おもてなしを極めたヘッドスパ専門店。10分1000円の価値を変えた【ヒーリングヘッドセラピー Tiphareth(ティファレス)オーナー山本幸恵さん】#1

ヘッドスパの第一人者といえば、セラピスト・山本幸恵さん。ヘッドスパの体系を築き、山本さんが考案した「深頭筋マッサージ」は多くのメディアで取り上げられました。実は元美容師で、シャンプーや肩揉みをする際「人の不調を捉えること」が誰よりも得意だったのだそう。ですが、意外にも野心を持たず、保守的に生きてきたという山本さん。主婦の穏やかな暮らしに満足していた30代、あることをきっかけに運命がハイスピードで動き出します。

前編では、山本さんが才能を見出され、日本発となるヘッドスパ専門サロンを開くまでのストーリーをご紹介。

年表項目

お名前
山本 幸恵
出身地
愛知県名古屋市
年齢
52歳
出身学校

ハリウッド美容専門学校

経歴
15年間美容師として勤めたのち、2006年、東京白金台にオーナーセラピストとして日本初となるヘッドスパ専門サロンを開業し、2013年までの7年間運営。
その後、東京新宿区でプライベートサロン「ヒーリングヘッドセラピー Tiphareth(ティファレス)」をオープン。
現在は株式会社ワイズブリスを設立し、サロンワークのみならず、セミナーによる施術者の育成や美容化粧品の研究開発にも力を入れています。

プライベートな部分

憧れの人
憧れとは少し違いますが、年齢を言い訳にせず新しいことに興味を持って取り組む父親を尊敬しています。
プライベートの過ごし方
一人旅、加圧トレーニング、ショッピング、娘とランチなど。
とにかく家でじっとしていられない性分です。
趣味・ハマっていること
社交ダンス、スキューバダイビング、漫画を読むこと。
仕事道具へのこだわりがあれば
自分の手指が一番の商売道具です。関節を痛めたりすることのないよう、最小限の力で筋肉の深部を捉える独自の施術技法を用いて、大切に使っています。
また、施術で使用するシャンプーや基礎化粧品は、全て独自で研究開発した製品。施術家として、美容家として、こだわり抜いた処方の化粧品を使うことで、何一つ妥協のない施術をご提供できています。

美容師時代、一番わくわくしたのは頭や肩に触れるとき

「ヘッドスパってもともと日本の美容室から生まれたものなんです」と山本さん。生産性がまだ低いアシスタントと、空いているシャンプー台を上手く活用するために考案された、美容室生まれのメニューなのだそう

――山本さんはもともと美容師をされていたんですよね。
そうなんです。美容師になろうと思ったのは母がきっかけでした。母は、30代のときに病気になったことで髪の毛がものすごく抜け落ちてしまい「美容室に恥ずかしくて行けない」とよく言っていたので、私が母の髪を綺麗にしてあげられたら良いなと思って。普段地味だった母に、子どもながらにお化粧をしてあげると喜んでくれて、それがすごく嬉しかったんです。

――最終的に美容師として15年間活躍されていますが、「癒し」に惹かれたきっかけとは?
まず、美容師は思っていたよりも時間に追われる世界で、納得するまで作品をつくりたいタイプの自分には合わなかったんです。

そして何よりシャンプーと肩揉みがめちゃくちゃ上手かったんです。「お店が終わったら、うちに肩揉みのバイトに来ない?」と言われるほど(笑)。痒いところに手が届くというか、相手の凝ってる部分などが不思議とわかっちゃうんですよ。シャンプーコンクールがもしあったら優勝できるくらいの自信はありましたね(笑)。

カットやパーマでお客様を綺麗にするのはもちろん好きでしたが、一番わくわくしたのは人を触るときだったんです。

当時の夫に施したマッサージを機に、保守的な人生へ終止符

「実は美容師以外に、学校の先生にもなりたかったんです。人を育てることはある種のクリエイトですから」と山本さん。その夢が現在の後進育成に生きているよう

――マッサージの才能に気づき、「ヘッドスパ専門サロン」を立ち上げるまでの経緯を教えてください。
夢も何もない話なんですけど、15年間の美容師人生の中で、自分でヘッドスパ専門サロンを立ち上げようという野心は全くありませんでした。

あの頃の私は殻の中に閉じこもっていた時期というか、言い訳人生だったんです。与えられた環境の中でどう生きていくかということしか考えていなくて、「やりたいことをやるためにはどうすれば良いか」という思考回路はありませんでした。

きっと縁がなかったら、あのまま美容師を続けていたんじゃないかな。

――その縁というのは?
再婚です。最初の結婚相手と離婚し、再婚相手と出会ったことが大きな転機となりました。

現在は離婚していますが、その当時の再婚相手がストレスフルな仕事をしている人で、ある日、高熱で倒れたんですよ。その時、「あ、これはストレスだな。マッサージしたらきっと治るな」と直感的にわかりました。頭をマッサージしてあげたら、さっきまで熱にうなされて寝付けなかった人が、ものの20分でスコーンと眠りについて。40度あった熱も37度台に落ち着いたんです。

「カエルの置物やグッズを見つけるとつい集めちゃう」というお茶目な一面も。サロンの至るところにカエルちゃんが!

