変化球美容師として自分の色を活かしながら、人のために尽くす仕事を【log 代表 馬橋達佳さん】#2
サロンでのアシスタント時代、スタイリストデビューと同時に始まったフリーランス時代を経て、代官山にlogをオープンした馬橋達佳さん。今回の後編では、logの16年の歴史の中で経験した浮き沈みのお話や、美容師として大切にしていること、現在特に力を入れていることなどを中心にお聞きしました。
お話を伺ったのは…
log 代表 馬橋達佳さん
2003年HEAVENS入社。2007年にフリーランスになり、2008年にlogを設立。サロンワークをベースに、ファッション誌やヘアカタログ、業界誌の撮影やセミナーなど幅広く活動。
逆境は成功のチャンス。気持ちの切り替えで乗り越える
――logの歴史を少し振り返っていただこうと思いますが、オープン時に特に力を入れたことはありますか。
まず、「売り上げのための仕事はしない」「お客様に嘘をつかない」ということ。本当にお客様に必要なものしか、必要だと言わないというスタンスを徹底していました。logのコンセプト(前編参照)を具現化するために一番重要だと思ったからです。
――そうすると、経営面では大変なこともあったのでは。
最初の1年はやっぱり大変でしたね。今だから言えますが、赤字の時もありました。
ただ、1年目の頃から幸いにも撮影の仕事をいただけていたんです。当時はメンズ誌が多かったのですが、うちの店くらいの規模感で雑誌に載っているサロンはまだ少ない時代でした。珍しさから編集部の方に興味を持ってもらえたんでしょうね。そのおかげでお客様の支持もいただき、2年目から売り上げがドカンと伸びました。
もともとは僕ともうひとりのスタイリストで共同経営という形で始めたのですが、アシスタントを増やして4人体制にすることもできました。
――それからは順風満帆に?
3年目にどん底を経験しました。一緒にやっていたスタイリストがアシスタントふたりを連れて辞めちゃったんですよね…。つまり僕以外みんな退社です。離れていったお客様も多かったですし、売り上げは1/3ほどに落ち込みました。
大変なできごとでしたけど、逆にリセットできたかなと思う自分もいて、しばらくはひとりで営業を続けました。
――その間もずっと、雑誌などの撮影に呼ばれていたわけですよね。そういうオファーが途絶えない理由は何だと思いますか。
今でも忘れられない経験があります。何度ヘアの手直しをしても編集者のOKが出なくて、とうとう「もういいです」と言われて。誌面には一応小さく載りましたけど、本当にへこみました。振り返ってみると、撮影の仕事をしたいからこそ「外さないようにこなしてしまった」のが原因だったと思います。
もう二度と撮影の依頼は来ないだろうと思いましたが、またチャンスをもらえて、その時にもう怖いものはないと開き直りました。とにかく思いきり自分が好きなようにヘアスタイルを作ったら、企画のトップで使ってもらえたんです。そこから、「自分の色」を強く意識してスタイルを打ち出すようにしていったら、いろいろな媒体からコンスタントに仕事をいただけるようになりました。
――落ち込んだできごとからの気持ちの切り替えがすごいですね。
空振り三振の後にしっかりホームランを打つみたいな。もう少しまめにヒットを打てって思います(笑)。アシスタント時代もそうでしたが、折れずに歯を食いしばってやったことほど、結果に結びつくんですよね。苦しいことほど、ちゃんと対価として返ってくるという経験をしたので、不屈の魂が身についたのかもしれません。
ターニングポイントとなった撮影の直後くらいにアシスタントとして入社したのが、現在は売れっ子スタイリストになっている斎藤(トップスタイリストの斎藤菜穂さん)です。さらにもうひとり増えてサロンワークも円滑になり、それ以降は浮き沈みの波はなくなって売り上げ自体も順調に伸びています。
経営者として、プレーヤーとして大切にしていることとは
――先ほどお話に出た斎藤さんをはじめ、スタッフの成長や活躍をどのように後押ししているのでしょうか。
斎藤に関しては、天才肌だし不屈の魂を持っている。彼女がアシスタントの頃の僕は相当厳しかったですけど、自然と見て盗んで成長していけるタイプでした。僕が何かしたというのはそんなになく、強いて言うなら個性を否定しなかったことですかね。だから、斎藤が作るスタイルと僕が作るスタイルは似て非なるものなんです。
――時代とともに美容室も美容師も変わっていくと思いますが、オーナー視点で気をつけていることはありますか。
今年はlogにとって変革期で、今まさにリブランディングを進めています。きっかけはひとりのスタッフの退社でした。丸6年働いてくれたのですが、プライベートでいろいろありメンタルヘルスを崩してしまって。その時、お店としてもっとやってあげられることがあったのではと思ったんです。スタッフに経済的・時間的ゆとりを持ってもらうこと、美容師を楽しめる環境作りをすることを、会社として徹底していかなきゃダメだなと。
