奇抜な世界で、「常識的」「上品」の殻を破ろうともがいた下積み時代【ヘア&メイクアップアーティスト 長井かおりさん】#1
初心者でもわかりやすく覚えやすいメイクメソッドを提唱する人気ヘア&メイクアップアーティスト 長井かおりさん。毎月数多くの美容雑誌やファッション雑誌でページを受け持ち、そのお名前を見ない月はないほど。今でこそ美容業界に名を馳せる長井さんですが、実はアシスタント時代はご自身の「普通っぽい」キャラクターのために相当苦労したのだそう。
個性派集団の美容・ファッション業界でどのようにして生き残り、自分らしさを見つけ出したのか。
前編では、美容部員からヘアメイクの道に進んだきっかけ、業界特有の風潮の中でもがきながら這いつくばったアシスタント時代についてお聞きします。
NAGAI’S PROFILE
- お名前
- 長井かおり
- 出身地
- 山形県山形市
- 年齢
- 42歳
- 出身学校
- 日本女子体育短期大学
- 経歴
- 化粧品メーカー勤務後、ヘア&メイクアップアーティストに転身
- 憧れの人
- 特定の方はいません
- プライベートの過ごし方
- 猫や家族とゆっくり過ごす
- 趣味・ハマっていること
- ゆったりと楽しむランニング
- 仕事道具へのこだわりがあれば
- 徹底した衛生管理。徹底した整理整頓
父の死に後押しされて美容部員からヘアメイクの世界へ
――長井さんが美容に興味を持たれたのはいつ頃ですか?
高校生のときは美容に全然興味がなくて、ずーっとスポーツをしていました。バレーボールやマラソンが好きで、大学も体育大学に進学しました。
大学卒業後の進路でも特に美容業界を志望していたわけではなく、教員や販売員など、業界を絞らず「接客」の仕事に就きたいと思っていました。人と関わるのが好きだったんです。
――美容部員を選択されたのも「接客」からだったですね。
はい、単純に募集をしていたからです。化粧品でもジュエリーでも、接客業であれば何でも良かったんです。なので、化粧品やメイクの楽しさに気づいたのは失礼ながら入社後でしたね(笑)。
――充実した美容部員時代を送れていたのでしょうか?
3年半ほどしか在籍していなかったので、美容部員の醍醐味を知るところまでは行けなかったかもしれません。けれど、私を指名してくださったり、私の手が空くのを待ってくださったり…そういうお客様がいてくれたのが何より嬉しかったですね。売り上げをつくることよりも、自分にお客様がついてくださることにやりがいを感じていました。
でも、必ずしもそれが売り上げにつながるとは限らないんですけどね(笑)。ご高齢のお客様につきっきりになっていると他のスタッフに売り上げを追い抜かれたり…ということもよくありました。
――なぜヘアメイクの世界へ踏み込んだのですか?
接客は好きだけど、ものを売ることは不得手だったみたいです。「ものを売るってこんなにも大変なんだ」とつまずくと同時に、メイクの楽しさを思い出し、ヘアメイクの仕事に魅力を感じるようになりました。
そして、父が亡くなったことが大きかったですね。自分が生きているうちにやりたいことをやらなくてはいけないと、強く思ったんです。「今のまま生温く生きていちゃダメだ」と覚醒したというか。父の死はとても苦しくて悲しかったですが、確実に後押しされましたね。踏み込むなら今だと、そのタイミングでアクションを起こしました。
美容部員を辞めた後に通信の学校に通い、アシスタントにつきました。
常識的で退屈な「普通」キャラを壊そうともがいていた
――アシスタント時代はいかがでしたか?
ヘアメイクのアシスタントにつくということ自体が狭き門なので、優しく教えてもらうというより「お金を払ってでも見たいでしょ?」という世界。美容部員時代とは大きく違う環境だったので、改めて厳しい世界だと痛感しました。
実際にお金を払うことはしませんけど、「見させてもらっているだけでありがとうございます」という感じです。アシスタントをしていても口を聞いてもらえないし、ただ荷物持ちしているだけというときも。
――どのように上手く立ち回っていたのですか?
