やりたいことは「明日から」ではなく「今すぐ」やるべき! 私の履歴書 【kakimoto arms AZABUDAI HILLS・ヘアカラーマネージャー 岩上晴美さん】#2

柿本現会長に勧められ、大好きなおじいさまに背中を押されてカラーリストの道を歩み始めた岩上さん。カラーリストのパイオニアとして忙しくも充実した日々を送るなか、突然の価格変更などの変化。岩上さんがステップアップするために選んだのが「ダニエルギャルビン」での留学でした。

後編では、「ダニエルギャルビン」でどんなアシスタント生活を送ったのか、海外で働いて分かったkakimoto armsのよさ、後輩を指導するときに心がけていることについてご紹介します。

給料なし、チップなし。2年間も無給で過ごしたアシスタント留学

アシスタント留学をして、kakimoto armsの良さが分かったとか。

――日本ではカラーリストのパイオニアでしたが、ロンドンではどんな形で働いたんですか?

無給のアシスタントです。イギリスにはチップの習慣がないので、まったくの無給でした。

――えっ!? それなら滞在中の生活費も必要ですよね。

そうなんです。柿本にロンドンへ行く話をしたとき、「ダニエルに話を通しておいたから、明日から行け!」って言われて、「お金がないので、明日からは無理」と答えたんです。そうしたら「お金なら貸してやる!」って。会社に借りちゃったら、絶対に戻ってこなくちゃいけないじゃないですか(笑)。母に助けてもらって、何とか工面しました。

――留学してよかったことは何ですか?

kakimoto armsの良さがわかりました。日本はチームプレーで海外は個人プレーじゃないですか。私はチームプレーが好きなんだなというのがよく分かりました。あと、私が育ててきたカラーリストたちは海外と比較してもレベルが高かったんですね。離れてみてよく分かりました。

せっかく出てきたのに、「よく分かったので日本に帰ります!」っていうのはもったいないので(笑)、ダニエルの前で仕事をして、「ダニエルギャルビン」の店でカラーリストとして認められたら帰ろうと思いました。

――すごいガッツがありますね。

ダニエルの愛弟子で、私より一回り年下のリスのアシスタントになりました。彼女はすごく面倒見がよくて、毎日私がカラーリングしたモデルのチェックをしてくれたんですよ。そのおかげで「ダニエルギャルビン」でデビューできました。

――ダニエル・ギャルビンはどんな方なんですか?

今年80歳になるんですけど、今も現役のカラーリストで私が目標としている人です。常に「お客さまのビューティが大切なんだ」って言っています。ダニエルのお客さまが「私ね、1972年からダニエルに願いしているの」っておっしゃったんですよ。50年以上も前のことで、私は生まれてない!お客さまとそんな関係をつくれたらいいな、と思っています。

心機一転。日本で働く3つのモチベーション

岩上さんのセミナーは海外でも大注目。テクニックを間近で見ようと黒山の人だかりに。

――ロンドンからすぐ日本へ?

ニューヨークを経由して帰国しました。「ダニエルギャルビン」でカラーリストデビューができたので、「じゃあニューヨークはどうなのか」と思って、弁護士の面接を受けに行ったんです。

――弁護士の面接?

ニューヨークでカラーリストとして働くには、アーティストビザが必要なんです。私の実力でビザがもらえるのかを知りたくて。その弁護士は、「あなたの実力なら問題ない」と言ってくれたので、その言葉に安心して日本に帰ってきました。

あと、アメリカのカラーリストの仕事ぶりも見たかったんです。イギリスでは伝統を重んじて、一人のお客さまにすごく時間をかけます。でもアメリカは500ドルくらい高額なのに、一人のカラーリストが1日20人くらい担当するんです。

――流れ作業みたいですね。ニューヨークに心残りはありませんでしたか?

