「人間のつながり」「感謝」が大切 独立を目指すあなたへ vol.2【Rougy 代表 上原健一さん】#1

キャリアプランのひとつの道である「独立」。先人たちの独立体験談が、未来の参考になるかもしれません。今回お話を伺ったのは、ヘア業界のトップを走り続けている「Rougy」の代表・上原健一さん。前編は、「Rougy」を立ち上げるまでの話。「独立することは、まったく考えていなかった」という上原さん。なぜ、独立するに至ったのか、詳しくお伺いします。

東京にあこがれ上京、美容業界へ

ヘアサロン「Rougy」代表の上原健一さん。前サロンに約18年勤め、2011年に独立

——美容師を目指したきっかけを教えてください。

実家が鹿児島で、理美容室を経営していたんです。その影響もあり、美容の世界を目指しました。東京に出たいと思っていたので、高校卒業後、山野美容専門学校に入りました。学生時代は、仲のいい友人にも恵まれて、志も高かったです。そのころは店を持つことも考えていましたし、美容師をするなら原宿・表参道・青山にしようと、よく友人たちと話していました。僕が美容学生になるずっと前から、この辺りはトップサロンが集まる人気のエリアでしたから。

——卒業後の進路は?

入社したのは、有名人がいっぱい集まっているようなサロンでした。2年ほどアシスタントをしていたころ、弟が当時一緒に働いていた僕の師匠になる人と、店を出すからと誘ってくれて、22歳のときに移籍しました。それが、独立する前までいたサロンですね。そこでまた2年くらいアシスタントをして、24歳のときにスタイリストとしてデビューしました。でも、実はアシスタントのころから、少しずつお客さんが入り出していたので、デビューしたぞ! っていう感じではなかったですね(笑)。

——アシスタントでも集客できるんですね!

ありがたいことに。当時、日中はサロンワークして、閉店後には、毎日「上原美容室」を開いていたんですよ。毎晩、カットモデルさんを3・4人呼んで、¥3,000くらいでカットやカラーをしていたんですよね。お客さんは普通より安くカットしてもらえるし、僕にとっては練習にもなるっていう。サロンワークで見ていた先輩の技術を、そこで実践してみたりして。手取り足取り、教えてもらえる時代でもなかったですからね。そうやって技術は磨いていたので、通常のサロンワークでもお客さんが来てくれるようになって。売り上げも1番になっていました。それで、25歳から店長を任されました。

独立のきっかけとなった師匠との関係

デビューは24歳。現在まで20年以上、一般誌や業界誌の撮影、ヘアショーへの出演など、第一線で活躍を続ける

——25歳で店長、大変そうですね。

そうですね。美容ブームのころで、美容師がすごく注目されていた時代でした。お店も忙しかったですし、美容師メインのテレビ番組が始まったり、一般誌の撮影も増えたり、サロンワーク以外の活動も多かったです。午前中に撮影をして、午後からはサロンに出るという日々が何年も続きました。30歳のころ、お店の移転と新ブランドの立ち上げに伴い、新ブランドの店長になり、グループでは役員としてもやらせていただきました。

——いつ独立してもよさそうですが…。

それがもう、まったく独立しようとは思っていなかったんですよね。新しいサロンを作るときも、師匠と一緒にお店の場所を考えたり、店舗を見に行ったりと関わらせてもらったし、それまでも店長としてある程度サロンづくりも任せてもらっていたので…。何も不満がなかったし、師匠のことを尊敬していたのでついていきたいと思っていましたから。そのために、下の子の教育にも力を入れていました。師匠が中心にいて、スター級のスタイリストがいっぱいいて、それぞれが1店舗1店舗任されるような、いろんなブランドを持っている会社を作っていこうと思っていたんです。自分が育てた子たちも、どんどん一人前になっていって、そんなときに師匠から「上ちゃん、自分の店やってみなよ」と言われて。それが独立するきっかけでした。

——なぜ独立を勧められたと思いますか?

