サロン開業を目指して独立し、「パーマ×トレンドカラー」でファンを獲得【arc 前田秀樹さん】#1

表参道のヘアサロン「arc(アーク)」と「arc+(アークプラス)」で代表を務める前田秀樹さんは、パーマのスペシャリストとして活躍。持ちのよいデジタルパーマやダメージを極限まで抑えたケアパーマ、パーマとカラーの同時施術などに定評があります。

前編では、前田さんが自身のサロンを立ち上げるまでに、どのような道をたどったのかインタビューしました。

お話を伺ったのは…

arc

代表・美容師 前田秀樹さん

2008年に専門学校卒業後、都内サロンで2年半勤務。2011年に有名店に移籍し、2015年にスタイリストデビュー。2018年に「新美容スターコンテスト」で優秀賞、「ナプラドリームプラス in 武道館」で4位入賞など、数々の受賞歴を持つ。2019年に退社後、フリーランスを経て2020年にarcを立ち上げる。2022年には2店舗目となるarc+をオープン。

Instagram
@maedahideki_a_r_c
@hideki_maeda0929

MAEDA’S PROFILE

お名前

前田秀樹

出身地

千葉県

年齢

37歳(2025年2月時点)

出身学校

東京美容専門学校

憧れの人

第一線で活躍されている美容師の皆さんを尊敬しています

趣味・ハマっていること

仕事の日は一日一食で過ごし、夜に好きなだけ食べる

仕事道具へのこだわりがあれば

髪を傷ませない施術のために、技術・道具・商材のすべてにこだわります

2度目の挑戦で憧れのサロンに入社

美容師以外では、建築家にも憧れがあったと言う前田さん。「給料がよくて、かっこいい仕事というイメージでした(笑)」。

――美容師になろうと思ったきっかけは何ですか。

最初は、小学生の頃に『Beautiful Life』(木村拓哉が主人公の美容師役を演じた大ヒットドラマ)を観て、美容師がかっこいいと思ったのがきっかけです。中学、高校の頃は自分の髪や友達の髪を切ったりしていました。近所には床屋さんしかなかったし、電車賃が高いからわざわざ電車に乗って美容室に行くこともできず。

――自分の髪を切るのは難しくなかったですか。

ヘアカタログを参考にして、鏡を見ながらなんとな〜くチョキチョキッとセニングだけで切っていましたね。後ろの方も適当に。高校の途中からはもう、美容専門学校に進もうかなと考えるようになりました。

――専門学校時代は、どんな学生でしたか。

美容師の仕事で食べていくと決めたからには、死に物狂いでやるというか、とにかく積極的に練習に取り組みました。ワインディングなどの基礎練習をひたすらコツコツと。

――最初にお勤めされたのは都内のサロン?

漠然と、自分が輝けるような店に行きたいという思いがあり、有名店を3社受けたのですが落ちてしまって。3月末くらいになんとか都内のサロンに決まり、そこで2年半ほど働きました。

大型店ではないですが雑誌の撮影などもしている店でしたし、尊敬できる先輩方もいたし、ここでちゃんと頑張っていこうと思っていましたね。

――その後、お店を移られたんですよね。どんな経緯だったのでしょう。

最初のサロンは男性のお客様が多かったのですが、僕は女性のヘアスタイルもやりたかったんです。そして、撮影など外部の仕事のチャンスを得るには、環境も大事だということにも気づきました。

ちょうどその頃、1度は落ちてしまった有名店が中途採用を行うという話を聞いたんです。この機会を逃すまいと2度目の挑戦で合格し、2ヶ月ほどのインターンと3ヶ月の使用期間を経て正式に入社しました。

挫折経験と天才肌の先輩の存在が、視野を広げるきっかけに

「モデルハントもたくさんしたし、セミナーにもたくさん参加したし、20代はずっと仕事漬けの毎日でした」と前田さん。

――移籍後はまたアシスタントから再スタートですよね。

はい。今は違うかもしれませんが、あの時代はゼロからやり直しでしたね。反逆心というか反骨精神というか、そういう気持ちが強かったし、若さゆえのプライドの高さもあったので、自分なりにはすごく努力した時期だと思います。

――別のお店とはいえ2年半の経験がありながら、年下の同期と同じラインに立つというのは複雑な思いもあったのでは?

