CONKS_松島亘

楽しく毎日過ごしていたら、気の合う仲間が集まるサロンになっていました。

この世に手業を生業にしているサービス業はどれぐらいあるのでしょうか?手一つで人を喜ばせたり、疲れを取ったり、美しくしたり、癒やしたり・・・。これってすごいことですよね。

このコラムは、手業を生業にしている美容からヘルスケアの業界の方々にフォーカスをしたプロフェッショナルインタビューです。その人の手が語る物語をお楽しみいただければ幸いです。

モアリジョブ編集部

私の手にしか、できないシゴト。 松島亘さん

――美容師になったきっかけは?

松島 大学に行きたくなくて、幼なじみの実家が床屋さんで、理容専門学校に進学すると言うので「これからは手に職を付ける時代になるから。」と両親に伝えたら賛成されて、自分も専門学校に入りました。本音は、理容専門学校に行って、2年ぐらい遊びたいなと思っていました(笑)。

――専門学校卒業後の進路は?

松島 専門学校を卒業して、1年だけ美容室に勤めました。入社後半年で、シャンプーやタオルの折りたたみが原因で手荒れがひどくなり、大学病院に精密検査に行ったら、ドクターストップかかってしまって・・・。それで美容師を辞めました。

――ドクターストップですか。それは大変でしたね。

松島 美容師あるあるで、手荒れで悩む人が少なからずいると思いますが、私の場合は重傷化してしまい、指を折り曲げるちょっとした動作でも皮膚に亀裂が入り、血が吹き出てしまったりと、本当に大変でした。美容師を続けるのは難しいなという状態でした。

――美容室を辞めてからはすぐに別のお仕事をされたのですか?

松島 美容室を辞めて、1年間ふらふらしていました。その時、僕がふらふらしているのを噂で聞いた前職の美容室のオーナーから「そんなんじゃダメだ。」と言われ、美容ディーラーを勧められて、美容室などに商品を卸す営業の仕事に就きました。

――美容ディーラーのお仕事はどうでしたか?

松島 性に合っていたと思います。お客様の役に立つにはどうしたらいいかって、ことばかり考えて仕事をしていました。お客様の売上を上げるための提案をして、担当しているサロンの売上が上がるのを肌で感じで嬉しかったですね。

――自分の美容室をオープンしようと思ったのは?

松島 美容ディーラーをしていて、お客様に寄り添いながら色々と提案をしていた時に、『美容師じゃなくても美容室出せるんじゃないか』って思ったんですね。その時はまだ25歳で、サロンをオープンするにもオープンのための勉強もしていませんし、知識がなかったので・・・。切りが良い30歳の誕生日にオープンすることを目標にして頑張りました。それで30歳の誕生日に、目標だった1号店のヘアサロンをオープンしました。

CONKS_松島亘

――1号店をオープンした時はどうでしたか?

松島 自信がありましたし、夢に満ち溢れていました。その時は、10年経ったら何十店舗も経営しているだろうなと思っていました。美容ディーラーをやっていた時に沢山のオーナーの悩みに触れることがあったんですね。悩みは様々なんですけど、1売上・2採用・3離職率で、この3つがキーになっていて、それに付随して色々なパターンの問題を抱えていました。当時は、自分だったら問題もなくいけるかなって独立したんですけど、お店をオープンしてからは、他のオーナーと同じような問題がいっぱい起きました(笑)。

――オープンしてから色々あったんですね。

松島 色々ありました。サロンをオープンしたばかりの頃は、自分に自信もあったので、スタッフに対していつも上からの態度で接していたんですね。でも実は、腹の中では毎日びくびくしていたんですよ、僕はシャンプーもカットも出来ないので。なので、スタッフに対して心は媚びていて、表面では「おまえらよ」って裏腹の態度ででしか接せられなくて・・・。そうすると伝わる物も伝わらないし、スタッフもそういう自分に対して怖いって思っていたんですよね。案の定、2年で十何名いたスタッフも、どんどん辞めて、結果5名になってしまいました。

――スタッフが5名になった時、元技術者ということで自分が入客しようと思った事はありましたか?

松島 辞められるんだったら自分がやった方がって思った事があって、ハサミを買ったことはありました(笑)。でも、9年間のブランクは大きく、心が付いていきませんでしたね。今思えば、あの時に技術者としてやらなくて良かったなって思います。スタッフが辞めていったことで、自分がやるべき事が明確になりました。人の採用や会社の象徴になってSNSを使って集客したり、新たなビジネスを考えたり・・・。経営者として自分がどうすべきか目が覚めました。

――大変なご経験をされている松島さんですが、成功談はありますか?