例えば営業時間を短くして、朝晩にプライベートの時間をちゃんと持てるように。評価基準や保証給を見直して、経済的にゆとりがあることで選択の幅が広がるように。同時に、こういう環境下なので働きませんかと、リクルートにも力を入れ始めました。
――では、プレーヤーとして大切にしていることは何でしょうか。
logを設立した時に掲げた「お客様に嘘をつかないこと」をずっと貫いています。
施術面では、お客様のやりたいスタイルを否定せず、長さやフォルムで軌道修正しながら似合わせていくことです。骨格や髪質に対しての似合わせももちろん必要ですが、やっぱり「お客様の気分に似合わせる」っていうのはすごく大事だし、そういうヘアスタイルが結局一番その方に似合って満足していただけると思います。
僕だからこそできる仕事にもこだわっています。他のサロンさんだと止められるようなオーダーも基本的にはいったん飲み込んで、消化吸収して、お客様に還元するという感じですね。大胆な前髪の幅だったり、切り方だったり、パーマのボリュームだったり。変化球美容師として生きてきたので、そういう自分らしさを意識し続けることが、飽きられずに必要としてもらえる要因なのかなと思っています。
――ヘアスタイル作りにおいて、「自分の色」と「トレンド」のバランスも大事ですよね。
きっと美容師の皆さんは同じことを言うと思いますが、そこはもう感覚です。だからいろいろなものを見て、情報を仕入れて、感度を磨いていくしかありません。例えば僕は流行りの韓国ヘアは全然作りませんけど、韓国ヘアが得意な美容師さんのインスタも見ますもん。
自分のベースとなる好きなものとの化学反応が起きることがあるし、新しいものを自分の中に入れていかないと止まってしまいますから。幸い近くに蔦屋書店があるので、美容とは関係ない洋書などもたくさん見ます。撮影が決まると自分の引き出しを整理するために行くこともありますね。
人の役に立つために動き、必要とされる美容師に
――今後の展望や目標を教えてください。
スタッフ教育の充実にさらに力を入れていきたいです。スタッフひとりひとりの個性を消すことなく、必要としてもらえる美容師になれるように、僕個人としても会社としてもサポートしていける環境を整えることが、今の僕の最大のミッションです。
その結果、必要であれば新しいブランドを作ることも考えています。お客様の年齢層は幅広いですが、これから大人世代がさらに増えていくと思うので、大人向けサロンと若者向けサロンに分けるというのもありですよね。
――馬橋さん自身の「必要としてもらえる美容師」であるための3大ポイントは何ですか。
最初に思い浮かんだのは、パッションです。情熱。サロンワークも撮影もやっぱり熱を持って取り組め得るか否かが僕の場合はすごく大事。だからその熱を保ち続けるための自己管理もしっかりしています。
もうひとつは「人のためのクリエイティブ」であること。アーティスト的なクリエイティブが成り立つ美容師さんがいるのも事実ですが、それはごく限られたカリスマな人たち。僕としては、自分が何を求められているのか掘り下げて考えて、お客様や雑誌の企画のためにどれだけ自分の色を残しながら尽くせるのかを大切にしています。
最後は月並みですが、「ありがとう」「おかげさま」という感謝の気持ちです。たくさん苦しい経験をしてきて、お客様がいることがあたりまえではないことや、失う怖さは身に染みてわかっているので。
――馬橋さんにとって、働くということは?
その時の年齢や立場により、働くということの意味や目的が変化してきたと思います。アシスタント時代やスタイリストになりたての頃は、何より自分のために働いていました。「働」という漢字は「人偏に動く」と書きますが、今の僕にとっては「人の役に立つために動く」のが働くということ。金八先生が黒板に書くようなことを言ってしまいましたね(笑)。
お客様にとって役に立つ美容師でありたいし、スタッフが技術や仕事に対するスタンスを学ぶための役に立ちたい。今、教育に力を入れているのも、そういう思いからです。
――すごく素敵な考え方ですね!最後に、これから活躍したい美容師さんに、アドバイスをお願いします。
パッションを忘れない!やっぱり情熱があれば、時間もエネルギーお金も自分に投資できるんですよ。そして、投資した分しか返ってこないです。だから活躍したいならそれ相応の対価を支払う必要がありますし、そのためには美容師という仕事に対する情熱が何より大事だなと思います。
馬橋さんの成功の秘訣
1.パッションを持って取り組む
2.“人のための”クリエイティブを意識する
3.感謝の気持ちを忘れない
撮影/長谷川梓
取材・文/井上菜々子