「美容師の本質は技術」と気づいて起死回生。メンズヘア美容師として一時代を築く【AMBERGLEAM 長山友宇希さん】#1

2024年7月、東京・用賀にヘアサロンとアパレルショップを併設した新感覚の路面店「AMBERGLEAM(アンバーグリーム)」オープンした長山友宇希さん。長山さんは表参道や渋谷の美容室でメンズヘアのスペシャリストとして長く活躍してきた美容師であり、アパレルブランドのデザイナーでもあります。

前編では、美容師を目指したきっかけや、最初に勤めたサロンでの経験、美容師としてのターニングポイントとなった前サロン時代のエピソードなどをお聞きしました。

お話を伺ったのは…
AMBERGLEAM Director/CEO 長山友宇希さん

2008年に美容学校を卒業後、池袋にある美容室に入社。2013年にL.O.G(ログ)の立ち上げに参加してスタイリストデビュー。特にメンズのお客様から高い支持を獲得して活躍し、2017年に新店舗L.O.G SHIBUYA(ログ シブヤ)の代表に就任。2021年から妻とともにアパレル事業も展開し、2024年にAMBERGLEAM hair(アンバーグリーム ヘア)のオーナーとして独立。

Instagram:@yuuki_nagayama
Instagram:@ambergleam_official

NAGAYAMA’S PROFILE

お名前

長山友宇希

出身地

群馬県太田市

年齢

37歳(2024年12月時点)

出身学校

足利デザインビューティー専門学校

憧れの人

子供と遊ぶ時間がたくさん作れるパパさん

趣味・ハマっていること

時間があればバスフィッシング。今は時間がないのでトレーディングカードのコレクション

仕事道具へのこだわりがあれば

専門学生時代から愛用しているシザーは、引退するまで大事に使い続けたい

目まぐるしく走り抜けた20代前半

大学を諦めて専門学校へ行くことになった時、「これでまた遊ぶ猶予ができたと、不純な気持ちもありました(笑)」と長山さん。

――美容師になろうと思ったきっかけは何ですか。

もともと、高校教師になりたくて進学校に通っていたんです。でも勉強で周りに遅れをとってしまい、もういいやと思って遊んでしまったんですね。結果的に行ける大学がないという現実を突きつけられた時、同級生の中に美容師の専門学校に行くという友達が現れて。実はうちの父親も美容師だったので、「その手があったか!」と。

当時読んでいた雑誌では有名なカリスマ美容師さんが活躍していたし、僕も生まれてきた以上は世の中に自分の名前を知ってもらいたいという気持ちもあり、将来的には雑誌やヘアカタログを担当できる美容師になりたいと思いました。

――専門学校時代はどのように過ごされましたか。

とにかくバタバタの2年間でした。入学した時からもう「美容師になる」というゴールが決まっていて、卒業するまでに国家試験に合格しなければいけない。毎日授業を受けて、毎週新しい課題に追われて、バイトもして、朝7時から夜中の3時まで稼働する日々。それでやっと、課題を終わらせつつ洋服を買ったり遊びに行ったりする権利が手に入るみたいな。

ただ、その学校で恩師と呼べる先生に出会ったのがきっかけで、専門学校を卒業するまでのモチベーションを維持できました。その先生は学生との向き合い方が半端じゃなくて、僕らに本気でぶつかって、僕らのために涙を流せるような人。今ではありえないけど、時には手も出ちゃうくらいの熱量で、一種のありがたさを感じていました。

――その先生のおかげで2年間頑張ることができたんですね。就職活動はどのように進めたのでしょうか。

最初は就職活動に全然身が入らなかったんですよね。地元の群馬から出たい気持ちもあったし、残りたい気持ちもあったので、それぞれの美容室に研修に行きました。原宿のサロンは体育会系ですごく厳しかったし、地元のサロンは逆にゆる〜っとしていたし、何が正解なんだろうと感じていました。そうこうしているうちに僕の周りはみんな就職を決めていて、それに気づいたのがなんと1月。卒業が目の前に迫っていました。そこから必死で探し始めたんです。

――最初にお勤めしたのはどんなサロンでしたか。

エクステやカラーを得意とするサロンで、ギャル系雑誌のモデルさんを担当しているようなところでした。その店に在籍したのは約5年です。

――スタイリストデビューもそこで?

