トライ&エラーから学び成長へ。良い治療家を育てることが私のミッションだと思っています。

この世に手業を生業にしているサービス業はどれぐらいあるのでしょうか?手一つで人を喜ばせたり、疲れを取ったり、美しくしたり、癒やしたり・・・。これってすごいことですよね。

このコラムは、手業を生業にしている美容からヘルスケアの業界の方々にフォーカスをしたプロフェッショナルインタビューです。その人の手が語る物語をお楽しみいただければ幸いです。

モアリジョブ編集部

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私の手にしか、できないシゴト。 安藝泰弘さん

――柔道整復師を目指したきっかけは?

安藝 高校生の時に、人を助ける仕事に就きたいと思い、柔道整復師になろうと思ったのがきっかけです。

――高校生の時点で人を助ける仕事に就きたいって随分しっかりしていますね。

安藝 高校生の時に、将来自分がどんな職業に就くべきかを考える事がありました。そもそも仕事ってなんだろう・・・と。周りの働いている大人たちを見て、自分なりに出した答えが「仕事とは、人助けをする事」でした。そこで人助けが仕事なら、困っている人を沢山助けたいと思い、まずは世界で理不尽な目に遭っている人々に目を向けました。ですが、海外での人助けとなると、自分の力だけではできることが少なく、現実的ではないと思い、日本での人助けをと考えるようになりました。

――日本での人助けから柔道整復師へどう繋がっていったのですか?

安藝 色々と調べていくうちに、「どうも日本人は健康に困っている」という問題にぶち当たりました。健康に困っているならその助けを自分がしたいと思い、人を健康にするための仕事を考えました。そこで、一番最初に思い付いたのが医者でした。医者には勉強を頑張ればなれそうだと思ったのですが、もっと楽になれそうな職業は何だろうと・・・。その中で上位3%に入ってしまえば学歴は関係ないと思ったんですね。そこで、できたばかりの理学療法士か柔道整復師かで迷い、開業のできる柔道整復師になることを決めました。

――柔道整復師になられていかがでしたか?

安藝 最初の3年間は仕事ができず、とても悩みましたね。

――今の安藝さんからは想像つきませんが、何についての悩みが一番大きかったのですか?

安藝 スタッフや患者さんとの対人関係ですね・・・。全てが上手くいかず本当に悩みました。

毎日悩んでいた私ですが、家族との温泉旅行がきっかけで、人生のターニングポイントが訪れました。ゆっくりと温泉に浸かって「患者さんは何でうちに来院してくれるんだろう?」とふと考えたんですね。今までは自分中心に物事を考えていた自分が、その日を境に患者さんのことを第一に考えるようになったんです。噛み合っていなかった歯車が驚くほど噛み合い始めて・・。それから5年の月日が経ち、「そろそろ院長やってみないか。」と、院長就任の話を打診されるまでに力がついていました。ですが、その場所に住んでしまうと勉強するのに非常に不利になるように感じ、その話を断りました。なぜなら、セミナーや勉強会に出るために肩身に5〜6時間もかかるような陸の孤島とも言える場所だったからです。そして「どうせ勉強するなら都会に行こう」と思って、東京行きを決意しました。東京に出てきてからは、死ぬ気で勉強しました。東京に出てきた時が25歳か26歳で、あの時は非常に濃い時間を過ごしていましたね。

――東京に出てきてからは全て順調でしたか?

安藝 当時、学校も運営している学長先生と呼ばれている人に雇っていただき、東京でなんとかやっていました。その学長先生が引退する時に、私もその会社を退職しました。その後、大きな接骨院グループに転職しました。来院される患者さんの数も多いところで、とても忙しく働いていました。その院では私一人が柔道整復師の免許を持っていたので、必然的に難しい症状の患者さんを診る担当となりました。そこで難しい症状の患者さんばかり対応していたので、力がつきましたね。

それから、別の接骨院に院長として転職をしました。その頃は知識も技術にも自信があり、転職後3ヶ月で良い数字を出す事ができました。でも、スタッフからは不人気でしたね・・・。数字を上げ実力はありましたが、人として上司としては嫌われていました(笑)。院を良くしようと思い、施術方針での食い違いを正したり、院の中の人間関係の調整を行った事で、スタッフの辞めたい連鎖が広がり、人が離れていく・・・。それが原因で、名古屋から御徒町に異動することになりました。そこで、開業を決意しました。

givers_安藝泰弘

――開業先は東京ですか?

