人とのつながり・真摯な姿勢の積み重ねが、自分の運命を切り開く【SALON 77 スタイリスト・ヘアメイク/kintaさん】#2
引き続き、スタイリスト・ヘアメイクアーティストとして活躍するkintaさんをご紹介します。
伝統のブランドサロンに入社後、その腕を見込まれたkintaさんは、次々と新規店のオープニングスタッフを任されます。都内の商業エリアを渡り歩きながら、その高い技術力と親しみやすい人柄を武器に、行く先々で多くのファンを獲得。35歳で地元・札幌に拠点を移して10年が経つ現在も、月に1度の出張施術を続け、東京/北海道の2拠点でのサロンワークを実現しています。
後編では、札幌へUターンした後のストーリーを中心にお聞きします。人とのつながりで実現したヘアメイクのお仕事や、地方ならではの集客の苦労など、新しいチャレンジを考える人は必読ですよ!
人とのつながりがきっかけで、夢だったヘアメイクの仕事が実現
――ヘアメイクとしての活動についても聞かせてください。
実は、本格的にヘアメイクの仕事を始めたのは札幌に戻ってからなんです。
東京にいた頃も、同世代のカメラマンや若手俳優と一緒に、作品撮りやイベントなどでヘアメイクの活動を積極的に行っていました。ただ、当時の勤め先は、サロン業務以外の副業に対する制約が厳しく、あまり自由に動けなくて。
僕自身も、当時はとにかくヘアメイクとして場数を踏みたいという気持ちで動いていたため、自分の名前を売るとかギャラをもらうという意識は二の次。お金をいただく仕事としては考えていませんでした。
――北海道で仕事のチャンスを手に入れたのはどうやって?
話がさかのぼりますが、札幌の資生堂サロン時代に、ヘアメイクとしても活躍している先輩がいらっしゃいました。先輩は道内のメディアの仕事を幅広く手がけており、メイクをやりたいという僕を見習いとして色んな現場に連れて行ってくれて。地方の新人美容師がクリエイティブの現場を体験できる機会なんて滅多にないため、本当に幸運でしたね。
その十数年後、東京からUターンしてきた際、当時現場で僕を可愛がってくれていた制作会社の方へ挨拶したんです。すると「こっちへ戻ってきたんなら、今度の撮影はkintaくんがヘアメイクやってよ」なんて皆さんが声を掛けてくださったのがきっかけで、仕事を振ってもらえるようになりました。
――なるほど。人とのつながりが、夢の実現を可能にしたんですね。
本当にそう。周りの人の支えと出会いが、現在の僕を形作っているとしみじみ思います。
ほかにも、札幌で入社した「SALON77」で転機となる出会いがありました。僕が入社後しばらくして、同僚だったヘアメイクアーティストが海外へ拠点を移すことになったんです。すると、当時その人が持っていた仕事を紹介してくれることになり、ファッションビルのビジュアル広告など、今まで経験したことのないジャンルへも携わることができました。
地方ならではの集客法に大苦戦した結果…
――Uターン後、非常に順風満帆だったように思えますがいかがですか?
いやいや、結構大変でしたよ(苦笑)。美容師としては、軌道に乗るまでに3年程度かかったかな。
札幌と東京のサロン事情で最も大きな違いは、地方に行くほど人間関係が濃く、お店の固定化が強いということ。家族全員が1軒の美容院に通っているケースも多々ありますしね。そのため、新しいお店・新しい美容師に乗り換えさせることがとても難しい。
――では集客はどのように?
新しい職場はクーポンサイトなどに広告を打たないコンセプトだったため、100%自力でお客様を集めるしかなく、さらに厳しいものがありました。2013年当時はインスタもまだ周知されていませんから、地道な口コミ・紹介だけが頼り。まずは同級生に連絡して、その子が来てくれたら今度は親御さんや友達を紹介してもらって…の繰り返しです。
また、メイクも自分の武器ですので、サロンの定休日を利用して「眉の描き方セミナー」を開催しました。友達に協力してもらって、その子のママ友などを10名くらい集めるんです。2,000円くらいの参加費で一人ひとり丁寧にレクチャーし、サロン初回割引きを特典に付けて新規来店を促したりしました。その時の方々からのご紹介でも、かなりお客様が増えましたね。
――つらかった思い出などは?
