人気絶頂のサロンからの転職――海を超えて“本当に欲しいもの”を探しに。 私の履歴書 【アイリスト MAIさん】#1
現在、東京・表参道にある眉とまつ毛の専門サロン「CITY eyelash&eyebrow」と山形・鶴岡にあるエステサロン「VENUS」との“2拠点”にてサロンワークを営むアイリスト・MAIさん。その前はアイブロウに関する先駆的な施術で一躍有名になった「manhood」に所属し、少数精鋭のアイリストたちの一人として、着実にキャリアを築いていきました。
そんな人気絶頂の中、MAIさんは人生における大きな決断をします。
前編は、MAIさんがどのようにしてアイリストという職に出会い、キャリアを積み上げていったのか。そしてその先に待っていた“大きな決断”をするに至るまでの物語です。
MAI’S PROFILE
- お名前
- MAI
- 出身地
- 山形県
- 年齢
- 1992/1/25(32歳)
- 出身学校
- 資生堂美容技術専門学校
- プライベートの過ごし方
- 東京では、美術館や映画を見にいくことが多いです。家では本をよく読みます。
鶴岡では、山へ湧き水や山菜を採りに行きがてら散策したり、昼間しか営業していない自然由来の温泉に行ったりと、自然を満喫しています。 - 趣味・ハマっていること
- 読書かな。以前は小説が多かったのですが、最近はテーマを決めて、小説以外の本も読むようになりました。
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 清潔感はもちろんですが、特にピンセットは自分の手に馴染むものを厳選しています。また、セッティングをきちんと決めて無駄のない動線を工夫しています。
最初から最後まで、マンツーマンで施術がしたい…そんな時に出会った「アイリスト」
――MAIさんがアイリストを志したきっかけを教えてください。
最初からアイリストを志していたわけではないんです。母がエステティシャンをしていたこともあり、美容の仕事は幼少期から身近な存在でしたが、最初は美容師になろうと思っていて。地元の高校を卒業後は、東京・板橋にある資生堂美容技術専門学校に進学し、美容師になるための勉強をしていました。
今でこそアイリストという職業がグッと身近になりましたが、当時はこの職業のことを知らなかったくらいです。
――専門学校卒業後は、東京で美容師を?
そうです。最初の1年間、アシスタントとして2店舗ほど経験しましたが、体調を崩したこともあり、そこで辞めました。
ヘアサロンは、一人のお客様に対して、スタイリストやアシスタントとがチームになって施術するスタイルが主流ですが、それが私の肌に合わないと思って。これといった楽しさが見出せず、美容師として何かを実現したいという情熱も持ち合わせていないことに気づいてしまいました。
――その後、どのようにしてアイリストという職に巡り会ったのでしょうか?
きっかけは、先にアイリストをしていた友人に勧められたことですね。美容師を辞めた後は1年間ほどコンビニでバイトをしながら、他業界の仕事をすることも考えていました。でも、せっかく取得した美容の国家資格を活かしたい気持ちもあって。その友人に声をかけてもらったのは、そんな時です。
美容師の実務を経験して、一人のお客様に対して最初から最後まで責任を持って、マンツーマンで施術をしたいという思いを強くしていましたが、アイリストはまさにそれができる仕事でした。試しにやってみたらおもしろくて、だんだんハマっていった感じですね。
そして2014年、アイリスト志望で教育体制が整った会社を探して、「Neolive(ネオリーブ)」という会社に就職しました。そこで実務経験を含めて一から学びながら、アイリストとしてのキャリアをスタートさせました。
――本格的にアイリストとしての道を歩み始めてから、大変だったことはありましたか?
1人1人千差万別の目元に“似合わせる”施術をするには、センスを磨き勉強し続けることが必要で、大変であると同時にやりがいも感じていました。
最初は当時の住まいからも近かった池袋の店舗に勤務し、その後先輩に誘われて表参道の店舗に移ったのですが、アイリストの仕事が本当に好きだと思えたのは、表参道に来てから。場所によってお客様のタイプもまた変わるものですが、施術に対する自分の提案がお客様の求めるものと合致する瞬間が増えていきました。
アイリストとしてのスターダムを駆け上がった、manhood時代
――その後、同じ表参道にあるサロン「manhood(マンフッド)」に移られていますが、その転職のきっかけは何でしたか?