そこでは正式にスタイリストデビューしていないんです。あの時代の恩恵なのかもしれませんが、都内に出てから雑誌のモデルさんと知り合う機会が多くて、アシスタント2年目にその子達のカラーをさせてもらうことがあったんですね。そうしたらその子達がブログに書いてくれて、その瞬間から指名の予約が殺到しました。

先輩たちに「売り上げにつながるから、もうスタイリストやったら」と言われ、とりあえず基本的なことだけはできるようにして、あとは実践で慣れるしかないという感じで入客してしまったんです。そのまま雑誌撮影のヘアセットもするようになり、本当に目まぐるしく突っ走りました。

ろくにカット練習をしていなかったので自己流だし、自分でもこれはちょっとまずいなというのはわかったのですが、もう後戻りできないというか、やるしかないという感じでしたね

L.O.G時代、3年間の暗黒期を経て覚醒

L.O.Gの立ち上げに参加したことが、長山さんの美容師人生のターニングポイントに。

――L.O.Gの立ち上げメンバーになった経緯を教えてください。

専門学生時代に研修させてもらった原宿のサロンの先輩と、ばったり再会したのが最初のきっかけです。それが唐澤憲司さん(L.O.G代表)なのですが、パワーというかオーラというか、とにかくすごかったんですよ。「これが厳しいサロンで育つということなんだ」という衝撃を受けました。

その頃僕は24歳くらいで店長を任せてもらっていたのですが、人間関係もお店もうまい方向にいかず、ずっとモヤモヤしている状態。そんな時に憲司さんのパワーに惹かれて、よく一緒に遊ぶようになりました。

26歳になる頃、憲司さんから「表参道にお店を出そうと思っているから一緒にやろう」と誘われ、僕はもう二つ返事で「やりたいです!」と。それでL.O.Gの立ち上げメンバーになりました。

――当時の印象深いエピソードはありますか。

L.O.Gに入社してから、美容師としては暗黒期に入りました。お客様がゼロになってしまったんです。理由は明確で、カットが下手だったから。最初のサロンの頃は、お客様はエクステをつけるためにお店に来て、最後にちょこっとカットするような時代だったんですよね。でもL.O.Gで求められる技術はカットやパーマ、カラー。そこに順応できずにどんどん失客し、指名以外のフリーのお客様も担当できなくなってしまいました。

そうするともちろん給料も下がるわけです。今までの半分の給料で家賃と生活費を払ったら、毎月収支はマイナス。クレジットカードを3枚作って生活を回しながら、毎朝カットの練習をして、夜はカットモデルさんを呼んで切らせてもらっての繰り返しでした。26歳でやっと、真の美容師人生がスタートしたのかなと思います

――本来なら、カット練習ってアシスタントの時にたくさんするものですもんね。

やっぱり逃げてきた分、どこかで皺寄せが来ますよね。その時に初めて、世の中の摂理のようなものを知りました。今まで、専門学生時代も就職活動も技術練習に対してもチャランポランで、なんとなくうまくいってしまったけど、やっぱり美容師の本質は技術だなと実感したのが26歳の時です。そこから3年は修行期間という感じでしたね

――どのように暗黒期を抜け出したのでしょう。

毎月ギリギリの生活で、あと2ヶ月同じ状況が続いたらもう無理、地元に帰ろうという極限の時に、とある男性インフルエンサーさんがお店にいらっしゃったんです。ちょうどインスタグラムが広まり始めたタイミングで、しかも僕自身は技術をちゃんと身につけたいい状態。しっかりとメンズカットの技術を提供できたことで、その方がSNSで拡散してくださり、男性のお客様が一気に増えました

もし昔のままの技術だったらリピートはなかっただろうなと思うけど、3年間みっちり練習したことでレベルアップしていたので、多くのお客様が毎月リピートしてくれて、収支もなんとかプラスに。「間に合った!」って感じでした(笑)。

――そこからは順調に?