――マッサージだけで熱が下がったなんて不思議!
夫にもびっくりされちゃって。「今まで色々な治療院に通ってきたけど、こんなに即効性と効果を実感できたのははじめて。こういう専門店はあるのか?」と聞かれたとき、顔もある、ボディもある、足裏もある…「あれ、頭ってないな」と気づいたんです。そうしたら夫が「じゃあ、お前がやりなよ。会社を設立する」と(笑)。

もちろん「無理!!」って即答しましたよ。36歳の主婦で、それまで保守的に生きてきた人間だったので、リスクなんて背負いたくなかったですもん。でも、夫は言い訳を許さない厳しい人だったので「やる前から無理なんて言うな」とお尻を叩かれ、やらざるを得ない状況に追い込まれたというわけです。

――ある意味、旦那さんが山本さんの才能を救い上げてくれたんですね。
人は誰しも何かしらのポテンシャルを持っていますが、「気づき」がない故にいつまでも殻に閉じこもっている人ってたくさんいると思うんです。私にとっての気づきというのが夫だったんですよね。

最初はしぶしぶといった感じでしたが(笑)、自分の好きなことだったし、「お前しかいない。俺にはわかる」という夫の言葉を信じることにしました。それが人生の第二ステージのスタートですね。

時計の針に例えると、夫にマッサージをしたのが6時だとして、7時には会社を設立、9時にはサロンが決まり、10時にオープン、という怒涛の流れ。あまりのめまぐるしさにご飯を食べる暇もなく、かなり痩せました。まるで運命のタイマーが急スピードで回り出した感じでしたね。

過労のビジネスマンが住む港区をターゲットに


――白金にオープンした日本初のヘッドスパ専門店。スタッフさんを雇い、技術も一から教えたのですか?
はい、相当苦労しましたね。当時、ヘッドマッサージを私より先にやっている人はいなかったので、スタッフたちはもちろん全員未経験。技術力をまずマイナスからゼロにすることが大変でした。例えると、私は「教わっていないのに箸が持てちゃった人」なので、「先生と同じことはできません」と言われてもなぜできないのかがわからない。なので、自分の力の入れ方や角度など、とにかく分析しましたね。

――世間ではヘッドスパの認知度がまだ低かったと思うのですが、どのように集客をしたのですか?
有料の広告を一発だけ打つと決め、日経新聞にチラシを入れたんです。それも港区界隈の。理由は、「頭をほぐしたい」「美容じゃなく、本気で疲れを取りたい」と思う人っておそらくビジネスマンで、すごく忙しくて、パソコンを何台も見ているような金融関係の人だろうなと思ったからです。

その後は口コミです。でも、夫には「1回のリピートで安心するな。3回目も安心するな。人は3回目までは我慢するから、4回目のリピートを増やすこと」と口癖のように言われていました。

――4回目のリピートを増やすためにどんな工夫をされたのですか?
技術力は当たり前なので、それ以外の付加価値、つまりホスピタリティです。

スタッフたちには「あなたたち、おもてなしって何かわかる?」という話からですよ。「言葉遣いや笑顔など表面的なことじゃなく、一生懸命相手に向き合うってこと。相手が何を求めているかを考えることじゃないの?」と。もう道場に入門するみたいな感じでしたよ(笑)。

当時、マッサージは世間的に「10分1000円」くらいの価値だったんです。私はそれが悔しくて、セラピストの価値をもっと上げたい、スタッフに高い給料を払ってあげたいと思っていました。きちんとした技術力、様々な肩書きの人に柔軟に対応できる人間性、そしておもてなし。これらを身につけることができれば、世間のイメージはきっと変わると信じていました

――今では「ヘッドスパ」はスペシャルなメニュー。リラクゼーションメニューやセラピストの社会的地位を高めたことも山本さんの功績だったのですね。

今はもう白金のサロンはありませんし、ヘッドスパ業界からは忘れ去られた存在かもしれませんが、私はヘッドスパのみならずセラピストのあり方を築いたと自負しています。現在は、美容室でも特別メニューとしてある程度料金を割高に設定できていますよね。その基準となったのはうちのサロンだと思っています。
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マッサージの価値を高めたこと。今の時代を知るからこそ、山本さんが残した功績がとても大きなものだったのだと感じます。後編では、山本さんが「心の修行の場だった」と語る第二ステージについて深掘りしていきます。

取材・文/佐藤咲稀(レ・キャトル)
撮影/喜多二三雄

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