当時、月1回くらいで勉強のため他店での施術を体験する、という取り組みをしていたのですが、特に好印象だったお店が「manhood」です。
「Neolive」には5年ほどいて管理職も経験し、独立の話も出ていましたが、当時の自分に自らの店を持ちたいという気持ちはなくて。それよりは、ヘアやメイク、ファッションに関してもっと総合的に考えられる現場で、アイリストとして関わりたいと思っていたんです。そんな時に出会った「manhood」は、自分がやりたいことを実現できるサロンだと感じました。
結局、2019年の年始から「manhood」に移りました。今振り返ると、この店に出会えたことも、私のターニングポイントの一つだったと思います。
――「manhood」は、やはりこれまでのお店とは違いましたか?
違いましたね。まず、マニュアルがほとんどありません。前店の「Neolive」は大きな会社だったこともあり、より接客という感覚が強かったのですが、「manhood」ではお客様との距離感がもっと近いように感じました。アイリストとしての技術だけではなく、その垣根を超えた“人間力”――施術者とお客様としての関係に留まらない、もっと根本的な、人と人とのコミュニケーション能力といったようなものが鍛えられましたね。
その中で「サロンがお客様にとってどんな場所であって欲しいか」というイメージも、自分の中でよりハッキリしていきました。
――それは、どのようなものですか?
ハッピーな時も落ち込んでいる時も、お客様にとってフラットな気持ちで来られる場所でありたいです。生きれいればいいことも悪いこともありますが、それらをちょっとお休みする時間が人には必要ですよね。せめてメンテナンスをする時間は、人生を少しだけ休憩してもらいたいなって。アイリストである私とお客様との一対一の関係性が生み出すそんな時間を通じて、お客様の心をリフレッシュできる場でありたいと思っています。
満たされた環境で、ふと芽生えた疑問――「自分が本当に欲しいものは何?」
――「manhood」での充実した日々が目に浮かぶようです。
はい。「manhood」はアイブロウのメンテナンスに関する施術をいち早くメニュー化したこともあり、予約がなかなか取れない人気店になっていったんです。毎日たくさんのお客様と、濃い時間を過ごす日々。私がアイリストとして一気にキャリアアップしたのも、「manhood」に在籍していたことが大きかったと思います。
しかし、この上なく満たされた環境でふと、「私、このままでいいのかな」って疑問を持ってしまったんです。
――なぜですか?
「manhood」って、アイリストとして欲しいものを与え続けてくれる場所だったんですよ。けれどずっと与えられ続けると、自分が本当に欲しかったものが、逆に見えなくなってしまうことに気がついてしまった。自分が本当に欲しいものを見極めて、自分で掴みに行く力がなくなってしまうという、一種の危機感を覚えました。
また、「manhood」にいた頃は、本当に連日予約がいっぱいで。当時は一人ひとりに対して誠心誠意施術していたつもりでも、どこかでお客様を“捌く”ような感覚があったことも否めません。目の前のことをこなすので精一杯だった。そんな疲弊もあったのだろうと、今改めて振り返って思います。
私が今やっていることは、やりたくてやっているのか?
それとも、やらなきゃいけないことが先にあるからやっているのか?
考えに考え抜いた結果、4年間お世話になった大好きな「manhood」を退職し、スペインへ半年間の留学をすることに決めました。2023年の、2月のことです。
人気サロン所属の人気アイリストとしてのキャリアを着実に積み上げた先に、勇気ある選択を決意したMAIさん。後編では、スペインで過ごした半年間のこととその中でMAIさんが見つけたもの、二拠点生活を選ぶに至った経緯を語っていただきます。
取材・文/勝島春奈
Salon Data
住所:東京都港区南青山5-10-1 二葉ビル6F