当時は、正直どうしたら良いのかわからなかったですね。
ヘアメイクの業界は想像していた以上に自分の知らない世界だったので、まずはそれについていくことに必死でした。ヘアメイクとしての技術力向上をさせていかなければいけない中で、業界の常識についても知らないことばかり。とにかく美容部員として働いていたときには見えていなかった部分をたくさん見ることになり、憧れていた世界にようやく足を踏み入れることができたと思ったのに、とても表面上のことしか見えていなかったことに気がつきました。
――そのような環境の中で、どのように技術を身につけられたのですか?
悲しいことに、技術を勉強したからといってその場その場で上手く立ち回れるわけではなくて。技術を習得しながら、一緒に仕事をしていく皆さんとの関係構築も非常に重要でした。
技術力を磨いていたというよりも、「この仕事をやりたい!」と逃げずにいただけです。きっと、今活躍しているヘアメイクさんも、そんな風にヘコたれずにしがみついてきた人たちだと思います。
私は一人の師匠に堅実についていたわけでなく、「さすがに怖すぎてもう無理!」と思ったら違う人のところに行って勉強させてもらっていました。そうやってギリギリのラインで自分で渡り歩いてきたんです。自分の居場所や、自分が頑張りたい場所を見つけるために積極的な行動を取る必要性だけはわかっていたので、それだけはしてきたつもりです。
――美容やファッション業界はメンタルを強く持っていなければダメなんですね。
不透明で理不尽な経験をしてきたからこそ、今はなるべくクリーンな業界にしていくために働きかけたいと思っています。努力するほど報われる健全な業界だよ、という風に見せていくべきかなと。
――長井さんはどんなキャラクターに見られていたのですか?
指示はしっかり聞くので、重宝されていないわけではなかったけれど、面白みのない人間だと思われていました。アーティスティックなものを求められることも多いので、一般的な社会人の出身で、そこで身につけていた常識的なところや堅実的なところはすごくウケが悪かったかもしれません。特に美容部員は礼儀も言葉遣いもきちんとしているので、私の場合はその上品さが仇となってしまい、メイクも無難になってしまうんですよ。個性的で、奇抜さを打ち出せる人が魅力的に見える世界なので、私はすごく退屈に映っていたと思います。
だから、自分なりの個性や良さを爆発させようと必死でした。常識的で退屈な自分を壊して、面白い人になろうとね。それは内面だけでなく、外見も。カリスマ性とか、何か突出した雰囲気をまとわなければいけないともがいていたんです。
けれど、色々な方のアシスタントについて必死に這いつくばってきましたが、個性的な人について行くのがやっぱり上手くできず、方向転換をして、26歳のときにヘアメイク事務所に入社したんです。
――メディアから離れたということでしょうか。
メディアの仕事もありましたが、結婚式や成人式、七五三などの一般の方のヘアメイクを多く請け負っている事務所だったので、私のファーストデビューにはふさわしいと思いましたし、自分に向いている仕事でした。
その後4年間在籍し、ヘアメイクの仕事をひたすらこなし、技術力もかなり身につきました。一般向けの仕事が多かったので人と関わる機会も多く、たくさんの人に「ありがとう」と言ってもらうことができ、やっぱり自分は接客が好きなんだなと実感しました。
「なんとなくのまま美容部員を続けるのが嫌だった」と話す長井さん。自分の「好き」という気持ちにきちんと向き合い、ヘアメイクの世界に踏み出しました。けれど、道のりは険しく。一旦はメディアの現場から離れますが、数年後、別の形で戻ってくることになります。後編では、独立後どのように美容業界を開拓していかれたのかお聞きします。
取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/岩田慶(fort)
お話を伺ったのは…
長井かおりさん
多くの美容雑誌やファッション雑誌でメイク特集を担当している人気ヘア&メイクアップアーティスト。初心者や不器用な人でもわかりやすく簡単なメイク術が評判。イベントやメイクデモンストレーションにも数多く出演。『時間がなくても大丈夫!10分で“いい感じ”の自分になる』(扶桑社)他、著書も多数。