デジタルからアナログに場を移した「居酒屋集客」で、デビュー月売上140万円を達成! 「OjOmano」倉田晋吾さん

「OjOmano」スタイリストの倉田晋吾さん。4年前から人事担当となり、現在は「CHO(人事最高責任者)」に就任。19名もの採用に成功したそうです。

前編ではなぜそのようなことが実現できたのかを伺いました。ポイントとなっていたのは、自分から求職者に出会に行く、「攻め」の採用。自身が編集長を務める「TOOL MAGAZINE」で美容学校を取り上げた記事を作成したり、美容学生を対象としたクーポンの発行など接点を多く作ることで、採用率のアップにつながっているといいます。

後編ではスタイリストのデビュー月に140万円という、社内の新記録を作った倉田さんにそのコツを伺います。なんと自分の行きつけの居酒屋で集客をするという、「居酒屋集客」で達成できたという倉田さん。インスタ集客がどうにも苦手だったという倉田さんですが、等身大の自分を見せ、好きな人の輪が広がっていく居酒屋集客はとてもあっていたといいます。

今回、お話を伺ったのは…

倉田晋吾さん

大学卒業後、美容室に入社し、通信教育で美容師資格を取得。その後、再現性サロン「MaNO」に入社し、30歳でスタイリストデビュー。4年前から求人担当者に就任し、新卒・中途社員を19名採用することに成功。その一方で「美容業界の知らないを解消する」をコンセプトとした、WEBマガジン「TOOL MAGAZINE」を2020年9月に立ち上げ、編集長を務める。美容室求人セミナーの講師も数多く担当しているほか、「求人チーム育成塾」を主催している。

「絶対に記録を出す」強い気持ちで、居酒屋集客にシフト。140万円の記録達成に成功

倉田さんが所属する「OjOmano」。再現性カットで人気を集める

――デビュー月に140万円の売上をあげたそうですが、どのようにして実現したのでしょうか?

行きつけの居酒屋でお客さまとつながる「居酒屋集客」で、達成することができました。僕はお酒を飲むことが大好きで、毎日のように行きつけの居酒屋に行っていて(笑)。アシスタント時代には居酒屋の店長さんやスタッフさんが、カットモデルになってくれることが多々あったんです。そしてカットしていただいたあとにお店に飲みに行くと、流れでほかのお客さんとつないでもらうこともありました。たとえばたまたま隣に座っていた僕とまったく面識がないお客さんが「あ、店長髪切ったんだ」というと店長が「あ、その隣の人が美容師で、切ってもらったんだよ」という感じで紹介してくれて。さらにその方がモデルさんとしてお店に来てくださることもありました。

――そこから集客につなげていった、と。

最初はそのつもりはまったくなくて、どちらかといえば飲み屋では美容師という自分の素性を隠しているタイプだったんです。でもどうしても社内の売上新記録を達成すると宣言してしまった手前、なんとしてでもお客さまを呼ばないといけなくて。というのも当時、初月にいい記録を残すと、会社から褒めてもらえるし、うまくいくと雑誌掲載をさせてもらえるチャンスがあったので。

そこでもう恥ずかしくてもいいから、美容師だということ、「髪の毛を切らせていただきたいので、もしよかったら来てください」と居酒屋で出会った方に伝えるようになりました。美容師だとわかると自然と髪の毛の話になるので、その場で「僕だったらこういうふうに切るかな」とざっくりカウンセリングをしたこともありましたね。SNSだと自分の作品や、自分について語って、お客さまに知ってもらう形ですが、飲み屋で話しているうちに自分の人柄を知ってもらうこのやり方が僕にはとてもあっていて。多くのお客さまに来ていただき、140万円を達成することができました。

――SNS集客をしようとは思わなかったんですか?