松島 プライドを捨てて、思い切って2店舗を1店舗に縮小したことですね。借金もしているし、心を込めて作ったお店を閉店することは、結構勇気がいることなんですね。だけど、そこにしがみつかず、ベストな選択ができたと思っています。このことがあったから、自分を見つめ直し、スタッフと堂々と真っ正面から付き合うことができました。その結果、サロンが急に盛り上がってきて、店舗を縮小した翌年に急遽、沖縄にサロンを出店しました。働く人もブログに書いたら見つかって・・・。勇気を振り絞って一歩踏み出すことで、新しい世界が広がって、こうやって採用も出来るし、知らない土地でも自分たちの気持ちがノっていればなんとかできるんだなって経験をしました。更にあの日から3年経って、この柏店も出店できました。

CONKS_松島亘

――サロン経営を辞めたいと思った事は?

松島 スタッフが辞めていったときは思いましたね。僕自身が小さい人間だから、人がどんどん離れていって・・・。「これだけしてやったのに」「こいつらと一緒にいたくない」とか思った事もありました。あの時は、ダメなオーナーがもがく心理っていうのを一通り体感しました。結局は、社長が悪いので、僕が気付いて変わらなきゃいけないって気付かされましたね。

――気持ちを切り替えてからはどうでしたか?

松島 店舗を縮小してからは、1回も辞めたいと思った事はありません。毎日楽しくて、仕事か遊びかよく分からず過ごしています。そんなこんなで楽しくしていたからでしょうか、波長が合う仲間がサロンに集まってきました。

――毎日楽しく過ごされている松島さんのモチベーションは?

松島 どうだろうな・・・。とにかく自分が人生を一番楽しむことでしかないですね。そもそも今の子たちは、モチベーションって言葉に踊らされていると思うんですよ。「最近モチベーションが・・・」って、本来の自分と向き合えていないなって感じるんですね。だから、社長自ら元気で明るく健康で人生を楽しんでいる姿を見せることで、社員もそうなるかなって。実際、うちのスタッフは僕の姿を見て、楽しんでくれていると思います。仕事でも遊びでも、楽しいことをだけを選択して、楽しくないことを選択しなくなったらモチベーションって言葉が自分の中から無くなりました。なので、自分の周りの人たちにも、人生丸ごと楽しんでもらうためにはって毎日考えています。

――人生丸ごと楽しんでもらう為にやっていることを一つ教えて下さい。

松島 “ワッタル”っていう社内仮想通貨をやっています(笑)。これは有難うを形にするために、社員に利他の精神を持ってもらいたいと思い始めました。

――“ワッタル”ですか、面白い発想ですね。

松島 “ワッタル”は、ディズニーアンバサダーホテルの宿泊や練習に必要なウィッグを買うことが出来ます。その他には、社長と焼肉とかディズニーチケットとか“ワッタル”を使いたいスタッフが好きな物に使う事が出来ます。今年からスタートして、既にディズニーに行ったり、社長と食事に行ったりと“ワッタル”を使っている社員が沢山います。サロン内でこの“ワッタル”が飛び交っています。

――松島さんの将来目標は?

松島 来年台湾に1号店をオープンしますが、5年で20〜30店舗出店したいと考えています。美容室だけではなくヘッドスパやフットセラピーをミックスしたリラクゼーションサロンで、日本の技術を多くの人に体感してもらいたいですね。また、台湾の美容師は日本人に比べると給料が低いので、彼女たちの給料も日本人ぐらいにして活躍できる場を提供したいです。日本国内では、CONKSカルチャーを継承できるサロンを3年で3店舗、展開しようと思っています。今ある店舗とは別の場所で、実現していきたいです。

――最後に、業界や美容師を目指している方に一言。

松島 若い子が憧れる大人が増えていけばいいなと思います。仕事やプライベートを楽しんでいる大人の方が魅力的ですし、難しい顔をして仕事していたら若い子達も、そういう先輩みたいになりたいとは思わなくなっちゃいますから。今時の子は、お金持ちになりたいとか物やお金が欲しいとは思わず、生き方とか在り方みたいなのを目指しているような気がするんですよね。若い子は、本当にマジメ。だからこそ、大人が楽しいと思うことをどんどんチャレンジして夢を実現する姿を見せることが大切だと思います。僕自身も、若い子に憧れられるよう、サロン作りやサロン外でもワクワク出来ることをどんどん積極的にやっていこうと思っています。

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