夢を夢で終わらせないために、自分の「好き」を突き詰めた。 私の履歴書 【メイクアップアーティスト サイオチアキさん】#1
サイオチアキさんは、ファッション誌からファッションショー、CMやテレビ番組まで、多彩なメディアで活躍するメイクアップアーティスト。学生時代から抱いていた「メイクアップアーティスト」という夢を叶え、今や多くのモデルやタレントを美しく彩り続けるサイオさんですが、その道のりは決して楽なものではありませんでした。
前編では、自身の経歴を通じてメイクアップアーティスト・サイオチアキとしてのルーツを紐解きつつ、アシスタント時代や独立後に訪れた厳しい時期を、どのようにして乗り越えたのかを中心にお伝えします。
SAIO’S PROFILE
- お名前
- サイオチアキ
- 出身地
- 鳥取県
- 年齢
- 1988/12/12(35歳)
- 出身学校
- 関西美容専門学校
- 憧れの人
- オリジナリティがありながら、どんな人にも対応できる柔軟性を持ち合わせている人
- プライベートの過ごし方
- 体のメンテナンス(美容鍼やマッサージなど)
- 趣味・ハマっていること
- 食器を集めること(特に、沖縄の焼き物「やちむん」が好きです!)
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 大切な顔に触れるものなので常に清潔に保つこと、新作を積極的に取り入れること
ファッション誌に胸をときめかせる日々。関西で研鑽を積み、満を持して東京へ
――早速ですが、サイオさんがメイクアップアーティストを志したきっかけを教えてください。
昔から、『non-no』や『Zipper』などのファッション誌を読むのが大好きでした。スタイリングに合わせたヘアメイクで彩られたモデルさんたちはキラキラしていて、とても魅力的で。特にヘアメイクが特集されているビューティー関連のページは、ずっと眺めていられましたね。
また、高校の学園祭ではヘアアレンジを担当したのですが、それがすごく楽しかったんです。同時に、自分の手先が器用なんだということを実感しました。メイクアップアーティストになりたい、と思ったのは、幼少期から募らせていたファッション誌への憧れと学園祭での体験が大きかったと思います。専門学校の学園祭でも、仮装する友人のヘアメイクを担当していましたね。
――高校卒業後は、大阪・天満橋にある関西美容専門学校に進学していますが、ヘアメイクはそこで学ばれたのですか?
実は、そうじゃないんです。専門学校では美容師になるための勉強をしていました。ヘアメイクの仕事をするには東京に行く必要があると思いましたが、鳥取で生まれ育ち、関東方面に馴染みがなかった当時の私は上京する勇気がなくて。地元に近い関西圏で美容師になるつもりでした、メイクアップアーティストの夢は、正直やや諦め気味でしたね。
――そうだったんですね! では、専門学校卒業後はヘアサロンに?
はい。大阪・福島にあるヘアサロンへ就職しましたが、1年程度で辞めてしまいました。美容師としてはカット技術の向上を目指さなければいけませんが、ちっとも身が入らなくて…(笑)。それよりは、成人式のヘアメイクの現場の方が楽しいことに気がついてしまったんです。美容師への情熱が足りませんでした。
私は、やはりヘアメイクがやりたい。ただ、そのためにはまず基礎を身に着けなければなりません。そこで、実践経験を積めて教育システムも充実していた神戸のブライダル会社に転職しました。この時に「3年間やってみて、まだファッション誌のヘアメイクへの情熱があったら、今度こそ東京に行こう」と密かに決めていました。そして3年経った2014年、私の中の情熱はまだ消えていませんでした。そうなると、東京に行くしかない。先に上京していた知人らにも相談した結果、思いきって上京に踏み切りました。24歳の時です。
指名をもらわなければ一人前になれない…。心身ともに厳しい時期
――ようやく足を踏み入れた東京ですが、そこからメイクアップアーティストになるまでの道のりを教えてください。
まず、メイクアップアーティストが多数所属する「roraima(現・Lila)」に所属し、2014年、師匠である斉藤誠さんの下でアシスタントからスタートしました。
具体的なアプローチとしては、ファッション誌を何度も調査し、携わりたいと思ったファッション誌のメイク担当者をリストアップしました。そのクレジットの中で多かったのが、「roraima」に所属の方だったんです。「ここでなら、ヘアメイクとして一流になれるかもしれない」と思い、志願の電話に踏み切りました。
しかし、東京に出て来ていきなりヘアメイク一本で生活できるはずもなく、当時はアルバイトを3つほど掛け持ちしていましたね。バイトから0時過ぎに帰宅し、翌朝4時の現場に向かうなんてこともしょっちゅう。両親や友人に支えられながら、なんとか乗り越えていきました。
当初は2年で独立する予定でしたが、なかなか師匠からのお許しが出ずに半年ほど延びたので、独立したのは2017年ごろです。
――独立してからの仕事は、順調でしたか?