安藝 はい。どうせやるなら東京のど真ん中でやろうと思って、29歳の時に江戸川橋で開業しました。「良い治療家を育てたい。」そんな思いでスタートしました。

――開業から13年ですが、現在の店舗数は?

安藝 接骨院は21院で、整体院と巻き爪治療院が1院ずつ、24時間フィットネスを1店舗と幅広くやっています。

――接骨院の他に美容やフィットネスジムなど色々とやられていらっしゃいますね。

安藝 自分が、できなかったから努力してここまでの分院展開になったんだと思っています。柔道整復師になったばかりの頃は本当に下手で、知識も技術力ありませんでした。できない自分が嫌で一生懸命勉強して、知識と技術力のレベルをあげることだけを考えていました。この努力のおかげか、自分の接骨院を開業後、最初から患者さんが来てくれました。江戸川橋院では、引越をした患者さんが引越先から来院されたり、東京にある整骨院にもかかわらず、関東全県から来院があったりと、患者さんとの信頼関係で成り立っています。

――この仕事に就かれてから忘れられない患者さんはいらっしゃいますか?

安藝 女性の患者さんで、腰が痛いと言って来院された方がいました。その患者さんの治療をした時に、他の患者さんにやっている時の反応と違う反応を感じたので「一度病院に行かれた方がいいかもしれませんよ。」とお伝えしました。その後その患者さんからお手紙をいただき、「あの時に、病院にいくことを進めてくれて、病気に気づく事ができました。命が助かりました。」と。私たちのような仕事は、命が助かりましたって言われることが少ない職業なので、あの患者さんの言葉は本当に嬉しかったです。今でも忘れられないですね。

――この仕事を辞めたいと思ったことはありますか?

安藝 東京に出てくるまでは、いろいろな事が上手く行かず、心が疲れてしまった事がありました。その時は、この場から離れたい思いで、現実逃避をするように全てから解放されたいと思っていましたね。それでも、柔道整復師を辞めようとは一度も思ったことはありません。

givers_安藝泰弘

――色々とあった安藝さんですが、この仕事を続けられている理由は?

安藝 一回やろうと決めたことに関しては、途中で投げ出せないタイプだからだと思います。この仕事はすごく良い仕事だと思うんです。健康寿命と寿命が社会問題になっていて、政府もそこに対して力を入れようとしているぐらい、健康って重要なキーワードだと思うんですね。その健康を下支えできる仕事が我々の仕事だと思っています。私たちの仕事って今まさに必要とされていると。世の中を変えていける、こんなに良い職業はないと思っているからこそ続けているんだと思います。

――色々な店舗を展開されていますが今後の展望は?

安藝 毎年1.5倍の成長を目標に分院展開を考えています。エステや巻き爪など、ビューティーの展開も考えています。また、病院の経営にも乗り出したいと思っていて、人の健康を下支えできるみんなが喜べる事業展開を考えています。

――最後に業界や柔道整復師を目指している方に一言。

安藝 最近、我々の業界は売上至上主義になってきていると思います。大きなグループの治療院が強くなり、地域に根ざした小さな治療院さんは、これから生き残りをかけ更に大変になっていくのではないかと、同じ業界の人間として色々と思うところがあります。

会社が大きくなると、会社をもっと大きくするために、売り上げに走ってしまい、患者さんからの評価よりも売り上げでその従業員の評価を見るようになっていきます。私も経営者として売り上げは大切ですし、売り上げがあるからこそ、次の展開や従業員に対してちゃんとした給料を渡すことができているので、そのことについて一々言う必要はないかなと思っています。

ただ、この業界の人間として、業界を良くしていきたい思いが強くあるので、売り上げだけにとらわれる訳にはいかないかなと・・・。

私の会社の企業理念に『良い治療家を育てる』と言うのがあります。これは、治療院が何のためにあるのかを指している言葉になるのですが、我々が何のために患者さんを治療しているのかの根本を忘れてはいけないと思い、企業理念として掲げています。私たちの仕事は、調子の悪い患者さんの体を治療して笑顔になってもらうことです。治療院で働くひとが、自分が世の中に必要とされているなと、誇りを持って働けるよう業界全体の底上げを自分の立場でしていきたいと思っています。

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