ネイリストの独立 任されたことに全力を尽くしてはじめて「独立」を選択できる Vol.17【AOEWD 代表 米山成美さん】#1

美容業界で働く上で「独立」という目標を持つ人は多いはず。そんな人に向けて、独立して成功されている先輩オーナーの方々の経験談をお届けする本企画。

今回は連載初となるネイリスト編。教えてくださったのは、独特な色使いや素材美で多くの女性を魅了するとともに、「新しさ」を求め続ける「AOEWD」代表の米山成美さん。現実的に考えられなかったという独立を、米山さんはどのように実現させたのか。

前編では、数々のサロンで経験を積んだのちに独立に至った経緯や、独立後どのようにスタートを切ったのかを伺いました。

学びを増やすためにあえてサロンを転々と

――米山さんがネイリストになったきっかけを教えてください。

学生時代にトータルビューティの学校に通っていたので、メイクやエステ、ネイルなど全部を学んでいたんです。もともとはメイク志望だったんですが、ある日不意にやったネイルがすごく楽しくて、そこからネイルをもっと知りたいという気持ちに。ネイリストになりたいという夢があったわけではなくて、ちょっとずつネイルの世界にハマっていったという感じですね。

――卒業後、ネイルサロンで働かれてみていかがでしたか?

すごく期待を抱いていたわけではないので、思っていたのと違うな…とガッカリすることもなく、毎日が「こんなこともあるんだ」という発見の連続でした。「ここでは学び尽くしたけど、これをもうちょっと勉強したいな」と思ったらサロンを変えていたので、最終的には5店舗ほどを経験したのかな。大型店もあれば個人店もあったし、時間制でやっているところもありました。お店によってスタイルって全然違うんですよ。

――勉強のためにあえて環境を変えていたのですね。どんな下積み時代だったのでしょうか?

辛くて辛くて…ということはあまりなかったですね(笑)。業界的にも「寝ずに勉強しなさい」という風潮もなかったですし。「職人さん」という感じの人が少なかったので物足りなさは正直ありました。もちろんみんなネイルが好きでやっていたのですが、夜中まで残って練習する人はいなくて、もっと追求しようという貪欲さをあまり感じられなかったんです。

――それは意外です! ちなみに、米山さんといえば自然の素材をモチーフにしたデザインが素敵ですが、そこに辿り着くまでにどんなデザインを経由したのでしょう?

最初は技術を勉強するのが第一で、「どうやったら長持ちするか、きれいに作れるか」を数年間ひたすら勉強していたんです。だからその頃は自分のやりたいデザインを模索することは少なかったですね。ある程度技術力が安定してきて、「自分が表現したいものは何だろう?」と考えはじめたときに、ようやく新しい思考になったんです。

今はあまりないかもしれないけど、当時は誰かのアートを模写したり、トレンド柄を取り入れたりすることも多かったんですよ。例えば、冬になったら雪の結晶を取り入れたりとか。でも「本当にこのデザインってこの人に合っているのかな?」とか「流行だからすすめているだけで、本人は本当にこのデザインをやりたいと思っているのかな?」と疑問に思うようになったんです。そういう全部が違和感に感じて、自分のオリジナルを作りたいという気持ちが強くなったんです

再建という実績が認められて独立の援助を

――その頃から独立を視野に入れられていたのでしょうか?

独立はほんのりと頭の片隅にはあったんですが、本当に独立できるとは思っていなかったんです。ネイリストで独立する人って周りにはあまりいなかったので、現実的には考えられなくて…。

当時、一年くらい働いていたサロンを辞めようと思いオーナーに相談したところ、「せっかくだったら店長をやってみない?」と提案されて。そう言われたら、それをやらないで辞めるのは良くないなと思って引き受けたんですよ。

人に任されることって貴重じゃないですか。自分の采配で全部決めて良いよって言われることは人生の中で少ないと思うし、学生時代はフラフラしていた私にとってはじめてのことだったんです。

――そのときに店舗のリニューアルに尽力されたと伺いましたが。

お店のことを良くしようと考えていたというよりも、目の前の課題をひたすら消化していたと言った方がしっくりくるかも。今でこそ、そのときの大変さは大したことなかったなと思えるんですけど、当時はがむしゃらでしたね。