将来、僕が後悔するんじゃないかと、思ったんじゃないかな。もう40歳だし、「やれるときに、やっておかなきゃ」って。師匠の下の子たちが育つように、長いこと僕は動いてきたので、そういうのを見ていてくれたんだと思います。僕としては「え、やるの?」って思ってましたけど(笑)。そんな感じなんで、僕みたいな独立のしかたは、めずらしいんじゃないかな。すごく恵まれていたなと思います。

サロンワークの傍ら、開店準備をスタート

2011年、南青山に「Rougy」をオープン。店舗を決めた理由は、「表参道界隈ならどこでもよくて、当時一番安かったから」

——独立が現実的になったのは?

自分1人でも、店をやっていけるだけの収入はありましたし、独立できる条件はそろっていたと思います。自分の中で、きちんと覚悟ができたのは、「Rougy」オープンの少し前でしたね。準備は進めていましたけど、気持ちの面では追い付いていなくて…。ちょうど新しい店舗を出そうか、というタイミングだったので、そこで独立する流れになったんです。その新店舗を出すのに声をかけていたスタッフが、そのままついてきてくれることになりました。だからみんな、独立する数日前まで、前の店で働いていたんですよ。そんな感じで気持ちは追いついていなかったけど、悲観的だったわけでもなくて。どんなお店にしようかとか、内装をどうしようかとか、スタッフたちと考えたりするのは楽しかったです。

——サロンワークと同時進行で、開店準備をしていたんですね。

そうなんです。忙しい中で、準備もしなくちゃいけないから、そこは大変でした。一番大変だったのは資金面かな。長いこと店長をさせていただきましたし、お給料はたくさんもらってましたけど、その分たくさん使ってましたから…貯金が足りなくて(笑)。妻に助けてもらって、銀行の融資ももらって、なんとかなりました。でも、銀行の融資がおりたのが、お店の工事が始まる前日だったんですよ。お金払わないと受け渡しができないので、それはドキドキしましたね。着工が決まる前から店舗は借りてますので、毎月百何十万円とんでいってましたから。

——融資をもらうのは大変と聞きますが…。

僕はスムーズなほうだったと思います。前の店から税理士も引き継げたので、それまでの売り上げや給料などの必要な書類もそろえてもらえて、そのまま審査にまわせました。助かりましたね。そういった面でも、前店との関係がよかったことで、恵まれていたと思います。

良好な関係でサロンを辞める秘訣

18年勤め上げた前店とは、良好な関係が続いている上原さん。退社時のサポートも手厚かったそう

——円満退社するには、どうしたらいいんでしょうか?

いつかは出ていくと思っているんです、オーナーも。自分だって、独立して店を出しているわけですから。重要なのは、エゴの度合いじゃないかな。一生懸命、店のために働いてくれた子が、「やってみたいんだ」と言ったら、辞めるのは残念だけど仕方ないと思える。自分のことだけやって辞めますだと、勝手だなと思ってしまうじゃないですか。

——まずは、今いるサロンに貢献することが大切なんですね。

いつかは出て行くとしても、一生懸命、感謝を持って仕事をしていれば、オーナーだって見ているはずですから。たとえば、「下の子を育てる」っていうのは、ひとつの方法かなと思います。それができれば、オーナーとwinwinな関係で別れることができる。育ててもらったから、育てる。そういう「人間のつながり」というか、感謝というものが、僕は大切だと思います。

独立するときの条件

自分では「独立」を考えていなかったところから、師匠の後押しもあり開業に向けて動き出した上原さん。すぐに独立に踏み出せたのは、独立できる条件がそろっていたから。上原さんが考える、独立の条件を教えていただきました。

1.今いるサロンに貢献し、良好な関係をつくる

2.1人でも経営ができる集客を確保する

3.誰かを育てるという経験を積む

後編では、上原さんが立ち上げた「Rougy」について。そのこだわりと、経営者として感じていることについてお伺いします。

▽後編はこちら▽
独立を目指すあなたへ vol.2【Rougy 代表 上原健一さん】#2>>

取材・文:山本二季
撮影:高嶋佳代

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Salon Data

Rougy住所:東京都港区南青山3-10-32 Aoyama Morita bldg1F
TEL:03-6804-6082
http://www.rougy.jp/
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