将来を見据えた転職で、運命のサロンに出会った 私の履歴書 【ヘアスタイリスト 福本玲香さん】#1
つくばエクスプレスの主要駅の一つである、千葉県流山市の「流山おおたかの森」。快速に乗れば都心まで約25分というアクセスの良さや、駅のそばに大型のショッピングモールという利便性も相まって、東京で働く子育て世代のベットタウンとして注目を集める街です。
そんな街に店舗を構える「garden otakanomori(ガーデン オオタカのモリ)」は、表参道や銀座エリアなどを中心に店舗を展開する「THE GARDEN(ザ ガーデン)」によるニューブランドのヘアサロン。今回ご登場いただくヘアスタイリストの福本玲香さんは、転職を機にこのヘアサロンへ入社しました。
前編は、子どもの頃からの憧れを叶えて美容師になった福本さんが、美容師として奮闘し、将来を考えて転職を決意するまでの物語です。
REIKA’S PROFILE
- お名前
- 福本玲香
- 出身地
- 千葉県
- 年齢
- 1998/04/27(26歳)
- 出身学校
- 国際理容美容専門学校 美容科
- 憧れの人
- 大倉忠義(SUPER EIGHT、旧・関ジャニ∞)
「憧れというよりは“推し”なんですが。ルックスもさることながら、普段のおどけた様子と、ドラムを叩くときの真剣な顔つきとのギャップが最高です!」 - プライベートの過ごし方
- 「平均して週2日ある休日のうち、1日は出かけて、1日は家の中でまったりするというのが私の定番です。大型のショッピングモールが好きなので、外出はそこに行くことが多いかな。家の中で過ごす日は、徒歩圏内の実家にいる4匹の猫と遊んだりしています」
- 趣味・ハマっていること
- 無理のない範囲で楽しむ推し活。最推しである大倉忠義のメンバーカラー・緑色のアイテム集め
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 可能な限り、推しのカラーである緑色のもので揃えること
子どもながらに憧れた、美容師の背中
――福本さんが美容師を志したきっかけを教えてください。
小学生の頃、友人の母親がヘアスタイリスト兼オーナーとして個人経営されていたヘアサロンがあって、その方に憧れたのがきっかけです。
2席ほどの、こじんまりとしたアットホームなお店で、家族全員で通っていました。友人の母親がとても楽しそうにお仕事をされていて、お店の居心地もとても良くて。いい空間だなあ、こんなお店で働きたいな、と子どもながらに思っていました。
――素敵なロールモデルがいたんですね。
はい。今では考えが変わりましたが、学生時代は自分のお店を持ちたいとも考えていました。高校生になって現実的に進路を考える段階になった時、子どもが好きな私は保育士とも迷っていたんです。そんな時にも友人の母親が美容師という職についていろいろと教えてくださって、やっぱり美容師の道へ進もうとを決めました。
がむしゃらだった学生時代、挫折を味わったアシスタント時代
――高校を卒業後は、美容の専門学校へ?
はい。東京にある「国際理容美容専門学校」の美容科に進学しました。学生時代の私は、とにかく「負けず嫌い」。同期に負けたくなくて、どのカリキュラムも全力で取り組んで、常に一番を目指していました。
専門学校で履修していたカラーの特別授業は、特に役に立ちました。最初の就職先のヘアサロンでもそこで教わった塗り方が採用されていたので、とてもスムーズに仕事ができました。勉強できて良かった技術の一つです。
――最初は別のサロンへ就職されていたんですね。
そうなんです。専門学校卒業後は、千葉方面を中心に店舗を展開するヘアサロンへ入社しました。配属されたのは、千葉県松戸市にある本店でした。
――東京に出ることは、考えませんでしたか?
そうですね。地元の千葉でのんびり育ったのもあって、みんなが時間に追われて忙しないイメージがあり、あまり魅力を感じなくて。家族の元を離れて、一人暮らしをしてまで東京に出ようとは思いませんでした。
――そちらでのサロンワークは、どのようなものでしたか?
アシスタント時代も「負けず嫌い」は相変わらずで、練習や試験にも一生懸命取り組んでいました。技術面ではあまり苦労しませんでしたが、唯一、今でも強く印象に残っている出来事があります。
――どのような出来事ですか?
常連さんの中に姉妹でいらっしゃる年配の女性がいて、シャンプーにものすごくこだわりのある方だったんです。厳しいご意見をたくさんいただき、何度もやり直すことになったんですが、入社して1、2ヶ月くらいの当時の私はそれがつらすぎて、大泣きしてまいました。同期の中でも一番乗りでシャンプーの試験に合格していたので、その自負もあったと思います。
でも何度か同じお客様のシャンプーを担当するうちに、改善できたところをだんだんと褒めてくれるようになり、スタイリストになった時にはお祝いの言葉もいただきました。結果的には技術面でも成長できて良かったのですが、人一倍努力しながら技術の習得に邁進してきた私が挫折を味わった出来事として、鮮烈に記憶に残っています。
――技術以外の面で、大変だったことなどはありましたか?
スタイリストになってから特に実感したのですが、私にとっては技術面よりも接客面の方が、難易度が高いと感じていました。
お客様の髪質はもちろん、性格やライフスタイルなどは人によって本当に様々で、それぞれに寄り添った対応が求められます。どうしたら居心地よく過ごしていただけるかを常に考え、距離の取り方に気を配っていました。
将来を見据えて転職を決意した矢先、今のサロンとの運命的な出会いを果たす
――以前お勤めのサロンからの転職を考えたきっかけを教えてください。
理由は大きく分けて2つあります。1つは、立地やお客様の年齢層のこと。そしてもう1つは、「将来的に子どもが欲しい」と、より現実的に考えるようになったことです。
前職のお店は家からも遠く、老舗かつ地域密着型なのもあってか、年配のお客様が多かったんです。カラーも白髪染めのオーダーがメインだったくらい。もう少し若年層のお客様を担当して、ファッショナブルな施術もしたいと思うようになりました。
また、20歳を超えたあたりから、出産を経験して子どもを持つ友人が増えてきました。私は進路を保育士と迷うほどに元々子ども好きでしたが、友人たちの可愛い子どもたちと接していく中で、「子どもが欲しい。母親になりたい」という思いが強くなっていったんです。しかし、前のヘアサロンでは、あまりフレキシブルな働き方ができそうにないな、と感じていて。いざ結婚、そして出産となった時に、ここで美容師を続けるのは難しいかもしれないな、と。
それで、4年ほど勤めていた前のサロンを辞めて、転職先を探すことにしたんです。
――今のサロンである「garden otakanomori」とは、どのようにして出会ったのですか?
当時から、ここ「流山おおたかの森」が徐々に発展して注目され始めていることを知っていたので、このエリアに絞ってヘアサロンを探そうと思っていました。子どもを授かってからも美容師の仕事は続けたかったので、通いやすさも重視しましたね。
そんな時、偶然か必然か、「garden otakanomori」のInstagramのアカウントが、私のことをフォローしてくれました。ちょうど、「garden otakanomori」も新規スタッフを積極的に募集していた時期だったみたいです。
子どもの頃からの憧れを叶えて美容師になり、自分が望む未来を現実的に考え、思い切って転職に踏み切った福本さん。後編では、そんな時に巡り合った「garden otakanomori」でのサロンワークの様子、自身の将来設計と働き方、そして働く「環境」について、お話を伺います。
撮影/内田龍
取材・文/勝島春奈