誰かをお店に誘うという行動が日課になると、どうしても感覚が麻痺してきて少し強引になってしまうんですよ。ある日、電話した友人のひとりから「いつも通ってる美容院があるし、こういう連絡は迷惑」とキツめに断られた時にハッとしました。
自分が一般的な感覚からズレてきてるかも、と気が付くきっかけになり良かったです。それ以降は、相手の負担にならないようにと改めて注意しながら行動するようになりました。
――厳しい状況を打破するため、どう行動されたんですか?
この時の足踏みが、前編でお話しした東京での出張施術へとつながるんです。札幌に戻ってしばらくして、いよいよ集客の打つ手がなくなった時「東京なら僕のお客様がたくさんいらっしゃるのに…」と、ふと頭をよぎったことが始まりでした。
オーナーからも了承をもらえたので、まずは日帰りで出張して試してみることに。その頃はまだ都内に支店がなかったため、表参道のサロンを面貸しで1日8人だけ予約を取りました。思ったよりもスムーズに進んだので、今度は1泊2日で行ったら、16人もの旧知のお客様とお会いできました。じゃあ次は3日にして…と徐々に稼働を増やしていき、現在のスタイルに落ち着いています。
――東京のお客様は、kintaさんが来られるのを皆さん心待ちにされているのでしょうね。
いつも僕の都合に合わせてくれる皆さんにも、イレギュラーな働き方を応援してくれるオーナーにも、感謝の気持ちは尽きません。切羽詰まった苦肉の策というスタートではありましたが、遠く離れてからも昔からのお客様と変わらずお付き合いできるという、美容師として最高の幸せを感じられる結果となりました。
東京出張が順調に進んでホッとひと息つけるようになった頃、札幌でも安定して集客できるようになり、今はすごく充実した日々を送れています。
自分の生き方に合う職場に出会えたしあわせ
――札幌に戻ったことで人生が大きく躍進したと感じられますね。
SALON77に入社したことが最大の転機でしたね。「マネジメントサロン」というコンセプトで、美容師個々の活動を最大限サポートしてくれるんです。
「より多くの武器を身につけて、自分の価値を高めよう」というのがうちの会社の理念。また、プライベートや家族との時間を大切できなければ仕事の充実は図れないとして、正社員でありながら、働き方はスタッフ個人に委ねられています。
このオーナーの価値観と僕の生き方がリンクしているため、迷いやストレスを感じることなく仕事に邁進できているなと思います。おかげで、2拠点でのサロンワーク、ヘアメイク、専門学校での講師活動など、さまざまな分野でキャリアを積むことができています。
――最高の職場に出会えたんですね!
そうですね。そもそも僕は独立志向がなく、生涯現場で技術を追求したい職人タイプ。年齢を重ねてもその理想を叶えられる、SALON77との出会いは本当にラッキーでした。
また、僕の働き方がお店にとって1つの成功事例になったのも嬉しい結果です。最近、若手が僕と同じように、東京と札幌2拠点でのサロンワークへチャレンジを始めたんですよ。これからも、恩義ある会社のさらなる価値向上に向けて、自分なりの方法で貢献していきたいです。
――kintaさんが将来目指す姿はありますか?
世間でいういわゆる「成功者」の人たちって、将来なりたい理想の自分を明確にし、それに向かって逆算して行動する…なんてお話をよくされますよね。でも僕は、先々の目標を立ててゴールを目指すという生き方が苦手で(苦笑)。
とはいえ、東京で活躍したい・ヘアメイクの仕事をやりたいなど、昔ぼんやりと思い描いていた夢は、すべて少しずつ実現してきました。まだ夢半ばではありますが、その経験を通して感じるのは、将来を重んじるあまりに「今」を疎かにしては本末転倒だということ。
僕は「将来◯◯になるためにはこうすべき」といった計算を行動基準にするのではなく、今、自分の目の前にいる人と全力で向き合い、目の前の仕事へ真摯に努力を積み重ねたい。同時に、会いたい人に会って、行きたい場所に行き、やってみたいことは全部チャレンジしたいですね。そうすればきっと、自然に新しい道が開けていく。そんな風に考えています。
kintaさんの成功の秘訣
1.人とのつながりこそが財産。すべての出会いを大切に
2.遊びの中に学びがある。好奇心を絶やさない
3.ゴール達成に囚われず、目の前の課題に全力で向き合う
取材・文/黒木絵美
撮影/喜多二三雄
Salon Data