もちろんSNSもやっていたのですが、僕にはどうにもインスタが性に合わなかったんです(笑)。インスタを活用している方を否定しているのではなく、自分らしくないなと感じていて。僕はこんなにできるって自分でアピールしているような気がして、ちょっと恥ずかしいというか…。みんながやっているからやっているだけで、しっくりきていませんでした。

飲み屋に行くことは毎日でもしたいことでしたし(笑)、僕が通っている居酒屋は僕の好きな人がやっているお店だから、そこに通っている人との相性もよかったんだと思いますね。好きな人の輪がつながっていくのがとても楽しかったです。

30歳でスタイリストデビュー。長い下積み生活も土台作りだと捉えて

リアルにお客さまの反応がわかる、美容師という仕事が楽しいと倉田さんは話す

――今のサロンでは30歳でスタイリストデビューをされたそうですね。

そうなんです。元々、手先が不器用だということと、スタイリストデビュー1年目で前のお店を辞めてしまったので、転職したときはもう一度アシスタントからの再スタートになり、合計で7年ほどかかりました。

なかなかスタイリストになれなかったことは辛くて辛くて、30歳の誕生日は自分がなさけなくて泣いていたこともありましたね(笑)。

――長くアシスタントをされていたということですが、そのことによって何かプラスになったことはありますでしょうか?

接客、技術、人間性などが培われた状態でデビューできたことがよかったのかなと思います。もちろん早くデビューするからいい面もあると思うのですが、長い美容師人生のなかの土台をしっかり作っている時間なんだと意識すれば、その先も活躍できるのではないかと思いますね

美容師の仕事は、その場でお客さまの反応がわかる珍しい仕事だと思うんです。いろんなスキルが身に付いた状態でお客様に携わらせていただくことで、喜んでもらえる人たちが増えたのかなと今はとらえています。

マッチングミスを防ぎ、美容業界で輝ける若者を増やしたいという思い

「TOOL MAGAZINE」の取材で訪れた専門学校のみなさんと

――編集長を務める「TOOL MAGAZINE」を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

コロナ禍のときに、Twitterのアカウントを作ったんですが、そこで美容師のコミュニティに入り、多くの美容師さんと出会えたことがきっかけでした。そのころの僕は美容歴10年くらいだったと思うんですけれども、多くの美容師さんと情報交換をしていて、初めて知ることがたくさんあって。

インスタグラムでは見えないそれぞれの美容師さんの働き方や考え方、価値観などに触れて、いろんな美容師さんに発信してもらうプラットフォームのような場を作ろうと思ったのが「TOOL MAGAZINE」の始まりです。ちょうどコロナ禍でお店も営業していなかった時期でもあり、デザインをできる美容師さんに助けてもらいながらアウトラインを作りました。さまざまな美容師さんにライターとして発信してもらったり、僕が取材をしたり。今は専門学校の紹介が軸になっていて、美容学校と美容業界のメッセンジャー的な役割になれたらいいなと思っています

――メッセンジャーとは具体的にはどんなことでしょうか?

美容業界と美容学校をつなぐことで、採用やマッチングミスを防ぐことができると思っているんです。本来輝けるはずの、美容に対してものすごく熱力がある若者たちが、そのマッチングミスによって活躍できないまま、美容業界を離れていくのが、単純に悲しいなと思っていて。そういった機会を少しでも減らしていけたらいいなと思っています

本気でチャレンジしたい人たちがチャレンジできるような、業界の空気を作っていくのが今の目標ですね。


倉田さんが美容業界で輝けた3つのポイント

1.居酒屋集客に成功し、140万円の売上を達成した

2.長いアシスタント時代を土台作りととらえ、前向きに前進した

3.「TOOL MAGAZINE」を通して、美容業界と美容学校のメッセンジャーの役割を担っている

スタイリストだけでも忙しいのに、求人最高責任者、「TOOL MAGAZINE」の執筆など前向きに取り組んでいる倉田さん。そのポジティブなエネルギーがあるからこそ、多くの美容学校や美容師とのつながりが広がっているのではないかと感じました。美容師としてもっと活躍したい人は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

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Salon Data

OjOmano
住所:東京都世田谷区南烏山5-4-7 カネキ南烏山2F
TEL:03-6279-6643
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