ニューヨークの街角にある美容室を感じさせる『180°One Eighty Degrees. 』
2014年9月、恵比寿にオープンした美容室『180°One Eighty Degrees.』。このお店を流れている空気は少し独特です。クラシカルな装いでありながら重々しいわけでもなく、シックで洗練されています。調度品1つひとつに存在感があるけれど、それらが主張し合うでもなく……。
お店の雰囲気について「ニューヨークで暮らした頃にインスピレーションを受けました」と話すオーナーの横塚鉄也さんに、『180°One Eighty Degrees.』ができるまでをお尋ねしました。
28歳のとき、ニューヨーク行きを心に決めた
――『180°One Eighty Degrees.』オープンに至るまでの横塚さんのプロフィールを教えてください。
「東京で10年間、美容師として仕事をしていました。アシスタント、スタイリスト、店長と経験を重ねて、そして28歳のときにアメリカへわたりました。そこから3年半をニューヨークで過ごし、世界的な美容師のアシスタントなどを経験。その後、日本へ戻ってきて4年ほどフリーランスとして活動をしました。それから恵比寿に『180°One Eighty Degrees.』をオープンさせました。2014年9月のことですね」
――ありがとうございます。キャリアの途中に“ニューヨークで過ごした”という部分があって、とても気になります。渡米されたのはどうしてなのですか?
「理由は3つあります。ひとつ目は、“英語圏の国に行きたかった”ということです。英語を身につけておいたほうが、この先の視野が広がると思っていて。ふたつ目は、“技術を向上させたかった”ということです。ニューヨーク、ロンドン、パリといった都市には、世界的に活躍する美容師が集まっています。その世界でもまれたいという思いがありました。3つ目は“ニューヨークに知人がいてパイプがあった”ということです。そんな理由からニューヨーク行きを決めました」
日本でお店を持つか、それともニューヨークへ渡るか
――渡米には大きな決断が必要になったと思います。ほかの選択肢に迷うことはありませんでしたか?
「ありましたよ。日本で10年、美容師の仕事をしてきて、そろそろお店が出せるかもしれないという状況でしたから。ニューヨークへ行くか、そのまま日本で美容室を持つか。迷ったあげく貯めていた資金をはたいて渡米を選んだというわけです」
――日本で店長としてマネジメントをやっていた方が、アメリカでまた技術を学び直すという点がユニークですね。
「そのとき考えていたのは、“マネジメントは40歳になってからでも学べる”ということ。それに対して、“技術を身体に染み込ませることは、若いうちにしかできない”と思ったのです。だから、当時はまだ20代だったので、世界トップクラスの技術に触れる経験を優先させることにしました。
ニューヨークでは、アメリカ人やイタリア人の世界的なスタイリストの元でアシスタントなどをしていたのですが、日本にはない学びがたくさんあって刺激的でしたね。たとえば、日本では、目指す型があって、それができるように技術を磨くんですね。それに対してニューヨークでは、常に新しいスタイルの創造が求められました。挑戦することや試行錯誤することの大切さがよくわかりました」
ニューヨークの経験があったからこそ、いまがある
――店長からアシスタントへ逆戻りするなかで挫折を味わうこともありましたか?
「それはありますよ。一番は語学ですね。ニューヨークに渡って最初の1年は、語学学校に通いながらヘアーサロンで働かせていただきました。その後、渡米してから、2年目くらいから、ヘアースタイリストのアシスタントなどをしながら、自分自身でもフリーランスとして活動をはじめました。はじめの頃はアシスタントの現場でも言葉の壁がまだあり、ヒアリングに時間がかかったんですよ。そのぶん反応がちょっと遅れます。すると、ものすごく怒られるんです。“この歳になって、こんなに言われる!?”というくらい(笑)」
――貴重な経験ですね。日本でお店を開かずに渡米をしたという選択肢、改めて素晴らしいと思いました!
「日本で店長をしていると若い子たちから『すごいですね!』って言われます。僕も内心、悪い気はしません。それで、ちょっと自信を持っていたのですが、ニューヨークでは見事に打ち砕かれました。“すごいやつがあっちにも、こっちにも!”って感じなんですよ。
でも、『180°One Eighty Degrees.』は、その頃の経験があったからこそできたお店だと思っています。28歳ですぐにお店を持つより、確かに遠まわりはしたんだけれど、結果としてよかったんじゃないかな、って」