29歳で急浮上というか、右肩上がりの時期に入りましたね。体力的にもすごくいい時期でしたし。僕が忙しくなるというのは、憲司さんも嬉しかったと思います。ギリギリな状態を知っていて、「あとちょっと頑張ろう」と応援してくれていたので。

お客様の行列が途切れなかった黄金期

表参道と渋谷を合わせて約11年L.O.Gに在籍した長山さん。「何事もいったん始めたらすぐに辞めないタイプ。結果を残すまで続けますね」

――メンズヘアに特化してファンを獲得し、その後は渋谷店の代表になられたんですよね。

表参道の店がまるで「行列のできるラーメン屋」みたいな状況で、店の外までズラーっとお客様が並んだんですよ。1時間、2時間待ちとか。

――それはお客様も美容師も大変な…。

当時は、それが売れっ子の証だと思っていました。お客様が全然いない辛さを味わっていたので、たくさん来てくださることはすごく幸せだったんです。だからどんなに忙しくても僕自身は楽しく働いていたんですが、お客様の負担を考えることができていませんでした。本当に若かったですね…。

そんな忙しさの中、さすがに席数が足りなすぎるのでもう1店舗作ることになりました。すぐに渋谷の駅近で物件を探して、3ヶ月ほどでL.O.G SHIBUYAをオープンしました。

――渋谷店はどんなサロンだったのでしょうか。

メンズスタイルを得意とするメンバーを集めて、店の内装も男性に好まれる雰囲気にしました。僕が代表で、L.O.Gから連れて行ったスタイリストが店長、あとふたりスタイリストがいました。

そのうちのひとりは最初に勤めたサロンで一緒に働いたことのある後輩です。もうひとりは、不思議なめぐり合わせを感じるのですが、高校のテニス部でダブルスのペアを組んでいた後輩。表参道のコンビニで偶然会った時に「僕も都内で美容師をやっているんです」と聞いて。「渋谷に美容室を立ち上げるから、また一緒に組もうよ」と誘い、彼も挑戦してみたいと言ってくれて、メンバーになりました。
実はその後輩が、今のサロンでも一緒にやってくれています。

――運命を感じますね! 美容師として多忙を極める中、アパレルの仕事も始めたそうですが、どんな経緯で?

コロナ以前の話ですが、憲司さんと一緒にバーを経営していたことがあるんですよ。自分たちの遊び場がほしいという思いと、サロンのスタッフがお酒を楽しんでハメを外しても、何かあれば僕らが責任を取れるという意味合いもあって作った店でした。その店で出会ったのが今の妻です。彼女はわりと大きなアパレル会社でレディースブランドのメインデザイナーとして働いていたのですが、結婚するタイミングで妊娠したので、普通に出社ができなくなったんですね。

同じ頃、渋谷店が好調で手狭になり、僕は自分の会社を設立して新店を作ることにしたんです。会社を持つことのメリットを感じていたので、それを妻に説明して独立を提案しました。その時に立ち上げたのが「AMBERGLEAM」というブランドで、僕もアパレル事業に関わるようになりました

――ブランドの誕生から関わっていらっしゃったんですね。

まさか自分が洋服のデザインをするようになるとは思ってもいませんでした。ただ、昔から洋服が好きなのは変わらず、古着もずっと買いためていて。妻からしてみたら、僕の洋服の組み合わせやイメージするものが新鮮で、新しいデザインソースが生まれてきたようです。彼女は学生時代からメンズの洋服を作りたいという思いも持っていたので、僕も応援したいと思ったんです。


アシスタント時代からたくさんのお客様を担当しつつ雑誌の仕事もこなし、がむしゃらに突き進んだ長山さん。L.O.Gの立ち上げから3年は、ギリギリの生活をしながらひたすら技術を磨き、メンズヘアのスペシャリストとして人気を確立しました。やがて、美容師として活躍を続けながらアパレルの仕事もするという二足のわらじを履くことに。
後編では、ニューヨークコレクション出展という大きな挑戦のお話や、へサロンとアパレルショップを融合させた路面店「AMBERGLEAM」にかける思い、今後の展望などをインタビューします。

撮影/高嶋佳代
取材・文/井上菜々子


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AMBERGLEAM
住所:東京都世田谷区用賀2-41-11 平成Bldg Youga 路面店
電話:080-4915-1098

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