アシスタント時代とは、また別の苦労がありましたね。メイクアップアーティストの仕事一本で生計を立てるには一定数の指名をもらわなければいけませんが、指名をいただくまでかなり時間がかかりました。現場での立ち振る舞いやヘアメイクの技術になかなか自信が持てずに緊張してばかり。空回りすることも多く、次の仕事にうまくつなげられないこともありました。
そんなとき、よく思い出していたのが師匠の斉藤(誠)さんからのアドバイスでした。「現場では自分をよく見せようと取り繕うのではくて、自分らしくありなさい」。このころは現場で取り繕っていた自分が悔しかったですね。
そんな私に転機を与えてくれたのが、5〜6年前まで一緒に仕事していたティーン向けのファッション誌での仕事です。スタイリストさんやモデルさん、スタッフさんみんなが自分らしく、思い切り働いていて、個性豊かで包容力のある現場で。ここでなら「取り繕わずに自分らしくメイクしても大丈夫そう!」と思えて、のびのびと仕事しながら現場経験を積んでいけました。今につながるヘアメイクのスタイルを見出せましたし、そのファッション誌に育ててもらったな、と感謝しています。
自分ならではの表現を確立するため、「好き」という感覚のその先へ
――可愛らしい甘めな雰囲気の作品作りを得意とされていますが、最初から可愛い系のジャンルが得意だったのですか?
実は、好きなヘアメイクのジャンルがなかなか定まらなかったんです。師匠からも、よく「ジャンルがとっ散らかっている」と指摘されていました。現場での経験値が上がってきても指名をいただくまでに時間がかかったのは、これも大きな理由だったと思います。
――ジャンルを定めるために、どのような取り組みをされたのですか?
ひたすら様々なジャンルの作品撮りを重ねたり、。素敵だと思うメイクアップアーティストさんの真似をしてみたりしました。そんな中、ヘアメイクしていて特に楽しいと感じたのが、可愛らしい甘めのテイストだと気づいたんです。ファッション誌にもそれぞれ個性がありますが、自分の好きなジャンルを積極的に表現していくようになったら、徐々に同じテイストの雑誌の仕事につながるようになりました。
――ヘアメイクの仕事をする上で、ジャンルを定めるのは大事なことなのでしょうか?
とても大事です! この仕事をする上では、普段感じる、なんとなくの「好き」という感覚だけでは足りなかったのだと思います。「好き」という感覚をもっと突き詰めて、自分が何にときめくのかを自問自答し続ける必要がありました。
1年ほど悩みましたが、自分の本当に好きなジャンルを見つけてそれに素直になってからは、その「好き」を表現できるさらに楽しい仕事が待っていました。あの時悩み抜いて、本当によかったと思っています。
幼少期からの夢を、やっとの思いで叶えたサイオさん。後編では、サイオさんがメイクアップアーティストとしてどのようにして活躍の場を広げていったのかに加え、結婚や妊娠といったライフステージの変化が仕事に与えた影響について、お伺いします。
撮影/鳥取写真家・宮川大志
取材・文/勝島春奈
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