若いときにイメージしていたニューヨークとちょっと違ったんですよね。それにロンドンでkakimoto armsのチーム力はすごいって分かったし。また機会があればここに来ればいい、という気持ちでした。

――留学のきっかけが、柿本社長(現会長)から「指名料を倍額にする」と言われたことでしたよね。帰国後は?

指名料を元に戻すと言われました。私はロンドンで学んで、倍額の指名料をいただく自信がついたと思ったんですけれど(笑)。

――そんな! スキルアップしているのに戻っちゃったんですか。

ロンドンから戻るとき、自分の中で3つの目標を立ててきたんです。kakimoto armsに戻ってもゼロからのスタートだったので、まずはトップカラーリストと呼ばれるだけの売上を1年以内につくること。2つ目はカラーの技術を教えるアカデミーをつくること。3つ目が中国に進出すること。この3つを達成できれば、2年間ロンドンで過ごしたことが正しかった証になると思ったんですよね。

――壮大な目標に思えますが。

帰国してから半年くらいで売上は達成できました。5年も経たないうちにアカデミーもできたし、中国の美容師さんが勉強しに来日してくれているので中国進出も叶いました。

後輩を育てるポイントは「いい部分」を伸ばすこと

2024年はカラーリスト誕生30年目の記念すべき年。国際フォーラムで記念イベントも開催されました。

――今はカラーリストになりたい人も増えていると思います。岩上さんは後輩を指導するとき、どんな点に気をつけていますか?

最初に「どんなカラーリストになりたいのか」を聞きます。あと、kakimoto armsはレベルに合わせて星が増えていくのですが、1つ星から2つ星になるタイミングはいつなのか、いつまでに3つ星になりたいのかも聞きます。そこまで細かく目標を設定していると、インスタの発信は今のペースで合っているのか、お客さまの予約の入り方はどうなのかなど具体的に話し合えます。

――上からガミガミ伝えるのではなく、考えさせるんですね。

毎日のコミュニケーションのなかで、彼女や彼らのいいところが分かるようになります。その部分を本人に伝えて、いい部分をさらに伸ばしたいと思っているんですよ。

――いいところを見つけるには、その人のことを観察し続けないと見つからないですよね。

私、人を観察するのがめちゃめちゃ好きなのと、分析するのも好きなんです(笑)。「この人はこういう人だな」というのが、透けて見えるというか。たぶん、これはある種の才能だと思います(笑)。

――指導するときは、その人に合わせるんですか?

例えば、いつも何かできないスタッフがいたとします。そのスタッフの先輩に「注意してる?」って聞くと、だいたい「いつも言っているのにできないんです」という答えが返ってきます。それは伝え方が悪いから伝わらないんですよね。私たちは絶対に諦めてはいけません。諦めたら終わりなんです。私たちが諦めなければ、そのスタッフは絶対にいい方に変わります。絶対に理解してくれると思って伝えれば、私たちの気持ちも伝わるし、絶対に理解してくれると思うんです。

――言い続けるのもしんどいですよね。

後輩たちに「また言いやがって」って思われたとしても、別に私はかまいません。私がどんな風に思われても、そのスタッフがお客さまから高く評価されればいいわけなので。
でもね。お客さまの評価が上がってくると、今度は自分の後輩が同じミスをしたときに、その後輩のできない気持ちが分からなくなっているんですよ。

――え~! そんなものなんですか?

私はできなかったスタッフには直接、注意しません。そのスタッフの先輩にしつこいくらい、できるようになるまで言い続けます。

1年前にオープンしたAZABUDAI HILLS店には各店舗で働いていたスタッフたちが集められました。最初のうちは「注意しているのにできないんですよ」って言っていたのに、今はもうできるようになっているんですよ。柿本が私に諦めなかったように、私も後輩たちに言い続けます。

岩上さんの成功の秘訣

1.ときには無謀とも思えるチャレンジも必要

2.目標は「漠然」ではなく「具体的」に立てること

3.諦めずに「言い続ける」ことで人材を育てる

撮影/松原敬子

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