苦ではありましたけど、自分のやりたいことのためなら全然平気でした。同期はみんな素直でいい子たちだったのも大きいですね。あの頃の自分は尖っていたので、めっちゃケンカもしましたけど(笑)。

――その頃にターニングポイントとなったできごとがあれば教えてください。

アシスタント全員参加のウィッグコンテストがあったのですが、その時の自分の出来が悪すぎてショックを受けたことがあります。エリート揃いなので年齢関係なくみんな上手で、本当に絶望を覚えました。

そこから、基礎技術を頑張るだけでは足りないと気づいて。徐々に、美容を大きく捉えて見ることを意識するようになりました。

――学びの範囲を広げたということでしょうか。

女性の求めるものやトレンドを広く学ぼうと。コレクション情報などでファッションの知識を深めたり、代官山のTSUTAYAに行って洋書を読んだり。

あとは、身近に天才肌の先輩がいたので、その方達の仕事を見させてもらうことも勉強になりました。現在はLONESSの代表をしているハルさん(本田治彦さん)のアシスタントをしていた時は、撮影の仕事もプライベートも全部、付き人みたいについて行かせてもらいました。

ハルさんや、一緒に仕事させてもらった堀江昌樹さん(現在はHank.のオーナー)を見て、本当に天才っているんだなと思ったんですよ。

「何かを失ってでも」という覚悟で新たなステップへ

アシスタント期間はトータル6年半。前田さんは「妥当な気もするし、そんなに時間をかける必要もなかった気もするし…」と振り返ります。

――自分の強みや方向性を見出したのはいつ頃でしたか。

スタイリストデビューしたあと、ヘアカタログや雑誌の撮影に参加したり、ヘアショーに出させてもらったりした頃ですね。スタイリスト2、3年目に社内外のコンテストで賞をいただいたのも、自信につながったと思います。

実は、その頃にはもうサロンを辞めることを考え始めていたんです。

――それはどうしてですか。

ちょうど30歳くらいでしたが、収入面や立場などを考えると、自分が思い描いていた理想像とかけ離れていたんですよね。これはもう、何かを失ってでも自分で変えていかないないとダメだなと。

人生を一度リセットするくらいの気持ちで動かないと、自分の中で納得がつかなかったという感じです。

――なるほど。辞めたあとは?

お店を出す予定はすでにあって、一緒にやろうと言ってくれるメンバーも何人かいました。でもまずは資金を作らないといけないので、10ヶ月くらいは知り合いの店でフリーランス美容師として働きました。貯金ゼロからまとまった金額を貯めたので、結構頑張ったかなって(笑)。

――フリーランス時代の集客はどのように工夫しましたか。

集客のためのひとつのツールとしてインスタグラムでパーマスタイルを打ち出しました。もともとはハイトーンカラーが得意だったのですが、カラーでお客様を増やすにはライバルが多いとわかっていたので。

前サロンがもともとパーマを強みとしているお店だったので、ブリーチなどの履歴がある髪にパーマをかける経験も積みました。だから僕自身のウリにできたという面もあります。

「パーマ×トレンドカラー」の実例を発信し続けたことで、パーマもカラーも楽しみたいというお客様がたくさん来てくださるようになりました。


独立資金を貯めたあと、表参道に自身のサロン「arc」を立ち上げたお話は後編にて!

撮影/喜多二三雄
取材・文/井上菜々子


Check it

arc
住所:東京都港区南青山3-13-24 サウス青山テックビル5F
TEL:03-6447-0064

この記事をシェアする

編集部のおすすめ

関連記事

近くの美容師求人をリジョブで探す

株式会社リジョブでは、美容・リラクゼーション・治療業界に特化した「リジョブ」も運営しております。
転職をご検討中の場合は、以下の地域からぜひ求人をお探しください。

関東
関西
東海
北海道
東北
甲信越・北陸
中国・四国
九州・沖縄