実は、私が店長として異動してから、スタッフのほとんど全員が辞めちゃったんですよ。突然体制が変わったせいもあるし、今まで緩くやってきたところに、いきなり気合いの入った人が来たわけですからね(笑)。メニュー、営業スタイル、予約の取り方まで、全部を一新したんです。それに合わない人が次々に辞めていき、残ってくれたのは一人だけでした。

デザインの方は、「人気店」というサロンの看板を背負っていたこともあり、とにかくこのお店をまわしていかなきゃという責任感の方が大きかったんです。だから自分のスタイルを前面に出すことはせず、デザインはまだじりじりと自分の中でくすぶっていました。

――再建という実績をつくったのち、いよいよ独立という選択を?

店長に就任して一年くらいが経ち、オーナーが独立のアシストをしてくれることになって。「本当に独立して良いんだ!」と思いました(笑)。オーナーが力を貸してくれたおかげで正直恵まれた環境で独立できたというのはありますね。

マンションの一室からスタート

――独立して、どのような形ではじめられたのでしょうか?

最初はマンションの一室からはじめたんです。人からお金を借りている以上は上手く経営していかなきゃという気持ちが7割だったので、最初のうちは自分のデザインを押し出さずにお客様の好みに寄せていましたね。

集客は、昔からの顧客の他に、大手の広告サイトで新規を集客して、ある程度の数に達したら集客をストップして、あとはリピーターさんで回していくという感じ。

その頃、AYAというスタッフと二人でやっていたのですが、こじんまりとしたお店の雰囲気を好きになってくれるお客様も多く、「二人ならどっちでも良いよ」と言っていただくこともありました。

――AYAさんとはデザインで似通うところがあったのでしょうか?

徐々に寄っていったのかな。彼女とはどちらかというとお客様を相手にするときに大事にしたい部分が一致していたんです。そこがズレるとお店のコンセプトが崩れてしまうと思うんですけど。

――ちなみに、そのときお二人が大事にしていたことは何ですか?

本当に細かいことですけど…ちょっとした声のかけ方とか、「ありがとうございました」をどのくらいのボリュームで言うかとか(笑)。そういうのって自分が生きてきて自然に身につく感覚じゃないですか。そういう些細なことが、わざわざすり合わせなくても一緒だったんですよね。性格は全然違うけど、雰囲気が似ているんだと思います。

――マンションではどのくらいの期間、お店をやられていたのでしょうか?

1年半くらいかな。オーナーに借りていたお金を全額お返しして、その後に少しずつお金を貯めて、いざ恵比寿に出店を。そのときにプラスで求人をかけて、新たに二人を迎え入れたんです。

――恵比寿にお店を構えてから苦しかった時期はありますか?

うーん…あまりないんですよね(笑)。私的に「超忙しい=テンションが上がる」で、「暇=苦しい」なんです。だから一番苦しいのはコロナの今の時期かもしれません。強いて言うなら、技術者と経営者とでそれぞれ脳を使い分けなければいけなくなったことかな。私は接客や施術が楽しくてやってきた人なので、経営者になってどうスイッチしていくのかが難しいなと。お客様を相手にしていることが楽しい仕事だけど、それをメインにしてしまうとスタッフのことや先のことを考える時間がなくなってしまいますしね。

ネイリストが独立する上での心構え

独立後は自分一人のお店を持つ人が多いネイル業界。けれど、米山さんが選んだのは「自分以外の人と働くサロン」でした。そんな米山さんにとって独立する上で大事なこととは何かを教えていただきました。

1. 「目の前の課題」と「自分のデザイン」の優先順位を考える

2. 人との意見交換を遮断しない

3. 楽しいと思えることをやめない

▽後編はこちら▽
ネイリストの独立 一人の環境ではなく、スタッフがいればネイルの世界はもっと面白くなる Vol.17【AOEWD 代表 米山成美さん】#2>>

取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/岩田慶(fort)

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Salon Data

AOEWD 恵比寿店

住所:東京都渋谷区恵比寿 1-7-12 西原ビル3F
TEL:03-6277-4076

AOEWD/Atelier 代官山

住所:東京都渋谷区恵比寿南3-6-7 第2十一ビル3F
TEL:03-6412-8636

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