンに配属されたあと、下北沢へ異動したタイミングでヘアアレンジの仕事をスタート。過労による体調不良で、一度は休業するも業務委託契約にて美容師として復帰。その後は、仲間3人と共にサロン「nico..」を立ち上げ、現在は高田馬場、藤沢、札幌に展開中。
MIZOGUSHI’S PROFILE
- お名前
- 溝口和也
- 出身地
- 北海道
- 年齢
- 37歳
- 出身学校
- 北海道理容美容専門学校
- 憧れの人
- 特にいないけど尊敬する人は、父
- プライベートの過ごし方
- 基本家族とお出かけ
- 趣味・ハマっていること
- ゴルフ、Netflix
念願の美容師デビュー! ヘアアレンジの仕事も両立し始めた若手時代
――美容師を志したきっかけは?
身内に美容師をしている人が多く、憧れていました。
僕の父親と母親、さらに親戚にも美容師がいたので、小さい頃から美容師に親しみを感じていて…物心着いた頃には自然と美容師を目指して、地元の北海道の専門学校に進学したんです。
――デビューは東京ですよね。地元を出た理由はありますか?
一度は東京で勝負してみたい気持ちがあったんです。
ただ、その想いの一方で家族と仲が良かったので、ギリギリまで地元に残るか上京するかとても悩んでいました。
そんな葛藤を抱きながら地元と東京のサロンの説明会を往復していたときに、決め手になった出来事があったんです。誰に言われたのかおぼろげですが、「地元でデビューしてから東京に出る方が難しいよ」とアドバイスをいただいて。その言葉に背中を押されて、上京しようと決めました。
――最初に就職を決めたサロンについてお聞かせください。
都内近郊に多数のサロンを展開している大手のグループ会社です。最速でデビューしたかったため、カリキュラムがしっかりしている大手サロンを選びました。就職して2年ほどでスタイリストデビュー。最初は神奈川の本厚木にあるサロンに配属され、次に下北沢のサロンへ異動し、2ヶ月後には副店長を任せてもらいました。
――デビューまでに取り組んでおくべきことはありますか?
さまざまな人のデザインに触れておくことかな。今は昔よりも情報が出回っていて、ほしい情報が手に入りやすい時代です。技術はサロンに入ってからでも遅くはありません。デビューしたときにきっと役に立つと思うんです。自由な時間があるうちは、いろいろな作品を見てインプットしておくと良いんじゃないでしょうか。
当時は今より情報を手に入れられませんでしたが、僕は両親が美容師だったので、幼い頃からカットをする様子や完成形を見る機会が多かったんです。たくさん見本を見てきたことが美容師になった今、活きていると実感しているからこそ思いますね。
――ヘアアレンジの仕事はいつ頃から、どんなきっかけで始めたのですか?
ちょうど下北沢のサロンに移ってから、個人的に依頼を受けたのがきっかけです。
それまで特にヘアアレンジを打ち出してきたことはなかったのですが、独学で試行錯誤するうちに依頼が増えて、気づいたら掛け持ちしていました(笑)。
働いていたサロンは副業NGとされていたため、日中はサロンワーク、夜中にヘアアレンジをしに行くというスケジュールをこなし、働き詰めの毎日を送っていたんです。そうしたら体調を壊してしまって。ウイルスが原因で一時的に目が見えなくなり、一度休業をせざるを得なかったんです。
過労により休業宣言。業務委託契約でリスタートした美容師人生
――美容師として復帰するまでの経緯をお聞かせください。
3ヶ月くらいは目が見えないままで何もできませんでしたが、ようやく目が回復してきた頃に工場のバイトを始めました。目が十分に見えるわけではないので単純作業しかできませんでした。
慣れないアルバイト生活を送りながら、徐々に美容師に戻りたい気持ちが増していくのを感じ、美容師に戻ることにしたんです。
――復帰に向けて、どのような一歩を踏み出したのですか?
とりあえず休養期間を利用して美容の本場である海外に行って学んでみたいと思い、ロンドンに行くことにしました。単純に美容でトップを走る現場を見てみたいなと。関東圏以外の人が東京に興味があるのと同じ気持ちでしょうか。
美容師としてアルバイトをしながら、ディプロマの資格を取得。本格的にロンドンで働く手続きを始めようと日本に帰国したときに、あるサロンから引き抜きの話をいただいたんです。そこの雇用体制は業務委託契約らしく、サロンに所属しているときよりも大幅に売上が見込めると言われました。
実はロンドンで働こうと考えたのは、過去のサロンの働き方とか雇用に納得できない気持ちもあったからなんです。そもそも当時のサロンってどこも今と比べて歩合率が低くて。月に100万円を売り上げたとしてもそのうちの2割くらいしかもらえない、みたいな。店長や副店長の役職があっても、1万円以下ほどの手当しか上乗せしてもらえなかったんですね。
その話を聞き、場所よりも条件を重視したかったので、日本で美容師として再スタートすることに決めました。同時に、以前働いていたサロンの同期3人と一緒に独立を考え始めたのもこの時期です。
気心の知れた同期と共に独立し、「nico…」を立ち上げた
――もともと独立心があったのですね。
ありましたね。美容師という職業には魅力を感じていますし、誇りを持っていますから。同じように考えている仲間たちとずっと一緒に楽しく働いていきたい気持ちから、同期合わせて4人で共同経営にしようと話し合い、みんなが理想とするサロンを作ろうと話していたんです。
あとは、この先40、50歳と年を重ねたときに「自分より若い子たちのカットができるのか?」って自信が持てない部分があったのも理由の一つでした。その時代ごとに流行りのカットやカラー、デザインは絶対あるし、移り変わりも早い。今の技術をキープしたまま、そうした情報を常に掴んで反映させるのは難しいだろうと思ってしまったんです。
プレイヤーではない働き方が求められると考えたことも、独立した理由の一つです。
――独立を決めてから、どのような準備を?
まずは出資金の貯蓄ですよね。同期4人で一人100万円ずつ貯めようと話したのですが、お金を貯められたのは僕しかいなくて(笑)。待っていたらいつまでも独立できないと思って、結果的には最初の高田馬場は僕が出資したんです。
そのあと出店した藤沢は、4人で共同として買い取りました。もともと知り合いの先輩が立ち上げたサロンで、経営がうまくいかなかったところを引き取ってもらえないかと譲り受けたところだったんです。
そのあと札幌にも展開し、3つのサロンをずっと4人で守り続けています。
美容師としてデビューしていたところ、病により休業。美容師への想いを再確認し、再スタートを切った溝口さんは、順風満帆なプレイヤー生活を送ります。そんな溝口さんと仲間が作り上げ、守り続けている理想のサロン「nico…」とは? 後編では、サロン立ち上げの詳細を伺います!
取材・文/東 菜々(レ・キャトル)
撮影/生駒由美
Salon Data
住所:東京都新宿区高田馬場4丁目11−9
電話:03-6279-1245